『朝日新聞』2002年7月18日(木) 第1面左上


日本軍、大量の「機密」処分を命令 終戦直後



 敗戦の直後、日本軍が組織的に公文書を処分していたことが、米国で公開され
た資料から浮かび上がった。外交上不利益になる公文書の焼却などを指示する日
本軍の暗号通信を、米側が傍受し解読していた。軍による公文書の処分について
は、証言などでは残っているが、裏付ける資料はほとんどなかった。

 この米側資料は「マジック 極東概略」。米陸軍省が、第2次世界大戦中に解
読した日本軍の暗号通信を要約し、関係部門に配っていた速報だ。「日本の戦争
責任資料センター」研究事務局長の林博史・関東学院大教授(現代史)が米国立
公文書館で入手した。

 資料によると、処分の指示は45年8月15日午前0時に始まった。
 「ご真影や連隊旗、天皇の手によって書かれた書類を集め、部隊指揮官は崇拝
の念をもって焼却せよ」と、陸軍省が主な野戦司令部に命令した。玉音放送が敗
戦を告げた同日午後には、「陸軍の機密文書と重要書類は、保持している者が焼
却せよ」と命令を追加。

 翌16日、海軍省軍務局長が主な指揮官に向け、「敵の手に落ちたとしても、
帝国にとって外交上不利にならないもの」を例示。捕虜のリストや死亡記録は保
持するように指示し、暗にほかの文書の処分を求めた。

 前線に近い部隊になるにつれ、処分対象の指示は具体的になった。
 同月20日、上海にある支那方面艦隊は、将校の登録簿や勤務経歴を「即座に
焼却せよ」とした。戦争責任を追及される際に、だれがどこに配属されていたか
が分からないようにするためとみられる。

 インドネシアの海軍第23根拠地隊は8月24日、「化学戦用機材」や、人体
に命中すると体内ではじけて傷を大きくし、残酷を極めるとして1899年のハ
ーグ会議で使用禁止が宣言されていた「ダムダム弾」の処分を命じた。明らかに
なれば国際的な批判にさらされることを恐れたようだ。

 戦争犯罪を裁いた東京裁判に詳しい吉田裕・一橋大大学院教授(日本近現代史)は「戦
犯追及に備えて関係資料は徹底的に処分されたが、それを裏付ける資料がまとまって出た
のは珍しい」と言う。林教授は「軍にとって何が都合が悪いかを冷静に識別し、組織的に
処分したことが分かる」と話す。