小田部雄二・林 博史・山田 朗

『キーワード 日本の戦争犯罪』

                                 雄山閣、1995年6月刊行、2300円


この本は3人の共同執筆です。日本がおこなった侵略戦争や植民地支配、その中でおこなった数々の戦争犯罪をすべて取り上げ、かつ平和を求める世界の動きの中に位置付けて考えるという、コンパクトでしかも網羅的な本です。基本的な事実や考え方を理解するうえでぜひ読んでもらいたい本です。この本のあとがきは、3人がそれぞれ書くことにしました。三人三様でおもしろいあとがきになりました。ここでは、「はじめに」と私が書いた「あとがき」を掲載します。


                           

はじめに

 近代の日本は戦争につぐ戦争の時代だった。その戦争とは常に侵略戦争だった。その一連の侵略戦争の頂点が、一九三一年から四五年まで、中国、さらには東南アジアや欧米諸国など世界中を相手にして戦った「十五年戦争」だった。 本書では、満州事変〜日中戦争〜アジア太平洋戦争と続いた「十五年戦争」において、日本は一体どのように侵略戦争を遂行し、どのような戦争犯罪をおかしたのか、なぜそういうことをおこなったのか、そうしたことを事実に基づいて、その全体像をわかりやすく描こうとした。さらにそうした日本の行為が、平和を追求する国際的な努力の中でどのように扱われてきたのか、戦後の日本はそうした過ちにどのように対処してきたのか、という観点からもくわしく説明を加えた。                       
 本書のTでは、アジア太平洋戦争に行き着いた近代日本の歩みを、なぜそうなったのか、国家の指導者たちは何をしたのか、という観点を含めて説明している。 
 Uでは、具体的に日本がおこなった戦争犯罪や非人道的な行為、侵略戦争・植民地支配の実態について項目別に説明している。具体的な事件はこれらに尽きるものではなく、おそらくまだ私たちにも知られていないことがたくさんあると思われるが、代表的な事件はとりあげている。この具体的な出来事を通して、日本が一体何をやったのか、ということが見えてくるのではないだろうか。
 Vでは、日本がおこなった侵略戦争が、平和を追求する世界の努力の中でどのように扱われたのか、を説明している。戦争になった場合でも残虐なことをさせないようにする努力、さらに戦争そのものをさせないようにする努力がおこなわれてきた。国際法というのはまだまだ不十分なものであり、抜け道もたくさんあるが、不十分さをあげつらって侵略戦争を弁護するのではなく、平和への歩みを進めるような方向で考えたい。
 Wでは、戦後の日本で戦争責任や賠償・補償問題などがどのように扱われてきたのか、を検討している。この問題は今だに解決されないままに残されており、戦争を経験していない世代を含めて現在の日本人全体に問われている課題だと考えるからである。

 なお本書は、「日本の戦争責任資料センター」の研究部会に参加する研究者としての三人の共同の仕事である。「日本の戦争責任資料センター」は一九九三年四月に研究者や弁護士、市民運動家などによって作られた組織であり、「従軍慰安婦」や七三一部隊をはじめ、日本の戦争責任に関わる調査研究を進め、その成果を機関誌『季刊戦争責任研究』やマスコミを通じて発表し、国連人権委員会などにも研究レポートを提出して、日本の戦争責任の究明と戦後補償の実現のために努力してきた。そうした研究成果のうえに本書が生まれたと言っても過言ではない。

 本書の執筆にあたり、たくさんの方々の研究成果を利用させていただいた。一般に入手しやすいものを中心に各章末に参考文献として挙げたが、本書の性格上、論文その他では省略させていただいたものも多い。お礼を申し上げるとともにご容赦いただきたい。
 本書が、学生、高校生、学校の教師、市民のみなさんなど多くの方々に活用していただき、日本の戦争責任問題と戦後補償の解決に少しでも役立てていただくことができれば幸いである。
                          一九九五年五月 
                                 小田部雄二  
                                 林 博史    
                                 山田 朗  
                                    

 あとがき 
                                林 博史                                   
 日本だけが悪いことをやったわけではない、という言い方をする人がよくいる。ほかの国も悪いことをやっているのになぜ日本だけがあやまらないといけないのかと。 この本の中でもくわしく書いているが、日本がやったことはけっして他の国と同じことをやったといって弁解できるものではない。少なくとも第二次世界大戦において、日本はドイツと同様、他の国と比較できないほどのことをやったことはまぎれもない事実だ。

 仮りに他の国がひどいことをしているからといって、どうして日本のやったことが免罪されるのだろう。他人の悪いところをあげつらって、自らの悪行を正当化しようとするのは、人間として最低ではないか。万引きをしているところを捕まったときに、他のやつもやっているのになぜ自分だけ捕まえるのか、謝る必要なんかない、と開き直る人間が、はたして信頼される人間になれるだろうか。自らの過ちを認め反省し、二度とくりかえされないと決意し実行しながら、他の人々に対しても、過ちをするなと呼びかけることこそが、大切ではないだろうか。まして自らの過ちを棚に上げて、他人の過ちのみを声高に非難する人間が、信頼されるはずがない。日本がおこなった侵略戦争や残虐行為を棚にあげて、アメリカの原爆投下やソ連のシベリア抑留のみを非難するというタイプはまさにそれにあたる。

 日本自らの戦争犯罪を批判することは、同時に他の国の戦争犯罪をも批判する道義的資格を得るとともに、自らを批判した基準を普遍化し、平和へのステップにすることにもなる。日本が重慶などにおこなった無差別爆撃を批判することが、アメリカの原爆投下を批判する道義的資格と批判の基準を獲得することになる。その基準にてらせば、アメリカがベトナムに対しておこなった無差別爆撃(北爆)も、多国籍軍がイラクにおこなった無差別爆撃も批判されるべき戦争犯罪であった。自らの戦争責任を認めない日本政府が、アメリカの原爆投下を批判せず、北爆を支持し、多国籍軍の戦費を出したことは、すべてつながっている。過去の日本がおこなった戦争への態度は、現在の戦争への態度と不可分なのだ。そうした意味でも日本の戦争責任問題は、現在、日本に生きている私たち自身の課題でもある。単に過去を暴くためではなく、今の日本は昔とは違うといって安心するためでもなく、未来を切り拓いていくためにこそ「過去の克服」が必要なのだと思う。

 日本がおこなった侵略戦争、そこで犯した戦争犯罪に対する私たちの姿勢は、実は私たちの生きる姿勢そのものなのではないだろうか。かつての日本人がおこなったことを問い直すことは、自分自身のあり方、生き方を問うことにつながっているだろうし、そうでなければ未来につながっていかない。そうしたことを思いながら本書を書いたし、そうした観点で本書を読んでいただければと思う。
                                
                                       

日本の戦争責任資料センター                         
            〒164 東京都中野区中央2-11-4-105       
                          電話    03-3366-8261  
                          ファックス 03-3366-8262  
会員   会費 年間7000円                       
       『季刊戦争責任研究』『(事務局ニュース)レッツ』の送付など
維持会員 会費 個人 年間一口2万円  団体 年間一口5万円   
       『季刊戦争責任研究』『(事務局ニュース)レッツ』の送付       総会への出席・議決権、資料閲覧・研究成果の送付など