追悼 藤原彰先生

                           林 博史


日本の戦争責任資料センターのボランティア編集部の出している会員誌『Let's』No.40(2003.6)に書いたものです。これをアップロードする少し前には江口圭一さんが亡くなられました。すぐれた方々が次々に去っていくのは寂しいことです。時代がどんどん変わりつつある………。2003.10.7記


私の尊敬する歴史学者であり、恩師でもある藤原彰先生が2月26日に亡くなられました。80歳でした。はじめて先生にお会いしたのは私が大学4年生のときですが、先生を慕って一橋大学の大学院に入学してから大学院時代の6年間を含め、今日にいたるまで研究会やそのほかさまざまなところで暖かく指導していただきました。大学院時代は戦争や日本軍のことを研究していませんでしたが、関東学院大学に勤めはじめてすぐに、沖縄戦の研究会をやらないかと誘われたのが戦争犯罪や日本軍のことを研究するようになったきっかけでした。先生のよびかけで1986年に「沖縄戦を考える会(東京)」を発足させ、その研究会で翌年には『沖縄戦―国土が戦場になったとき』『沖縄戦と天皇制』の2冊の本を刊行しました。家永教科書第3次訴訟の争点の一つが沖縄戦の問題でありそれを支援する研究をおこなうことと87年の沖縄国体にむけて本土の研究者もきちんと研究し発言しようという目的でした。ここから沖縄戦の研究を始めたわけですが、同時にここで高嶋伸欣さんと会ったことがマレー半島での華僑虐殺、さらにはイギリスの戦犯裁判に取組むきっかけともなりました。

多くの人々―日本の人々だけでなくそれ以上に中国やアジア各地の人々―を死に追いやった侵略戦争とそれを推進した者たちへの怒りと憤りが、陸軍大尉として中国戦線で戦争の実態を体験してきた先生が現代史研究に取り組み始めたベースにあったと思います。現代史研究の草分けとして自らそうした研究を進めただけでなく、さまざまなセミナーや研究会を組織し、あるいは資料集やいろいろな出版の編者として、多くの後進の研究者を育てたことも先生の大きな功績でしょう。

 私は実質的に大学院藤原ゼミの最後の院生(もう一人下にいますが)になりますが、修士課程に入ったときは、上にはオーバードクター○年目の大先輩をはじめそうそうたるメンバーがそろっていて、それぞれの報告に対して辛らつな議論がたたかわされていました。そのなかで先生はいつも院生の報告のよい点を挙げて、擁護して励ましていました。私も先生からいつも励まされたという記憶はあっても怒られたという記憶はありません。昨年の暮れに「伊波普猷賞」の受賞が決まったときに先生に電話で報告しました。そのときは比較的元気そうな声で「おめでとう、よかったですね」と喜んでいただきました。これが先生の声を聞いた最後になってしまいました。

 これまで日本軍についてなにかわからないことがあると先生に聞けばすぐに教えていただけました。もうそれができません。戦争を体験していない世代が、さらにその下の体験していない世代に語らなければならない、そのことを私たちは、体験者に頼ることなくおこなわなければならない、その責任の重さをあらためて感じています。