藤原彰『天皇の軍隊と日中戦争』(大月書店、2006年5月)

編集にあたって

 

 本書は、故藤原彰先生の論文集です。日本現代史研究、特に政治史・軍事史研究をリードしてこられた藤原先生は、二〇〇三年二月二六日、八〇歳で亡くなられました。先生は多くの著書を出されているだけでなく、編者・編著者として数多くの論文集や資料集などの著作を送り出しました。またさまざまな本や雑誌などに発表された論文も多数あります。そうした論文の多くは、先生の著書に収録されたり、内容的に組み込まれていますが、そうでないものも少なくありません。本書は、一九九〇年代以降に雑誌などに書かれた論文のなかから、先生ご自身の著書には含まれていないものを中心に集めたものです。

先生は七〇歳をすぎてからも新しい史料に取り組み、新たな分野の研究成果を発表されており、最後まで開拓者としての姿勢と努力を続けておられました。たとえば先生は、三光作戦についてまとめようとされていましたが、残念ながらその仕事は途中で終わってしまいました。本書には三光作戦について二つの論文を収録していますが、もう少し時間があれば体系的な著作にまとめあげられただろうと思うと残念です。分量の関係で割愛せざるをえなかった論文も少なくありませんが、すでに刊行されている著書とあわせて、本書によって先生の主な業績がこれでカバーできると思います。

 本書では、総括的な論文である「天皇の軍隊の特色」を最初にし、それ以外の論文は発表された順に掲載しました。一九八〇年代より南京大虐殺事件についての著書・編著書をたくさん出されていますが、さらに三光作戦や性暴力、戦後補償問題にも関心を広げられていることがわかります。また山西省に残留した元日本兵についての論文は先行研究のない貴重なものでしょう。本書では明らかな誤植や誤字などを除いて、発表時のまま直さずに収録しました。

 また先生の人と学問について、先生ご自身の回想録と対談、研究者やジャーナリストの方々による追悼文を収録しました。先生は陸軍士官学校を卒業し陸軍将校として中国戦線に行かれていますが、こうした研究をおこなうようになった経緯や理由、人柄もよくわかっていただけると思います。追悼文をお寄せいただいたみなさんにはあらためてお礼申し上げます。追悼文についてはすでに発表されているものに限定させていただきましたので、ご容赦いただければ幸いです。ただ残念ながら江口圭一氏はこの追悼文を書かれてまもなく、二〇〇三年九月二六日に亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りします。

 本書の編集にあたっては、一橋大学大学院社会学研究科の藤原ゼミで学んだゼミ生の在京組である吉田裕、平賀明彦、林博史の三人が、収録論文の選択など編集作業をおこないました。先生が亡くなられてすでに三年がすぎてしまい、もっと早く出すべきだったと反省するとともに、先生へのささやかなお礼をようやくできたという思いです。葽子夫人には本書の刊行をご快諾いただき、あらためて感謝申し上げます。

ところで私事になりますが、はじめて先生にお会いしたのは私が大学四年生のときです。その後、先生を慕って一橋大学の大学院に入学してから最後の最後まで研究会やそのほかさまざまなところで暖かく指導していただきました。大学院時代は戦争や日本軍のことを研究していませんでしたが、大学に勤めはじめてすぐに、沖縄戦の研究会をやらないかと先生に誘われたのが戦争犯罪や日本軍のことを研究するようになったきっかけでした。二〇年余りにわたって先生の側で研究できたことは何よりも幸運なことだったと痛感しています。

 私は大学院藤原ゼミのほぼ最後の院生になりますが、修士課程に入ったときは、上にはオーバードクター○年目の大先輩をはじめそうそうたるメンバーがそろっており、それぞれの院生の報告に対して辛らつな議論がたたかわされていました。そのなかで先生はいつも院生の報告のよい点を挙げて擁護し励ましていました。私も先生からいつも励まされたという記憶はあっても怒られたという記憶はありません。

 これまで日本軍についてなにかわからないことがあると先生に聞けばすぐに教えていただけましたが、もうそれができません。戦争を体験していない世代が、さらにその下の体験していない世代に語らなければならない、そのことを私たちは、体験者に頼ることなくおこなわなければならない、その責任の重さをあらためて感じています。

                                    二〇〇六年三月     林 博史