林博史『戦後平和主義を問い直す―戦犯裁判、憲法九条、    東アジア関係をめぐって』かもがわ出版、2008年

「はじめに」より


 2008年8月にこの本を刊行しました。そのなかの「はじめに」の一部をここに紹介します。ちょうど映画「私は貝になりたい」の公開が始めるときであり、それに関する個所を掲載します。これほどでたらめな映画が、あたかも良心的な映画であるかのように何十年にもわたってくりかえし制作、放映されているところに、日本の戦後平和主義の欠陥が象徴的に示されているように思います。できれば、この本全体を読んでいただければ幸いです。 2008.11.15記


はじめに

 一九四五年の敗戦を契機として、その後、今日にいたるまで日本は自らが戦争を仕掛けることをしてこなかったですし、直接の戦闘に参加することもしてきませんでした。残念ながら後者については事実上、戦争に参加していると言えるのですが、直接、武力を行使することへの国民の拒否感は依然として強いものがあります。戦争に継ぐ戦争だった明治以来の近代日本とは大きく変わりました。そうした日本のあり方を規定したのが、日本国憲法、特に第9条に象徴的に示された平和主義であり、それを単なる条文にとどまらせることなく、現実化しようと努力を重ねてきた多くの人々の営みでした。

私は中学生のときに日本国憲法をはじめて意識して読みましたが、その前文のすばらしさに何度も声に出して読みました。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と続くパラグラフは何度読んでも感動的でした。その気持ちは今でも同じです。こうした前文の精神を具体化した第9条を支持していますし、戦後日本の平和主義が獲得した成果は大きなものがあり、積極的に評価すべきだと考えています。それらは戦争の苦難の体験をへた日本人が、戦後の粘り強いたたかいのなかで獲得していった貴重な成果であり、その先人たちの努力に深い敬意を表しています。このことは本書の前提でもあります。

しかし、それだけでいいのかという疑問もあります。この間、戦後の日本が築いてきた平和的な成果が次々と掘り崩されていることも事実です。そうした中で、憲法9条はすばらしい、そのためにたたかった人々は立派だった、というような議論だけでは、今日の状況を打開できないのではないかと深い憂慮を抱いています。

私自身、戦犯裁判や沖縄戦、そのほか日本の戦争責任問題を研究してき、さらにさまざまな運動や実践に関わる中で、憲法9条あるいはそれを支えた日本人の平和意識・平和運動のあり方に疑問と批判を持つようになりました。そこで、戦後日本の平和主義をめぐる問題について私が考え、感じていることについて、戦犯裁判、アジアの中の憲法九条、東アジアにおける過去の克服、という三つの視点から考えてみたのが本書です。

本書のなかでは、憲法第9条とそれを支えてきた戦後日本の平和主義に対して、批判的な議論をしています。読んだ方には、批判が強く出ていると感じられると思いますが、積極的な評価を前提として、問題点あるいは克服すべき課題を提起したものとして、理解していただきたいと思います。戦後日本の貴重な財産である平和主義を、批判的に検証しながら、さらに創造的に新たな生命力を吹き込んでいきたいというのが私の心からの願いであり、そうした観点で話したものです。

本書ではまず戦犯裁判を取り上げています。なぜ戦犯裁判が関係してくるのでしょうか。ここで、戦犯裁判についての日本人の理解の問題点を一つ取り上げたいと思います。BC級戦犯裁判についてよく言われるのは、上官の命令でやむなくおこなっただけなのに、下級の兵士までもが裁かれたのはひどい、という点です。当時の日本軍では上官の命令は天皇の命令であり絶対服従だったのに、それでも裁かれて極刑に処せられた、という言い方がされます。

有名なのは「私は貝になりたい」という映画です。1958年にテレビドラマ、翌59年には映画になりました。両方ともフランキー堺が、二等兵である、善良な理髪屋さん役をやります。彼は、上官から捕虜を刺し殺せ、と命令される。ところが突き刺そうとするが殺せなかった。しかし、その二等兵は戦犯になって死刑になる、末端の二等兵までもが死刑になったという理不尽さを描いた話です。

