林博史「沖縄戦が問うもの」大月書店、2010年6月)より

はじめに―今日の日本社会と沖縄戦

戦時体制の作り方―マスメディアの役割 


 表記の本の「はじめに」の中で書いた、メディアの問題です。翼賛体制としか言いようのない支配者ベッタリの、いや、それ以上に排外主義を煽り、軍事主義へと人々を駆り立てようとするこの間の日本のマスメディア(一部の地方紙を除いて)のひどさは、あまりにも目に余ります。こうやって人々を戦争へ駆り立てるのだという模範例が、今日の日本と言ってよいでしょう。『琉球新報』や『沖縄タイムス』のような全国メディアが一つくらいあってもいいのに……と思います。S紙やY紙は、ああいう新聞だと、もともとから思っているのですが、A紙の転落・堕落・奴隷ぶりは、かつての戦争中にもああだったのだろうなと思い起こさせるものがあります。 2010.12.2記


 沖縄でこの十年来、大きな問題になっているのが、海兵隊の普天間飛行場を返還する代わりに北部の辺野古に新しい巨大な海上基地を建設するという日米合意である。一九九五年九月におきた海兵隊員らによる少女暴行事件をきっかけに爆発した沖縄県民の怒りを抑えるために―それは米軍基地を減らしてほしいという長年にわたる沖縄の切実な願いが背景にあるのであって突然起きたものではない―、沖縄の声を逆手にとって、日本の税金で新基地を作ろうとする、基地強化にすぎない。またきれいなサンゴの海を埋め立て、2000メートル以上の滑走路2本を持つ海上飛行場を建設することは、おそらく二一世紀最大の自然破壊と後々非難される愚挙になるだろう。

この新基地建設計画は、発表されてから十年以上がたつにも関わらず、強い反対の声と粘り強い反対運動の前に着工できないまま今日に至っている。そうした中、沖縄にある基地の県外・国外移転を主張してきた民主党の鳩山政権が二〇〇九年九月に誕生し、日米合意の見直しが問題となってきた。

かねてより日本の防衛の第一義的責任は自衛隊が負い、米軍は海外に展開する部隊として日本や沖縄に駐留している。在日米軍は、戦争を防ぐ、あるいは日本を守るものではなく、逆にあちこちで戦争を仕掛け、軍事介入をおこなうものとなっている。このことはイラク戦争などに在日米軍部隊が次々に派遣されていることからもわかる。戦争をしかける部隊が日本に駐留しているのである。住民にとって危険な普天間基地は、移設ではなく返還を求めるのが、日本国民の生命と安全を守るべき日本政府の取るべき態度である。

しかし、この間のマスメディアの報道を見ると、沖縄の海兵隊が「抑止力」であると無条件で肯定し、日米安保条約を「安定装置」(朝日)、「生命線」(読売)、「基軸」(毎日)など、日米軍事同盟を絶対視する一方的な報道をおこなっている。都道府県単位で出されている新聞(地方紙)のなかには、そうではないものもあるが、全国的な新聞やテレビなどは、なんとしてでも日米軍事同盟を維持しようという論陣をはっている。

そして米政府関係者が、鳩山内閣が決断しないこと(辺野古での新基地建設)に苛立ち、怒っているという談話ばかりを流している。アメリカの国内にも、日本に対して高飛車な姿勢は問題であり、対等なパートナーとして扱うべきという意見もあるが、そうした声はマスメディアではほとんど無視されている。沖縄の新聞が、日米両政府に加えて「第三の壁」として「全国紙など在京大手メディア」の存在を指摘し、「辺野古固執の大手のメディア」と批判していることにも示されている(『琉球新報』二〇一〇年一月二七日)。

マスメディアの大勢が、ある方向―しかもたいていが戦争や軍事力行使を肯定する方向―で一斉にキャンペーンをおこない、国民を誘導しようというのは今日においても珍しいことではない。

