『歴史地理教育』No.737  2008年11月増刊号

日本の戦争責任を問う  

  ―沖縄戦「集団自決」と日本軍「慰安婦」問題と現代日本

                           林 博史


 2008年8月2日、歴史教育者協議会の第60回東京大会の全体会でおこなった講演の記録です。講演を編集部がまとめたものに私が手を入れたものです。実際に話した内容よりもかなり短くなっています。沖縄戦の「集団自決」については、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(吉川弘文館、2009年)を書いていたところでしたので、くわしくは同書をご覧ください。図は、ウェブ上では省略しましたが、修正した確定版は同書に載っています。 2009.9.19記


 一 はじめに―歴史の隠蔽と偽造のはじまり

 最近、新聞で三つの資料を紹介しました。一つは、敗戦直後に、各地の日本軍に対して、公文書を焼却せよ、天皇の御真影や天皇の署名など天皇にかかわるものを全部処分せよという指示の文書です(四月五日付地方各紙)。兵器についている菊の紋章も削り取れと命令しています。この暗号電報を米英が解読したものです。これを見ると、敗戦と同時に、歴史の隠蔽が始まったことがわかります。

 二つ目は、敗戦直後ですが、シンガポールなど東南アジアで、日本人の慰安婦を補助看護婦にしろと命令電報です(六月二〇日付地方各紙)。シンガポールは四五年八月一日付で看護婦に登録したということです。ここでも慰安婦の存在そのものを消し去ろうという歴史の隠蔽が始まっています。

 日本軍は当初より、慰安所への軍や政府の関与を隠そうとします。有名な資料は、一九三八年十一月に内務省警保局(現在でいうと警察庁)で出した一連の文書です。中国にいた軍の参謀が陸軍省の課長といっしょに内務省に来て、日本本土から五百人女性を送ってほしいと要請しています。大阪や兵庫などの五府県に割り当て、集めた女性を、業者が台湾まで運び、軍に引き渡せと。そこでは「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運び」という指示を出しています。

 天皇の戦争へのかかわりと「慰安婦」の隠蔽の二つを同時に明らかにしようとしたのが、二〇〇〇年の女性国際戦犯法廷でした。NHKに安倍や中川たちが介入をして、天皇の責任の問題や「元慰安婦」の証言を削除させた事件にもつながります。

 三つ目は、沖縄戦のときの警察官の日記です(『沖縄タイムス』六月一一日、『朝日新聞』六月二四日)。警察官が山の中に避難している住民たちの動向を監視して、住民たちが米軍に保護されないように勧告していることがわかります。戦争は軍だけでできるわけではないので、行政や警察の役割も大きいことを示しています。

 

  二 沖縄戦における「集団自決」の要因

   沖縄戦の「集団自決」とは、「地域の住民が家族を超えたある程度の集団でもはや死ぬしかないと信じこまされ、あるいはその集団の意思に抗することができずに自決または相互殺し合い、あるいは殺されたできごと」と理解しておきます。キーワードは「地域」と「集団」です。「集団自決」を引き起こした要因を簡単に紹介しておきます。(詳しくは「季刊戦争責任研究」六〇号参照)。

 第一は、住民に対しても捕虜になるな、捕虜になることは恥だという徹底した宣伝・教育です。皇民化教育というのはそれにあたると思います。と同時に、民間人が潔く死を選んだことは立派なことだという賞賛が一方でされます。

 第二に、アメリカ軍に捕えられると、男は戦車でひき殺され、女は強かんされたうえでひどい殺され方をするという脅迫や恐怖心を煽ったことです。特に若い女性にとっては深刻な影響を与えたことが、多くの証言でわかります。沖縄にいた日本軍のかなりの部分は中国から来て、中国戦線での話をします。強かんはやり放題だったとか、中国人の首を切ったという話をしますから、日本軍でさえこうなのだから、まして鬼畜であるアメリカ兵であれば当然もっとひどいことをすると人々からは受け止められたと思います。

 第三は、アメリカ軍に投降しようとした人、保護された人、食糧をもらった人々が、日本軍に殺されます。これは慶良間列島でも沖縄本島でもそうです。そうすると、どう転んでもアメリカ軍に捕まることは死を意味することになります。

