「つくる会」教科書批判

―自画自賛の明治憲法/軽視された自由民権運動


 VAWW-NET Japan編『ここまでひどい! 「つくる会」歴史・公民教科書』(明石書店、2001年6月)に書いたものの一つです。これは2001年のものへの批判です。ぜひ買って読んでみてください。アジア太平洋戦争に関する記述の批判はこちらに掲載しています。  2004.12.29記


自画自賛の明治憲法

 明治憲法の制定を記述した章には、「アジアで最初の近代憲法」と見出しが掲げられている。アジアで最初の近代憲法は明治憲法の3年前の1876年にオスマン・トルコで公布されたミドハト憲法である。日本はアジアで一番だと言いたいがためにこうした間違いを犯している。また「日本は、本格的な立憲政治は欧米以外は無理であると言われていた時代に、アジアで最初の議会をもつ立憲国家として出発した」とも書いているが、誰が「欧米以外は無理だ」という言い方をしていたのか、はっきりさせる必要がある。欧米に対するコンプレックスがここにも表れている。

「ヨーロッパ諸国の憲法を参照し、ベルギーやプロシア(ドイツ)などヨーロッパ諸国の憲法に範をとって憲法草案の準備を進め」たと書いているが、イギリス、フランスなどの民主主義的な制度は排して、プロシアの憲法を参考にして作ったことはごまかしている。しかも憲法を準備していたときに、言論集会の自由などを求めた「三大事件建白書」が出され、憲法についての議論も要求されはじめると、明治政府は保安条例を制定して民権派を東京から追放して議論を封じた。

だから憲法の制定過程は秘密にされ、国民は発布されるまで内容を知らされなかった。明治憲法の発布の日には「祝賀行事一色と化した」とさも国民がこぞって祝ったかのように書いている。多くの国民が奉祝の行列に駆り出されたが、ドイツ人医師のベルツは「こっけいなことには、だれも憲法の内容をごぞんじないのだ」と日記に記している。「憲法を称賛した内外の声」というコラムが設けられているが、「その実際をみないうちに、まず、その名に酔っている。これほど、わが国民の愚であり狂であることを示すものはない」と冷ややかに観察し、憲法を読んで「一読して苦笑するだけであった」と冷静に見ていた中江兆民のような人々は無視されている。このように憲法の制定過程をみると、民主主義とは無縁の制定のされ方だったことがわかる。

憲法の内容について「国民は法律の範囲内で各種の権利を保障され、選挙で衆議院議員を選ぶことになった」というようなことしか書かれていない。実際には国民の権利は天皇によって与えられた臣民の権利にしかすぎず、いつでも天皇の名によって制限できるものでしかなかった。天皇には広範な天皇大権が与えられていたこと、そのなかには統帥権の独立があったこと、議会の権限は制限されていたこと、など問題点は触れられていない。

選挙権について「満25歳以上の男子で一定額以上の納税者に限られていた」とあるだけだ。実際には「アジアで最初の議会」だといっても、有権者は人口約3940万人のうちわずか453474人、つまり人口の1.1%にすぎなかった。農村でいえば地主しか選挙権はなく、圧倒的に多い自作や小作人、都市の自営業者や労働者は排除されていた。この記述ではほんの一握りの財産家しか選挙権がないことはとても理解できない。

 このように明治憲法の問題点は素通りして、礼賛するだけの姿勢は、日本国憲法への敵視と表裏の関係にあることは言うまでもない。

 

軽視された自由民権運動など民衆の動き

この教科書の特徴は、民衆の努力や営みを徹底して軽視無視していることである。自由民権運動として板垣退助らの旧士族の運動が触れられているにすぎない。しかも「憲法と国会が必要だと考える点では、明治政府も自由民権派も違いはなかった」として、しかし前者は「着実に進めようとした」のに対し後者は「急速にことを進めようとし」たと、自由民権運動がもった意味をほぼ全面的に否定する議論をしている。自由民権運動は、旧士族層を中心とした運動だけでなく、自由民権思想にめばえた農民たちの大衆的な運動としても発展し秩父事件にいたる激しいたたかいをおこなった。一般の民衆が地域で学習討論を積み重ね主体的に運動に参加していった、重要な運動だった。また中江兆民や植木枝盛などすぐれた思想家によって、明治憲法とは異なる民権思想を生み出し、民間でもたくさんの憲法私案が作られた。そのなかには人民主権や基本的人権、政党内閣制など明治憲法よりはるかに進歩的な内容がたくさん盛り込まれていた。この精神がのちに日本国憲法に引き継がれていく。この教科書では民間で憲法草案が作られたことは触れているがこれらは「強い愛国心を示すものでもあった」とすべて愛国心に流し込んでしまっている。この教科書は自由民権運動を旧士族の運動に矮小化し、社会運動としてもその思想についても自由民権の意義を無視している。歴史は国家のエリートが作るのだ、という民衆蔑視・国家中心の歴史観がここにも表れている。