『現代思想』Vol.35, No.102007年8月

実証的な東京裁判研究を―「慰安婦」問題と戦犯裁判

                                                                                                          博史

 


 これはインタビューを編集者がまとめたものです。すでに研究は尽くされていると思い込んでいることでも案外、そうではないことがしばしばあります。東京裁判もそうしたテーマの一つでしょう。 2009.3.10記


 「慰安婦」問題

  従来の議論によると、東京裁判では「慰安婦」問題は裁かれなかった、あるいはほとんど扱われなかったとされてきました。なかには全く扱われなかったというように全面否定の議論も聞かれます。しかし、実は東京裁判には、日本軍が「慰安婦」を強制したことを示す証拠書類がいくつも出されています。ですから、東京裁判の問題点を批判している人たちはきちんと調べたうえで発言しているのではないのですね。二〇〇〇年に女性国際戦犯法廷を開いたとき、調査チームが少し調べていますが、そのときは速記録を調べただけで、証拠書類までは調べ切れていなかったようです。速記録だけでも膨大な量になりますが、しかし速記録では書類の番号やタイトルしか出てこないものも多いので、証拠書類の内容を見ないとわからないことが多いのです。

 戸谷由麻さんという当時はカリフォルニア大学バークレー校の院生であり、現在はネバダ大学で教えている方が、東京裁判で何が裁かれたのかということを、証拠書類まで丁寧に読み込んで――つまりどういう証拠書類が提出され、何が裁かれたのか、あるいは、何が裁かれなかったのか――検証したドクター論文を書いています。二年ほど前に私は彼女からいくつかこういう資料があるということを聞きました。戸谷さんは、ドクター論文の一部を「東京裁判における戦争犯罪訴追と判決」(笠原十九司・吉田裕編『現代歴史学と南京事件』柏書房、2006年)として日本で論文を発表しています。私は彼女の成果を受けて、あらためて証拠書類を見直し、整理していたところでした。

 そこにちょうど安倍首相が「「慰安婦」について「日本軍の強制はなかった」とか、「それを示す公文書はない」ということをいろいろ発言しました。東京裁判で検察側が提出した証拠書類、検察側が準備したということはつまり連合国の政府が作った文書であり、公文書です。これが実際に東京裁判で証拠として採用されています。日本は、サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受け入れていますから、国際的な公文書でもあるし、日本政府としても否定できない文書でもあります。ですから、これは安倍首相や自民党右派に対する批判として有効な一つの材料になるだろうと考え、四月に発表しました。

 オランダ・中国・フランスの三カ国の検察団によって合計七点の「慰安婦」に関する証拠書類、「慰安婦」を強制したという証拠書類が出されています。それらの証拠書類で「慰安婦」だけを扱っているものもありますし、さまざまな残虐行為の中の一部として「慰安婦」強制を扱っているものもあります。オランダが出したもので言うと、インドネシアで日本人と性的な関係があった女性、あるいはその嫌疑をかけた女性を逮捕して裸にし、無理やり「慰安婦」にしたケースだとか、東チモールで部族長に「若い女を出せ」と脅して出させたケースなどがあります。また中国は、女工だと騙して募集して無理矢理「慰安婦」にしたケースを取上げています。そういういくつかのケースを連合国側が証拠書類として出しています。このことはすなわち「慰安婦」を強制したことが戦争犯罪であるという認識を連合国側の検察官たちが持っていたということです。そうでなければ、そういった証拠書類は出さないわけですから。

従来、オランダはオランダ女性の「慰安婦」強制被害はBC級戦犯裁判で取り上げたけれども、アジアの女性の被害は取り上げなかった、という批判がされてきました。しかし、実際にはそうではなくて、かなり広く現地のアジア女性の被害も取り上げています。オランダのBC級裁判でもアジア女性の被害を取上げたケースがあるのですが、日本ではほとんど知られていないので、そういう議論がなされてしまっています。

 それから、日本の中では、売春や「慰安婦」は当時の社会では当たり前だったんだ、という言い方もされます。しかし、連合国は情報収集を戦争中からやっていますが、戦争中から戦後直後の時期の段階においても、こうした「慰安婦」の強制は戦争犯罪だという認識を連合国は持っているわけです。一つだけではなくて複数の連合国が、です。ですから、当時は「慰安婦」のようなことは当たり前だったんだという議論はやはり国際的には通用しません。