実際にこういうことがあったと信じてしまう人が多いのですが、これは明らかに事実ではありません。戦犯関係の資料を見る限り、二等兵で死刑になった人はいません。映画の「私は貝になりたい」は明らかに、まったくなかったことをあたかも実際にあったかのごとく人々に印象づけた、その点で戦犯裁判についての間違ったイメージを広めた映画です。

二等兵で死刑判決が下された例もありましたが、後で減刑されて死刑にはなっていません。上官の命令に従っただけであるというケースでは、死刑判決が下りた場合でも、減刑されています。原作は、後で触れるように非常に優れた著作ですが、映画はきわめてひどいものです。フィクションは必ずしも事実に基づく必要はありませんが、すぐれたフィクションは現実の本質を鋭く抉り出すものです。しかしこの映画はむしろそこから眼を背けさせる役割を果たした映画だと私は思っています。

上官の命令に従っただけの善意ある市民の兵士までもが戦犯として処刑されてしまったという虚構の作品が作られたとしても、それ以上に大きな問題は、それがどうして日本人のなかで広く共感をもたれるのかということでしょう。人がいい、善意ある庶民が戦争に巻き込まれ、悲惨な目にあったという主人公の姿に自分を一体化させて、自分たちもみんな被害者だったんだという思い込みによって安心できるからかもしれません。

BC級戦犯裁判との関係の例をもう一つあげると、無差別爆撃をおこなって捕虜となった米軍機の搭乗員を裁判にかけることなく処刑したことで戦犯となり死刑に処せられた岡田資中将がいます。かれは法廷でも米軍の無差別爆撃を批判し、日本国内では良心的であるかのように描かれています。

東海軍管区司令官だった岡田は、27名の搭乗員を軍律会議、これは軍事裁判の一種ですが、これにかけることなく斬首処刑を命じました。アメリカによる戦犯裁判で岡田には死刑が言い渡されましたが、ほかの19人は禁固刑にとどまりました。特に斬首を実行した下士官や兵は重労働10年の刑になりましたが、全員、刑の執行が免除されて、判決とともに釈放されています。実質的に処罰されたのは命令者である岡田中将と、幹部である大佐から大尉でした。

無差別爆撃が戦争犯罪だとして、処刑された搭乗員はその実行者にあたります。アメリカは、裁判で上級の命令者だけを処罰したのに対して、日本側は実行者を極刑に処したと言えます。末端の者まで極刑に処した、しかもなんらの弁明の機会も与えずに、です。岡田を擁護するのであれば、命令に従った下級の者まで極刑に処すことを支持するのでしょうか。

岡田については忘れてはならないことがあります。彼はそれ以前に中国にいたときに、毒ガス戦を実行しその効果を高く評価する報告をおこなった人物でもあります。また米軍を批判した際に、日本軍がおこなった重慶などでの中国民衆への無差別爆撃のことをどれほど自覚していたのでしょうか。中国人に対しては毒ガスを使っても良心の咎めを感じないような、民族差別的な意識を持っていたと批判されても当然の人物を、いまだに「良心的」と考える今日の日本人の民族差別的な意識こそが問題ではないでしょうか。アジアに対する加害、その背景にある民族差別をいまだにきちんと見つめることのできない日本社会を象徴しているようです。

 戦犯裁判についての日本人の認識に、いまなお克服できていない戦後日本の問題性がたくさん詰まっているように感じています。

 このテーマが本書の第一章のテーマです。そのうえで、戦後の日本人の平和主義・意識を東アジアという視野のなかで検証しなおそうとしたのが第2章と第3章になります。第3章では東アジアの人々の主体的な取組みを紹介しながら東アジアの可能性を考えたいと思います。

 <以下、省略>

本書の構成

第1章 東京裁判・BC級裁判の再検討

第2章 憲法九条をアジアの中でとらえなおす

第3章 東アジア「過去の克服」の今日的意義