「朝日新聞」2002729日 社会面

原爆被害、投下直後に米側が把握 旧陸軍の暗号解読で

 広島に原爆が投下された直後、隣の山口県にあった旧陸軍飛行師団が軍の被害状況
をほぼ正確に把握し中央に打電していたことが、「日本の戦争責任資料センター」の
林博史・関東学院大教授(現代史)が入手した米国の公開資料で明らかになった。被
害の大きさによる「戦意の委縮」も報告し、これらは米側に傍受されていた。
 この資料は、山口県下関市の陸軍第12飛行師団が東京の航空総軍などにあてて発
信した暗号電文。米陸軍省が傍受解読し、関係部門に配っていた速報「マジック 極
東概略」の中にあった。

 第12飛行師団は原爆投下翌日の45年8月7日午後3時、「軍事施設、工場など
は破壊され、広島の軍部隊の大部分は死傷した」と打電した。
 これを傍受した米側は「広島の被害に関する最も早いメッセージ」と位置づけてい
る。
 広島所在の軍が大きな被害を受けたため、広島の南西約130キロにあった第12
飛行師団による報告が最も早い情報の一つになったようだ。

 翌8日午後7時50分に発信した電文では、「陸軍の被害は甚大だ。約30%が死
亡、30%が負傷した」と追加報告した。
 当時、広島市には西日本を統括する第2総軍司令部や中国地方の陸軍部隊の中枢で
ある中国軍管区司令部などがあった。戦後、中部復員連絡局の調査では広島にいた軍
人軍属約6万人のうち、25%にあたる1万5000人前後が死亡したと推計してお
り、ほぼ正確な被害報告だった。

 また、両日発信した別の電文では、「地上にある飛行機を守るため谷型の防壁を使
うべきだ」などと新たな原爆投下に備えた軍の対策を挙げる一方で、「被災者や目撃
者の戦意の委縮を示す事例が増えている」と戦意低下を率直に報告した。これらの電
文も米側に傍受されていた。

 広島、長崎への原爆投下について詳しい荒井信一・茨城大名誉教授(歴史学)は
「軍の被害を把握することは戦局を予測するうえで不可欠だ。原爆投下直後に日本軍
自身が被害を正確に把握し、それをリアルタイムで米側が入手していたことを示す資
料は珍しい」と話している。