 これらの東京裁判の証拠書類は、資料の内容自体としては、例えば日本人の愛人や、日本人と性的な関係を持った女性を集めて「慰安婦」にしたというのは、かなり以前から日本の関係者の証言がなされています。族長あるいは現地の指導者に女性を出せと脅したやり方は、中国などあちこちで証言として出ていますので、これによって新しい事実がわかったというほどのものではないでしょう。ただ、日本政府も否定できない資料であるようです。最近、この証拠書類を使って辻元清美議員が質問書を出し、それに対する政府の回答が先日返ってきましたけれど、日本政府は抽象的に裁判を受け入れていると言うだけで、書類そのものに対しては一切反駁をしませんでした。

今回の証拠書類の一つに中国の桂林のケースがあるのですが、実は東京裁判の判決の中で、女工として騙して「慰安婦」に強制的にしたという事実認定が判決でもなされています。ですから、「慰安婦」について全く無視したわけではなく、判決でもそこを認定しています。ただし、東京裁判は刑事裁判ですから、被告との関連でどうかということになると、そこまでのことを示す証拠書類は残念ながら出ていません。個々の被告ごとの事実認定や被告の刑罰にあたって「慰安婦」に関して触れられていないという意味では、そこに一つの限界があります。

 その他の問題としては、一見しただけで強制的に「慰安婦」にしたとわかるケースだけが取り上げられていることです。実際の「慰安婦」制度では、騙したり、人身売買で借金で縛り付けて、のようなケースが多いのですが、そこまではきちんと取り上げられていません。これは当時の認識の限界だと思います。一見して明らかに強制しているものはさすがに当時の考え方でもひどいので、それは戦争犯罪であるという認識は持っていたようですが、「慰安婦」制度そのものが「人道に対する罪」であるとか、戦争犯罪だという認識は、資料を見るかぎりではなかったと思われます。

 ですから、「慰安婦」問題が東京裁判できちんと裁かれなかったというのは、政治的配慮からそうなったわけではなく、「政治性」以前の問題です。もちろん当時の裁判では、女性の人権という発想自体が極めて乏しいですし、「慰安婦」制度そのものを裁くべき戦争犯罪として認識しているかというと、そこまでの認識はありません。さらに結局、東京裁判の被告が「慰安婦」制度とどう関わったのかというところまでは立証できませんでした。強制しているのは現場の話であり、そこと一番上、つまり国家や軍の指導者をつなぐ資料がこの段階では隠されていたり、細部まで調べられていなかったのです。

 アメリカ下院で「慰安婦」問題が議論され話題になっていますが、安倍首相は「狭義の強制」はなかった、という言い方をしました。「狭義」か「広義」かという話に関連して、北朝鮮の拉致の問題があります。北朝鮮の拉致では、例えば騙して連れていった場合も拉致と認定しています。横田めぐみさんは、いまわかっているかぎりではまさに力づくで連れていかれたケースです。それ以外に、甘言によって騙して連れていった場合も拉致と認定しています。安倍首相は、官憲が家に押し入って無理矢理連れていったようなものだけが「狭義の強制」だという言い方をしています。家に押し入って無理矢理連れていったケースというのは拉致ではこれまでわかっていないはずです。そうすると、拉致された人の中で「狭義の強制」はなかったという話になります。しかし安倍首相も拉致に関してはそんなことは絶対に言いません。当時でも刑法上、国際移送略取罪、国際移送誘拐罪、人身売買された者の国外移送罪など、無理矢理連れていこうが騙して連れて行こうが、あるいは人身売買で金で買って連れて行こうが、犯罪としては全く同じです。ですから、「慰安婦」の場合も、騙して連れていったケース、人身売買、あるいは無理矢理連れて行ったケースもありますが、刑法上で言うと全然区別はありません。北朝鮮の拉致の場合もそこは区別していないわけです。ですから、「慰安婦」問題の場合だけそこを区別し、極端に狭いケースだけが問題だと限定したうで、そうした強制はなかったのだとするのはまさにダブルスタンダードだと国際的にも批判されています。「狭義の強制」だとか「広義の強制」といって、前者だけが問題であるかのように言うのは、ごまかしでしかありません。

 

 戦犯と靖国

 当時のバタビア(現ジャカルタ)で、食堂などを経営していた青地鷲雄という人物が当時の日本軍政府から日本人の民間人向けの慰安所を作ってくれないかと依頼され、実際にそれを作っています。レストランやバーの奥に慰安所を作り、そのバーで飲んだり食べたりして、それから女性を連れて奥に入るというパターンでした。そのときに、オランダ女性や混血の女性たちをウェイトレスなどと騙して働かせて、そして無理矢理「慰安婦」にした。これは慰安所と言うかどうかやや微妙なのですが、日本の民間人向けの慰安所もなくはないですし、軍政府からの依頼で作ったということですので、広い意味での慰安所になると思います。おそらく軍政府に勤めていた役人たちや商社員たちが使っていたと思われます。そのときに女性たちを騙して、拒否しようとすると「憲兵隊に言いつけるぞ」といったような脅迫をして「慰安婦」になること、それを続けることを強制しました。裁判記録でわかっているかぎりでは、被害者に一二歳や一四歳の少女もいたということです。これを戦後オランダが強制売春の容疑で捜査をし、いわゆるBC級戦犯裁判で起訴をして、青地は禁固一〇年の判決を受けました。彼は判決が出てまもなく獄死しています。

