『裁かれた戦争犯罪ーイギリスの対日戦犯裁判』         岩波書店、1998年3月刊、3000円


これは私にとって3冊目の本です。一年間のイギリス留学の成果でもあります。ここには荒井信一さんの書評と、本の中から序章の一節を掲載しました。荒井さんの書評では、すごくほめていただいていますが、この本のポイントをコンパクトに整理していただいているので、ご本人の了解を得て、ここに掲載させていただきました。またこの本を書くにあたっての私の現状に対する問題意識がはっきりわかる一節を載せました。できれば本全体を読んでいただけると幸いです。


    書評  荒井信一氏(駿河台大学教授)
           “「勝者の裁き」論を克服する新しい視角―裁判の原資料に基づいた本格的研究” 

                                                    『日本図書新聞』1998年5月23日付

 本書が取り上げているのは、戦後イギリスがアジアの各地でおこなったBC級戦犯裁判である。BC級裁判は主要戦犯を裁いた東京裁判と対をなすものであったが、これまでオリジナルな裁判資料にもとづいた本格的研究はほとんどなかった。日本で利用されてきた資料のおおくは被告の立場からのもので、裁判の不備をつくものがおおく、連合国の行った戦犯裁判にたいする否定的印象を助長するような性格のものが少なくなかった。

 本書の著者はかつてマレー半島をフィールドとして、現地調査の結果をふまえ戦時中の日本軍による『華僑虐殺』(1992年、すずさわ書店)について綿密な調査をおこない、日本軍が植民地民衆にたいしておこなった残虐行為の実態を明らかにした。本書は、その発展として一年におよぶイギリス・アメリカでの資料収集など周到な準備ののちに、これら日本軍による戦争犯罪をイギリスが裁いたBC級裁判の全体像をマラヤを中心に描きだしたものである。著者はイギリスで公開されている裁判資料のすべてに目を通したようであるが、裁判の原資料に基づいた本格的研究として最初のものであり、本書の刊行によってBC級裁判の研究レベルは一挙に引き上げられたといっても過言ではない。

 本書の中で初めて明らかにされた事実や、これまでの通説的見解の誤りが正された例は数多く、限られた枚数では一々ふれることはできない。しかし一読して印象に残ったのは次ぎのようなことであった。まずBC級裁判は自国の兵士であった捕虜に対するケースを主として裁き、植民地民衆に対する犯罪は閑却したーいわゆる「アジア不在」という批判について、[起訴された被告の67%、ほぼ三分の二はアジア系民間人に対する犯罪が問われた」ことを明らかにし従来のイメージを訂正している。そして植民地宗主国であるイギリスが、住民にたいする犯罪におおきなエネルギーを割いた理由として、直接には戦後大英帝国の再建としう課題に直面したイギリスが「植民地住民の戦争被害をとりあげ、その加害者を裁くことによって威信を回復しようとした」ことを指摘している。

 本書の特徴は準備段階から戦犯服役者の消滅までの全過程について裁判の実態を明らかにしたことのほか、当時の政治情勢やイギリスの戦後アジア政策とのかかわりで裁判の達成と限界を評価していることにある。その点で興味深いのは、マラヤの抗日勢力の中心であった中国人勢力とイギリスの特別作戦部隊(136部隊)との密接な関係や、イギリスの戦後マラヤ構想におけるその位置づけと戦犯裁判との関係についての考察であり、「勝者の裁き」論を克服するための新しい視角、アジア民衆の主体的成長と戦犯裁判における役割の検討という積極的な課題を提起していることであろう。また「戦犯容疑者のなかでもとりわけ悪質な」辻政信が訴追を免れた事情についてのGHQやイギリスの動きの解明も重要である。

 最後に読後感の一つとして指摘したいのは、これまで指摘されているような裁判の不備を含めて、裁判の実態はきわめて多様であり、実際にはさまざまなケースがあったということである。その意味でたとえば不備であった裁判を理由に戦犯裁判全体を報復裁判とするような概括的な批判は、危険である。資料に基づいて個々のケースについて実態を明らかにする地道な研究が必要であろう。そのためにはまず日本政府がその所蔵資料を公開することが必要である。著者は戦犯釈放の時に、「かれらだけが負わされていた責任を日本政府あるいは日本国民全体が引き受ける機会にすべきであった」と述べているが、たしかに裁判の実態を一次資料によって明らかにすることは、今でも誤審の被害を受けた人々の名誉回復につながるし、アジアの人々の受けた被害についてだれが責任を負うべきかを明らかにし、これらの人々の被害回復に道を開くものとなるであろう。

 


                                      本書よりの抜粋 P12〜16 

    「序章 戦犯裁判はどのように議論されてきたのか」 より

なぜ十分な議論がなされてこなかったのか―戦後日本の平和主義に関わって

 ここで、BC級戦犯裁判についてこれまできわめて不十分な議論や研究しかおこなわれてこなかったこと、言い換えれば、今日あらためてこの問題を議論することの意味を戦後日本の平和主義との関係で考えてみたい。

BC級戦争犯罪は先に述べたように具体的な個々の戦争犯罪だった。住民虐殺や捕虜虐待などの戦争犯罪がなぜ、どのようにして犯されたのかという問題はそれを犯したシステムやそれを実行した個人のあり方を問うものであったし、命令に従って戦争犯罪を実行した者の責任をめぐっては、軍隊と市民社会の関係にとどまらず組織と個人の関係、たとえば今日における企業とそのなかの個人の関係がどうあるべきかという問題につながっていく。国家や企業から不法行為の実行を指示された、あるいはそのことを知った公務員あるいは社員が上司の指示だとしてそのまま不法行為を実行するのか、それとも実行を拒否しあるいは不法行為をやめさせるためにそれを市民に公表するのかということは、民主主義社会における市民のあり方としてきわめて重要な問題を投げかけている。兵士の人権の尊重、不当な命令に対する異議申し立ての権利、軍隊や組織の不法行為をチェックするシステムの導入など戦争犯罪の経験から汲み取るべき教訓はたくさんあるだろう。民主主義を守る軍隊には最大限民主主義が保障されなければならないとする戦後ドイツの軍隊の理念(実態の評価は判断する材料がないのでさしあたり留保するが)は、ナチスの経験から導き出した教訓であり、日本が学ぶべき点であろう。

