以下は、準備したメモをもとにして文章化したものです。 2005.12.26

 

伊波普猷賞 受賞記念講演     2002.12.18 林博史

 

このたびは、まことにありがとうございます。

私の尊敬する、沖縄の生んだ最大の思想家である伊波普猷の名を冠した賞である伊波普猷賞を受賞できるとは、これほどうれしいことはありません。ただ、沖縄戦研究については、沖縄の方々が大変努力され、すぐれた研究成果をたくさん出されているのに、私のようなものがもらっていいのだろうか、と感じています。私は、そうした方々の努力の成果を掠め取ったのではないか、という心配をしています。むしろそうした沖縄の研究者の方々こそが真にこの賞にふさわしいと思いますし、そうした方々の長年にわたる貴重な仕事なしには私の本はとてもできなかったでしょう。あらためて沖縄の方々にお礼を申上げたいと思います。

 私の問題意識、この本のモチーフについては、16日(月)の『沖縄タイムス』に掲載されましたインタビューでもお話しましたが、沖縄が日本に復帰する前の197012月に初めて沖縄に旅行で来たことが出発点です。そのころは健児の塔の裏手のガマの入口にはまだ火炎放射器で焼かれた痕がまだ残っていました。どこだったか覚えていないのですが、ある店に入ってコカコーラを頼んだとき、店のおばあさんに10セントと言われたときのショックはいまも覚えています。そのとき以来、沖縄はずっと気にかかる存在でした。その後、高校生のときに阿波根昌鴻さんの『米軍と農民』を読み、このような反戦平和の思想がどうして生まれたのか、大変感動しました。その後、阿波根にお会いして握手をしていただいたときには感動して身体が震えました。

 私が大学院を修了し、大学の教員になった直後の1986年に藤原彰先生のよびかけで、「沖縄戦を考える会(東京)」をはじめたのが、私が沖縄戦について研究し始めたきっかけでした。その研究会をはじめる契機になったのが、家永教科書訴訟でした。私を沖縄に結びつけたお二人、阿波根さんと家永さんが亡くなったことは残念です。 

沖縄戦の研究について、沖縄の方々とは違うことを、何ができるのかということはいつも考えてきました。私の沖縄戦研究にとって、大城将保さんの防衛隊についての指摘は、それまで、ひめゆりでイメージしてきた私の沖縄戦イメージを崩してくれました。それを出発点として、徹底して体験者の証言を集め読み、日米の資料から人々の行動意識を探り出すという作業をしました。そういう点でも沖縄で長年にわたって資料や証言を集め、調査や研究にあたっているたくさんの方々の努力なしにはこの本は生まれませんでした。沖縄の方々がすでに指摘している以上のことを何か付け加えることができたのだろうか、自問しています。

この本のモチーフは、沖縄の人々の主体性です。国家が人々に死を強制したとき、そして国家の秩序が崩壊していくなかで、人々は何を考え、いかに生きようとしたのか、というのがテーマです。沖縄戦のなかで生き抜いた人たち、生きようとしてしかし生き延びることができなかった人たち、生きたいと思うことさえもできなかった人たち……。

 従来の沖縄戦のイメージでは、住民は徹底して皇民化されるか、日本軍によって虐待虐殺されるという受動的な存在のイメージが強かったように思うのですが、それだけではないことに気付かされました。そうした姿に感動し、生きるということについて学んだし、励まされました。

 この本の前に出した本は、イギリスのBC級戦犯裁判についての本です。そこでは裁判の被告になった戦犯、日本軍の一員として戦場に行った将兵一人一人の生き様を通して、人として生きることを考えさせられました。そうした点でも共通するテーマであったと思います。

 私が沖縄戦の研究をはじめた時期は、沖縄において本土並みへの幻想が崩れ、沖縄の主体性を模索し主張しはじめた時期でもありました。研究者だけでなくたくさんの方々と会い交流するなかで、自らの力で沖縄の未来を切り開こうとして努力している方々から、多くを学びました。

 私の本に、何か意味があるとすれば―こうした賞をいただけたということは少しは意味があったということでしょうが―そうした沖縄の人たちの主体的な生き方、その生命力が、この本に力を与えてくれたのだろうと思います。ですから「あとがき」にも書きました次の言葉は私の率直な気持ちです。

「この本は沖縄戦のなかでなくなった方々への心からの追悼の書であり、沖縄戦を生き抜いた方々への言いようのない深い敬意を示す書であると同時に、わたしがそれらの人々から学んだことへのお礼と報告でもあります」

 

 さて沖縄戦を研究しながら、気にかかっていることがあります。1971年に出された「沖縄県史 第9巻 沖縄戦記録」以来、30年にわたって貴重な成果が生み出されてきました。この沖縄県史を担った方々がその後も第1線で調査研究を担ってこられました。しかしその後の世代の研究者が育っていないのではないかという危惧があります。私の間違いであればいいのですが。

 たしかに、自治体史の編纂や調査に、平和ガイドにも若い世代がたくさん参加してきています。しかし研究という面では、沖縄戦のあるイメージができあがっていて、それを批判的に超えようという、新しい世代が出てきていないのではないかと危惧しています。もちろんこの30年の成果があまりにすばらしいものであったということはありますが。

私は明日からアメリカに資料調査に出かけます。主に日本の戦争犯罪に関する資料調査ですが、同時に沖縄戦関係の資料も探すつもりです。この間、沖縄県公文書館の努力で、新しい資料が収集され、公開されつつありますが、どうもあまり研究に生かされていないように思います。

 これまで明らかにされていない点を解明する努力が必要であると同時に、この30年来、みなさんの努力、特に自治体史ですぐれたものがたくさん出ていますが、これらの成果をふまえて、今日的な問題意識と視角で、沖縄戦像を再構成する努力が必要であるように思います。もちろん、それは戦争や基地を肯定するような再構成ではあってはならないことは言うまでもありません。

私の本についての受賞理由の説明のなかで沖縄戦の全体像に迫るという評価をいただきました。「迫る」ということはまだ全体像にはなっていないという指摘だと受け止めています。たしかにこの本はとても全体像を描いたと言えるものではなく、ある断面を描いたにすぎません。沖縄戦をもっと広い視野のなかに位置づけて、その全体像を捉えなおす作業を今後の私の課題としたいと思います。

 この本の受賞は、そうした私のささやかな新たな試みを評価していただいたと受けとめたいと思います。そして私のようなものでも評価されたのだから、自分ならもっといい研究ができると若い世代からどんどん沖縄戦の研究者が出てくるきっかけに、今回の受賞がなれば、それに優る喜びはありません。どうもありがとうございました。(終)