 第四は軍の文書にもある「軍官民共生共死の一体化」です。「集団自決」というのは戦後の言葉で、当時は「玉砕」という言葉を使っています。日本軍が「玉砕」=全滅するときには民間人も一緒に「玉砕」するという思想です。

 第五に軍が手榴弾を配布したことが、非常に大きな要因になっています。とくに渡嘉敷と座間味ではあらかじめ将兵が住民に、手榴弾を配っている。軍が組織的にやったとしか考えられない。責任者である部隊長が命令したか、少なくとも認めていた。その隊長の責任が免れるものではないと思います。「集団自決」というと、渡嘉敷、座間味など慶良間列島の例が注目を浴びますが、伊江島や沖縄本島でもあります。それらでは、正式の軍人である防衛隊員が手榴弾を持ち込んでいます。

 防衛隊員が敵前逃亡の罪で銃殺されたという例がありますから、防衛隊員たちが何故、米軍が迫ってくる中で家族の下に行けたか、これ自身が大きな問題なわけです。何らかの形で軍の承認・容認があったとしか考えられない。  
 さらに慶良間の場合は「集団自決」をするきっかけは、軍命が下されたと聞いたことです。

 

 三 無責任な天皇制国家の構造

 次に、「大塚備忘録」という資料があり、一九四四年七月二日の陸軍省内の会議について記載があります。資料そのものはもう十年ほど前に沖縄の研究者が紹介しておられますが、あらためて紹介したいと思います。

 この時期はサイパン戦の最中ですが、もう日本軍が負けるという状況の中で、軍が全滅した時に日本人の民間人をどうするのかを話し合っています。日本軍が負ける中で、約二万人の民間人を抱えて戦ったのはこのサイパン島が最初です。  
 ですから民間人をどうするのかが、問題になっていきます。重要なところは、「女子供自発的意志において皇軍とともに生死苦楽をともにするになれば、誠に大和民族の気魂は世界及び歴史に示されることが願わしいが、之を政府特に命令において死ねというのは如何なるものか」。「非戦闘員は自害してくれればよいが・・・」。つまり民間人が女性や子どもも含めて自決してくれればいいが、軍中央の命令で「おまえたち死ね」と言えるのかというと、それはできないという結論です。

 しかし中央がそう考えたのは、軍の命令を出すと天皇(大元帥)に責任が及ぶ。当然、天皇を補弼している軍中央の責任追及も免れ難い。ですから民間人は自分たちで死んでほしいけれども、軍中央としてはその「命令はできない」という軍の身勝手な考えを示した資料です。

 サイパンはまもなく米軍の占領下に入りますが、翌八月から、サイパンでは民間人も軍とともに進んで死んだ、「自決」したというキャンペーンがはられます。多数の住民が米軍に保護され、また多くの捕虜が出ていますが、それは一切報道されません。そして民間人も軍と一緒に死を選んだことと同時に、この時からアメリカ軍の残虐性、残忍性を暴くというキャンペーンが始まります。それまで内務省は、検閲の際に、アメリカ軍による残虐行為の報道は抑えていました。あまり書きすぎると国民の士気、戦意に影響があるからです。ところがこの八月以降は、それをやらせるようになります。アメリカ軍というのは民間人であっても捕まえて非常に残虐なことをするというのが、これ以降、大々的に新聞や雑誌などで宣伝されるようになります。この四四年八月は沖縄に大量の日本軍が配備される時期に重なります。

 これは天皇制国家の一つの重要な特徴です。つまり住民たちを自決させたいが、軍中央は命令したくない。そのためにいろいろな手段を使って、いざという場合に住民が死ぬように仕向けていくのです。そうすれば住民が「自決」をしても、これは「住民が自発的にやった」「軍中央は関係ない」「天皇も関係ない」と言い逃れができるわけです。ある意味でこれは非常に悪質なのです。誰かが明確に決めたわけではないけれども、皆が動きはじめる。ですから日本軍が玉砕するときには民間人も死ぬということは、特定の命令なり、決定に基づいて行われるというよりは、国家全体の強力な意思として人々に強制徹底されていくことになります。