 戦犯裁判で死刑になった人に関しては、1959年と1966年に3回に分けて、靖国に合祀されました。バタビア裁判でオランダ女性を強制的に「慰安婦」にしたことで岡田慶治少佐という人物が死刑になっているのですが、その人物の場合はそのいずれかの時点で靖国に合祀されているはずです。青地鷲雄の場合には、彼はもともと民間人であったということと、死刑ではなく有期刑になって獄中で病死しているために、ずっと後回しになって、六七年に合祀されています。厚生省と靖国神社の会議でこの人物の合祀が決まるのですが、日本政府、厚生省がつかんでいた情報でも、彼は「桜クラブ」を経営していて、「婦女子強制売淫刑一〇年受刑中病死」という、強制売春で刑を受けた人物だということがわかっていたわけです。わかっていながらそれを靖国神社に合祀するというのは、国のために尽くした、つまり、慰安所を経営したことをまさに国のために尽くした行為だと認めることです。

 この三月に国会図書館がまとめた靖国神社についての資料集をずっと見ているのですが、わからない部分が多いのですが、戦犯を合祀する場合も、個別に審査をおこなっているようです。当初は、戦闘中の行為だとか、あるいは止むを得なかったんだという言い訳をつけて合祀しているようです。最後のほうになると、もう全部合祀してしまうのですが、慎重に検討しているようです。ですから、一人ひとりのケースごとにどういう罪なのかということを審査し、合祀するかどうかの判断をしているようです。ただ具体的なケースがわかる資料はまだ出ていません。

いずれにせよ、強制売春の罪で罰せられたことをきちんと認識しながら、それを国家のための行為だと認定することになり、大問題です。犯罪であるという認識も全くありません。国と靖国神社が一緒になって、強制売春は犯罪であるという認識が全くなく、むしろ、国のために尽くした行為であると認定しているわけです。とんでもないことです。合祀したのは一九六七年ですから、戦後二〇年経った時点でも、まだ強制売春が犯罪ではない、犯罪どころか悪しきことではないという認識であったことを示しているようなもので、大変な問題だと思います。先のスマラン事件で死刑になった岡田少佐も合祀されているはずなので、慰安所の関係者、つまり強制売春の責任で裁かれた人が少なくとも二人は合祀されています。他にも、強制売春だけではなく、他の容疑とセットになって死刑になった人もいますから、彼らはみんな合祀されているはずです。そういう意味では、戦後の日本社会がずっとこの問題について反省してこなかったことの一つの象徴的な事例だと思います。

 

何が裁かれたのか

東京裁判というとA級戦犯を裁いた裁判であり、かれらが「平和に対する罪」、すなわちA級戦争犯罪が裁かれたというイメージで語られがちです。しかし、東京裁判で非常に大きなウエートを占めているのがB級戦争犯罪、すなわち「通例の戦争犯罪」です。この「通例の戦争犯罪」とは、住民虐殺や虐待、捕虜虐待、毒ガス・細菌兵器の利用など具体的な非人道的行為を対象としたものです。A級戦犯は単に「平和に対する罪」で裁かれたのではなく、膨大なB級の戦争犯罪があって、その全体の責任者として裁かれているのです。しかし日本の議論では、そのB級の犯罪というものが、東京裁判を議論するときの意識から完全に抜け落ちてしまっています。

これは戦犯裁判がなぜ、このような形で開かれたのかということに関わってくるのですが、「平和に対する罪」というのは新しい概念で、それ以前は、「通例の戦争犯罪」、B級にあたるものがあっただけでした。「通例の戦争犯罪」というのは基本的に個別の犯罪のケースだけを取り上げるのですが、第二次世界大戦が始まると、ナチス・ドイツも日本も各地で次々と同じような残虐行為をやっている。そこで、これでは個別ケースの責任者を処罰するだけではとても済まない、これだけ広範囲に同じような犯罪を行なうのは国家なり軍隊の組織的な行為である、その全体を指導している指導者を裁かないかぎり、とても対応できない、という認識が出てきます。そこから、国家、軍、ナチスの指導者を裁こうという問題意識が出てくるのです。そして、単に侵略戦争を始めたというだけでなく、膨大な残虐行為を行なうような戦争を計画し、準備し、実行した者を裁かなければならない、という認識から「平和に対する罪」という考え方が出てきたのです。