 二〇〇九年四月五日に北朝鮮がおこなった「飛翔体」の発射実験について、北朝鮮は人工衛星と主張していたが、日本政府やメディアは「ミサイル」と断定して非難した。アメリカや韓国政府内では、人工衛星の発射実験が失敗したという見方があったが、日本のメディアは一様に、ミサイルと断定し北朝鮮を非難する論調を展開した。メディアは三月末から「北朝鮮、発射台に」(『朝日新聞』三月二六日夕刊)などと騒ぎ始め、発射と同時に「北朝鮮ミサイル発射」(『毎日新聞』四月六日)などのきわめて大きな見出しで、扇情的な報道を続けた。政府や自衛隊はこれを利用して有事=戦時のシミュレーション訓練をおこなったが、そのことはなんら問題にされることなく当然のことであるかのように報じられた。

 私も北朝鮮による核兵器の開発や弾道ミサイルの開発は重大な問題であり、北朝鮮はそれらの開発をやめ、放棄すべきだと考えているが、それにはもっと冷静かつ合理的な対応が必要である。北朝鮮が核兵器の開発に走った背景には、ソ連が解体し、さらに中国が韓国と国交を結び、後ろ盾を失ったこと、にもかかわらず北朝鮮と日本・アメリカとの国交正常化がなされず、しかもアメリカは先制核攻撃戦略を取り続けていること、大量破壊兵器を放棄したイラクにアメリカが難癖をつけて攻撃し、日本もそれを支持したこと、など一方的に北朝鮮を非難するだけでは解決できない多くの問題がある。そうした多くの問題を丁寧に解きほぐし、平和的に解決するのが外交の役割であるが、メディアは北朝鮮への反感を煽るだけでしかなかった。

 外に敵を作り、その脅威や不安を煽り、国民の反感と排外主義を駆り立てるだけのメディアを見ていると、一九三〇年から四〇年代に国民を戦争に駆り立てた当時のメディアの姿を髣髴とさせる。当時も中国とその国民への敵意を煽り、強硬手段を主張し、戦争へと世論を誘導した。平和的な解決を主張する者は、弱腰、卑怯者などと攻撃されたのも今日と共通する。

 外の敵による脅威を煽ることは、内部の結束を重視し、異論への抑圧を招く。この間、集合住宅にイラクへの自衛隊派遣反対などのビラを配布しただけで逮捕され有罪になるような言論弾圧が行われている。また日本軍「慰安婦」問題を取り上げた展示会や講演会が右翼の妨害を受けても、あるいは京都の朝鮮学校に右翼が脅迫をくりかえし、子どもたちが怯える状況が作られてもメディアはさほど取り上げない。

一部のマスメディアでは、朝日新聞のように、自らの戦争協力を振り返り検証をしているものもあるが、朝日を含めて、マスメディアが一つの方向に、それもより排外的軍事的方向に一気に流れる傾向はくりかえされている。沖縄戦のときと今日ではマスメディアのあり方がずいぶん違っており、当時は新聞や雑誌が中心だったのに比べ、今日ではテレビの位置が大きく、新聞、雑誌などの出版物に加えて、インターネットも比重が大きくなっている。しかしテレビは、出版物よりはるかに扇情的であり、同じ映像を繰り返すことのよる人々の意識への刷り込み効果ははるかに高い。インターネット上でも、排外的感情的なものが残念ながら氾濫している。

テレビや新聞(特に全国紙)のこうした一色に塗られた一面的な報道を見ていると、「翼賛」報道としか言いようがない。「翼賛」とは社会全体がある一つのものを支えるというイメージであるが、反対や批判、疑問が抑圧され、一元化された状況を示す言葉であり、翼賛体制というように言われる。その「翼賛」という言葉がピッタリと当てはまるような状況が今日でもしばしば生まれている。

そこでは「脅威」や「不信」「不安」が扇情的に報道され、人々の自由の制限抑圧や管理動員が堂々とおこなわれ、それらを人々が受け入れていく。自分たちを守るためには仕方がないと思うなかで、自由の抑圧と戦争への道が掃き清められていく。

戦争への道はこうして作られていく、人々はこうして戦争への道を受け入れていくということがわかるのが、今日の日本のように思える。もちろんそれに抵抗する人々の力は戦前よりはるかに強くなっているが、残念ながら一九三〇年代とは違うとは言い切れないのが実情である。

沖縄戦もけっして突然起きたのではなく、そこに至る長い経過があった。本書でも沖縄戦が始まるまでのことをくわしく書いているのはそのためである。沖縄戦にいたる道と沖縄戦を振り返るのは、けっして過ぎ去った昔話としてではなく、今とつながっているからである。  (同書6〜10頁)