 誤解のないように言っておきますが、先ほどの「大塚備忘録」の決定は陸軍省内のみにとどめ、一切外部には漏らすなと言い渡されています。だから陸軍省外の軍人、一般の国民からすると、民間人でもいざという場合自決せよ、それが名誉なことだというキャンペーンがはられれば、当然それは国家全体、軍全体の意思だと理解します。  
 現場では、部隊長なり将校なりが当然住民も軍と一緒に玉砕するのだと信じ込みます。それが軍の意思だと考えますから、それに従って命令や指示をすることはいくらでもありうる。でも仮に個々の現場で命令や指示などがあったとしても軍中央は責任を問われないようにするという仕組みなのです。

 

 四 「集団自決」が起きていない所

  沖縄戦で「集団自決」が起きなかったところはたくさんあります。『歴史地理教育』三月増刊号に事例を紹介しています。日本軍がいたところでも日本軍の部隊長あるいは将校クラスが、「おまえたち自決するな、はやまるな」と止めたところではおきていない。それを考えると、座間味や渡嘉敷で部隊長が「絶対死ぬな」と言ったとか、「生き延びよ」と言ったというのは考えにくい。もし本当ならば、ああいう行動にはでなかったと、逆に推測できます。

 沖縄各地で人々が実際にどう行動したのかということを調べて感じたのは、人は、簡単に「自決」というか、死を選ぶことはできないということです。やはりぎりぎりのところまできても、何とか生きられるのではないか、生きたいと考えます。そのときに「生きたい!」と言えるかどうか、アメリカ軍の呼びかけがあったときにガマから外に出ようという行動を実際とれるかどうかを分けるものは、そこに日本軍がいるかいないかです。ですから、戦時体制を行政や警察、教育、マスコミが作ってきますけれども、最後の最後で人々を死に追い込んでいくのは日本軍の存在だろうと思います。

 「集団自決」が集中しているのは慶良間列島と伊江島ですが、慶良間というのはマルレ(爆薬をつんだモーターボート)という陸軍の海上特攻隊の基地があり、特に厳しい防諜体制が取られました。恐らく沖縄の中でも軍官民一体という体制が一番、強かった地域だと思います。伊江島の場合は、軍官民一体化にとどまらず、少しでも竹槍を持てる者、手榴弾を持てる者、爆弾を担げる者は戦闘員にされていった。そういう意味で住民の戦闘員化が最も進んでいた地域といえます。

 

 五 地域社会の支配構造という問題

 次に、地域の支配構造という視点から考えてみたいと思います。慶良間列島の渡嘉敷や座間味島あたりを念頭において、地域のあり方を考えると、図(略)のようにまず地域の支配層(A)がいます。これは村長その他の人々です。彼らはずっと同化、皇民化政策を推進してきて、軍と一体化している層です。沖縄の場合はこの層が強力な力を持ち、この決定に他の村民たちが抵抗できるかというと、なかなかできない。彼らは中等教育なども受けています。沖縄の文化・社会は「遅れている」、だからより日本人になりきろうと考えます。お国のために命を捧げることは、日本人になるための最も模範的な行動だという意識をもっています。

 ただし沖縄全体で日本軍が四四年から駐留するようになると、日本兵が非常に乱暴で、いろんな非行を行います。その中で軍と地域の支配層が対立をして、支配層の中で軍に対する不信感が出てきます。その結果、軍と官、軍と民の信頼関係が崩れてくる所では「集団自決」は起きていません。慶良間の場合は最後まで一種の信頼関係、軍官民の一体化が継続していたというのが特徴だと思います。

 その下に成年男性たち(B)がいます。元軍人であれば在郷軍人です。十七歳から四十五歳までは防衛隊として根こそぎ召集されます。かれらは、各家に戻ると父親であり、夫であり、家族の長です。家長とか戸主は、平時と戦時を問わず、重要な役割を果たしています。少年少女たち(C)は、最も皇民化教育が徹底されていた人々です。とくに少女たちの場合は、強姦されるという恐怖が深刻でした。ABの下に、女性(D)・老人(E)、子どもたち(F)がいて地域が構成されています。この女性たちも、地域の支配層に対して異議申し立てをできないし、家の中では家長の支配に対して抵抗できない人々です。子どもの場合は抵抗どころか意思決定さえもできない層です。

