琉球新報2002.6.16 第1面トップ

太平洋戦争時、米軍が南大東島で新爆弾実験/林教授が報告書を入手

 【東京】太平洋戦争中の1945年6月10日、約2時間にわたり南大東島が空襲を受けたのは、米軍が2種類の爆弾を実験するためだったことが米海軍の作戦報告書で分かった。林博史関東学院大学教授(日本の戦争責任資料センター研究事務局長)が昨年8月に米国の国立公文書館で入手した。

 45年7月に作成された約500枚に及ぶ報告書は、戦時中の米海軍の航空母艦の作戦がまとめられ、出撃や空襲日の記録のほか、爆弾の量、空襲の写真も付いている。また林教授は、日本海軍の暗号通信を米軍が傍受し、解読していたことを示す資料も入手した。

 報告書は「訓練と敵施設の破壊を目的に、9日に沖大東島に対する爆撃、10日には、第八分艦隊が、南大東島に対する爆撃任務を行った」と説明。

 主な目的に「VT―fused(時限信管付き)爆弾のテスト」と「さまざまな目標に対するナパーム弾のテスト、同弾の各種投下方法のテスト」を挙げている。

 VT信管を内蔵した砲弾は、発射後に自ら電波を発射。これが目標に当たり反射した電波をとらえると、信管に反応して爆発、断片をまき散らす。

 開発には、原爆開発に匹敵する予算と技術陣が投入されたともいわれ、米軍は43年に南太平洋で初使用している。はずれ弾を無くし日本機の撃墜率を格段に向上させた。

 一方、ベトナム戦争でも使用されたナパーム弾は、高熱を発し、広範囲を一挙に焼き尽くす威力を持つ。南大東村によると、空襲では、199機の敵機が飛来。爆撃で学校や飛行場、製糖会社の社宅、観測所などが壊滅状態になったという記録が残っている。

 報告書によると、2日間で使用した爆弾は97・55トン、ナパーム弾46タンク分で、「この軍事行動は敵施設を破壊する大きな副産物を含め訓練と研究実験として、とても有益なものであった」と記している。

 林教授は「大東島が実験台であったことは、報告書の中で何度も言及されている。改良された新型の爆弾を実験したのだろう」と話している。

 

琉球新報2002.6.16 社会面

住民の食糧難よそに、軍は3ヵ月半分備蓄/林教授入手の米海軍資料

 【東京】「住民の食糧事情が悪化する中、日本軍はしっかりと食糧をため込んでいた」。林博史関東学院大学教授が入手した米軍の暗号解読資料には、日本軍の食糧貯蔵量や残存兵員数が記され、宮古や石垣島など先島での日本軍の動向やその実態が明らかになっている。戦闘が激しさを増し、住民が食糧で苦しむさなか、宮古島で海軍が、3カ月先の分まで食糧を蓄えていた事実も浮かび上がった。

 資料は、日本軍が暗号で打電した電文を米軍が傍受解読し、英文で記録している。沖縄戦関連は電報数で約5000通にも及ぶ。日本軍は、敗戦時に通信関係の記録などを処分していることから、林教授は「これまで不明だった日本軍の動向が明らかになり沖縄戦史の補完になる貴重な資料」と話している。

 1945年4月16日、宮古島の海軍は、食糧の貯蔵量を報告している。「在庫 米、145日分(2636人)、乾パン30日分、その他の食糧30日分」と発信し、1カ月後の5月21日には、「2632人に米108日分、副食128日分」となっている。

 林教授は「住民の食糧事情が悪化している中で、日本軍は3カ月半の食糧をしっかりため込んでいた。いかに軍が住民よりも自分たちのことを考えていたかが分かる」と指摘。「米軍の資料から、住民の生命がいかに無視され、犠牲にされていたかが見えてくる」と強調した。

 資料には、石垣島に配備された日本軍が、第一航空艦隊司令部や台湾の日本軍基地と頻繁に通信を行っていることも記述されている。

 この通信頻度の高さに着目した米側の作戦担当者は「石垣航空基地が重要なポイントである」とのコメントを添えている。

 林教授は「石垣島が空襲でかなりの打撃を受けたのは、この分析結果も背景にあるのではないか」と推測し「沖縄戦には、まだ分からないこと、調べるべきことがたくさんある」と話した。

 また資料は、米海軍が戦艦大和の出撃作戦を事前に知っていたことも裏付けている。

 米側は、戦艦大和の沖縄特攻作戦の暗号解読に成功し、時系列的に大和の動きを把握している。連合艦隊司令長官の特攻出撃命令をはじめ、同隊のスケジュール、護衛していた航空機の「予定通り進行中」との報告まで、すべて傍受。途中、空欄や「?」があり、完全な形ではないが、その企図は理解できる内容だ。

 一連の大和の動きが記されていることから林教授は、「戦艦大和の道筋は、米軍に完全に読まれていた」としている。