しかし戦後日本は一部の人たちを除いて保守も革新もともにこの問題を真剣に考えようとしなかった。こうした戦争犯罪の経験を過去のものとすることによって(それを批判するか、無批判に忘れ去ろうとするかの違いはあるが)、戦後日本の平和主義が形成されてきた。

日本国憲法第九条の戦争放棄の理念は保守革新を問わず広く国民の支持を得てきた。しかしそこでの戦争観は、戦争だからそうなってしまったのだ、戦争が悪いのだ、だから戦争を否定しなければならないというように、戦争自体にすべての責任を押し付け、そこからストレートに戦争否定に導く論理になっていた。極端に言えば、日本がおこなったことを侵略戦争とは認めず、戦争だから誰もがやっているのだといって個々の戦争犯罪を否定する立場と戦争絶対否定の理念とは両立し得た。日本の将兵の多くが無謀な作戦によって餓死させられたことも戦争一般のせいにされる。そのためにそうした作戦をおこなった者たちの責任やそれを許したシステムへの批判はなおざりにされる。戦争犯罪を戦争一般の責任にすることによって、侵略戦争をおこない、無数の戦争犯罪を犯した日本国家のシステムや指導者の責任が免罪されるのである。こうした国家システムやそこでの個人(指導者も民衆も含めて)のあり方を問うことなく、すべてを戦争が悪いのだとする、思考停止のうえに「平和国家日本」が作られてきたのである。この間、アジア諸国の戦争犯罪の被害者からの戦後補償の訴えは、こうした戦後日本の平和主義のあり方を根本から批判するものとして受け止めるべきだろう。戦後日本の平和主義が、戦争犯罪・戦争責任の課題と正面から取り組まなかった結果が、こうした問題を引きずることになったのである。

戦争否定の理念をかかげる憲法第九条を支持することと自衛隊や日米安保を支持することが並存しているのが、戦後日本の姿だったことはけっして不思議ではない。戦争を否定しながらも、もし日本が攻められたらどうするのかという問いに対して、攻撃されたら戦争だから何をされるかもしれない、だからそうならないためには自衛力(軍隊)が必要だという論理に簡単になる。しかもそこで作られる軍隊のあり方についてはまったく無関心である。自衛隊という名前を使うことによって、軍隊の問題点が解消されたかのような無邪気な議論さえも多い。戦争犯罪の経験からは当然、兵士の人権の尊重、戦争犯罪を防止する軍隊内のシステムの導入など人権と民主主義の観点からのコントロールが検討されるべきなのに対して、そうした議論はまったくおこなわれなかったといっても言い過ぎではないだろう。革新の側からは、自衛隊内の民主主義や人権を議論することが自衛隊を認めることにつながるという理由から、そうした議論を意識的に避けてきたということがあるせよ、結局は現実に存在する巨大な軍隊=自衛隊は、いくつかの外枠の規制(海外派兵の禁止や徴兵制禁止など)を除いて、野放しにされてきた。日米安保体制やそのもとで日本に駐留する米軍についても、九七年のガイドラインの改定に対する多くの国民の無関心を見ると、野放しになっているといっても言い過ぎではないだろう。

理念としては戦争否定を認めながら、現実としての軍隊を無条件で肯定するあるいは容認してしまうというのが戦後平和主義の問題点ではないか。そして後者によって前者の基盤は掘り崩されているのが実態であろう。平和主義をもう一度根底から作り直すには、これまでなおざりにしてきた、日本がおこなった戦争犯罪・戦争責任の問題に立ち向かい、人権と民主主義の観点から戦争絶対否定の理念に向かって現実を条件づけていく営みが必要であろう。そうした営みを抜きにした戦争否定理念は克服されなければならない。

軍隊という存在自体が暴力の体系であり、他者を暴力で屈服させ、あるいは抹殺することを目的とした組織である。もちろん近代の軍隊が近代市民社会のなかから生まれてきたものであり別個のものではありえないにしても、市民社会では一人を殺せば殺人犯だが軍隊では多数を殺せば英雄になるということにも見られるように軍隊は社会の論理とは異質な存在である。日本軍「慰安婦」をめぐる議論の中で、それがたしかに日本軍のあり方が生み出した性暴力のシステムであることを前提としつつも、軍隊そのものが持つ性暴力性も指摘されている。軍隊のよるレイプなどの性暴力は軍隊自体のもつ性格によって動機づけられていることはそのとおりであろう。それゆえに軍隊そのものあるいは戦争そのものを否定しようとすることは意義がある。しかし、それぞれの軍隊によってその程度は多様である。軍「慰安婦」制度を持っていた日本やドイツを連合軍と同一視することはできない。そこには大きな違いがあり、その違いを生み出した背景には、軍隊内の兵士の人権など軍隊のシステム、社会の人権や民主主義の程度などがあるだろう。

そうしたことから、戦争と軍隊そのものを否定した憲法の精神は積極的な意義を持つと考えるが、現実をそうしたあるべき理念に向かった条件付けていく営み抜きには、理念は夢物語でしかない。そうした営みにとって無数の重要な経験がBC級戦争犯罪とその戦争犯罪裁判には含まれている。