東京裁判においてもB級の犯罪が膨大に取り扱われ、裁かれていて、「平和に対する罪」だけで死刑になった人はいません。死刑になったのは全てB級で有罪になった人物です。ですから、東京裁判がA級戦犯の裁判だというのは必ずしも正確ではありません。そうした日本人の認識ではB級の部分がすっぽり落ちているのです。さらに当時はジェンダーの視点などあるはずがないので、「慰安婦」問題を取り上げるはずがないという思い込みもあったのかもしれません。いずれにせよ、東京裁判で「慰安婦」に関する証拠書類が出されたとは思わないので、きちんと調べられなかったように思います。東京裁判が実はB級犯罪を扱っているという認識そのものが、どうも欠落してしまっている。これまでの議論では、天皇や731部隊が免責されたとか、東京裁判で何が裁かれなかったのかにのみ焦点があてられ、何が裁かれたのか、あるいは不十分だったとしてもどの程度まで裁かれたのかという、裁かれた部分が実はしっかり調べられておらず、また議論もされていない傾向があるのです。

東京裁判は「アメリカによる裁きだ」というように、「アメリカが……、アメリカが……」という形で東京裁判が議論されますが、もともと国家や軍の指導者を戦争犯罪人として裁判で裁くの考えは、むしろ英米ではなく、ヨーロッパの中小国や中国から提起された政策でした。アメリカにしてもイギリスにしても「平和に対する罪」には非常に消極的だったのですが、それをむしろ中小国の世論がアメリカのような大国を動かしていきます。アメリカが政治的に利用したのは確かにそのとおりなのですが、なぜあのような裁判が開かれたのかということを歴史的に見ていくと、実際に残虐行為の被害を受けた中小国の要求が出発点にありました。さらに戦争の惨禍の再発を防ぎたいという国際法学者や知識人なども協力し、国際法廷による裁判を求める動きを作り出しました。その声を受けたアメリカがうまく受け継ぐ形で国際法廷にもっていきます。ですからアメリカの政治的な裁判だという側面だけではないものがあるのですが、そこが日本の議論や認識ではすっぽりと抜け落ちてしまっているのです。政治的な立場を超えて右から左まで、東京裁判はアメリカによる政治的な裁判だという議論で足並みを揃えてしまっているのです。そのため東京裁判が非常に政治的にばかり語られてしまっています。

一つ例を挙げてみると、首席検察官であったアメリカのキーナンは、「平和に対する罪」と真珠湾攻撃を取り上げればよいという考えでしたが、それを他の国の検察団が批判し、B級犯罪が膨大に取り上げられました。ですから、検察団の訴訟方針は必ずしもアメリカの思い通りにはなっていません。もし、キーナンの最初のやり方で「平和に対する罪」と真珠湾攻撃だけを扱っていたとすればどうなったでしょうか。東京裁判の判事団は、真珠湾攻撃については戦争犯罪として扱うことは無理だったので不問にふしましたから、「平和に対する罪」だけが有罪の理由になったでしょう。しかし「平和に対する罪」は新しい法概念でしたから、判事団がそれだけでは死刑にはしなかったことを考えると、最終的に誰も死刑にならなかった可能性があります。アメリカ以外の国々が「通例の戦争犯罪」、いわゆるB級戦争犯罪を膨大に取り上げたからこそ死刑判決が出されているのです。裁判の外側ではアメリカの政治性が大きく作用しているのですが、裁判そのものはアメリカの思い通りにはなっていない部分がたくさんあったのです。

これまでは東京裁判の外側について関心が集まってきました。それは非常に重要な研究や議論であり、そこでよく言われるように、アメリカが東京裁判を政治的に利用したというのは確かにその通りだと思います。ただし、裁判そのものの研究は逆にかなり遅れています。東京裁判に提出されていた「慰安婦」関係の証拠書類を発表した理由は、安倍首相らへの批判と同時に、そうした東京裁判研究や議論の歪みへの批判ということも意識していました。この間、言説や記憶の議論が流行っていますが、事実の検証が軽視され、事実は何だったのか、を基の資料にあたって根気強く実証する仕事が軽視される傾向があるように感じています。東京裁判についても、それぞれが自分はこう思っている、こう考えたいという自分で作ったイメージを投影させて議論している傾向があるように思います。そのような学問分野もあるでしょうから、そうした議論にも意味はあるのでしょうが、実証的なベース抜きのそうした議論には非常に違和感があります。戦犯裁判について、あらためて実証的な研究をしっかりやる必要があると思っています。(談)