 この図の三角形の上に、天皇・国家と軍がいるわけですが、軍は、先ほどいったように、地域の支配層や住民たちに、死ねと強制してきます。こうしてAが「集団自決」の音頭をとっていくわけですが、その下で家長、大人の男たちが、手榴弾を爆発させる時に主導権をとります。手榴弾が不発に終わったり、死にきれなかった場合には、鎌や包丁、石とかを使って家族を確実に殺していくという役割を果たすのが、このBの層になります。もし家長あるいは戸主がいない場合には、十代の少年、つまり次の家長になるべき男の少年がその役割を果たしていく。金城重明さんなどはそういう役割をさせられた。ですから、「集団自決」を一人ひとりに強いていく過程で、軍の意思によって地域、さらに家父長制的な家の構造というのが使われていくのです。

 

 六 家父長制の下の男らしさー今にいたる問題

 家父長制は、歴史学では明治民法下の家制度のような意味で使うことが普通ですが、ジェンダー研究等では、欧米も含めて近現代の家族のあり方として理解します。私は、両方を含めて念頭に置いています。男が家長あるいは戸主となって家族を管理し、そして保護する役割を担っている家族のあり方と、とりあえず理解しておいて議論を進めましょう。そこでは女性や子どもは男によって管理されたり保護されたりする対象です。そこから「女子ども」という言い方をするわけですが、ここに家父長制的な意識、認識が反映しています。

 「集団自決」では、家長として家族を確実に殺そうとするわけです。これはある意味で家族を守ろうとする行為でもあると思います。つまりアメリカ軍にとらわれると家族は凌辱をされて、無惨な殺され方をする。それよりは自分がひと思いに殺したほうが、例えば若い女性であれば清い体のままで死ねるという考え方をします。体験者の金城重明さんはそれを「愛」と表現されています。

 ここで家における男の役割が、家族を殺すことに使われているという問題があります。ですから、手榴弾を爆発させたり、その後の悲惨な事態を生み出しているのは、この家制度における男のあり方の問題だと思います。この家族を守る、女子どもを守るためという論理は、また兵士たちを戦場に動員していく論理でもあります。石原都知事が推薦して作られた特攻隊の映画は「俺は、君のためにこそ死ににいく」というタイトルでした。ここでいう「君」は天皇ではない。むしろ若い女性や、妻たちを念頭に置いているでしょう。

 もう一つ考えたいのは、例えば秋葉原事件のような現在における無差別殺人、暴力の問題です。事件では、男であっても正規労働者になれない、非正規でバカにされて一人前に扱われない問題が背景にあると指摘されています。確かにそれは一面ではその通りですが、これは長いあいだ女性たちがずっと味わってきた経験でもあるわけです。でも女性たちは、無差別殺人に出てはいない。そうするとこれは格差や労働の問題だけではなく、男らしさ、男のあり方が暴力を生み出しているのではないか。暴力というのは、自分が相手より優位にあることを示す手段でもありますから、バカにされ、一人前扱いされない時、何とか見返したい時に暴力に出るという問題があるのではないか。なぜ男のあり方がこういう暴力なり殺人に向かってしまうのかを考えると、「集団自決」を生み出した家とか、男のあり方は、現在の日本においてもそれほど変わっていない側面があるのではないかと感じます。

 慶良間でも宮城晴美さんが座間味の例を分析されて、大人の男性がいないところでは、「集団自決」による犠牲者数は少ない傾向があると報告しています。女性だけの集団だと、手榴弾が不発に終わると、それ以上はやらない。  
 「集団自決」では、女性と子どもの犠牲者が多いのは、男たちは兵隊に取られたということがありますが、やはり大人の女性たちが地域社会や家制度の中で、発言が封じられ、抵抗できなかったことの反映と見るべきではないでしょうか。
 慶良間の場合は、そういう特徴があると思います。ただ伊江島だとか沖縄本島の場合にはかなり戦闘の中で地域の支配、家の支配というのが崩れてきます。その場合は、軍が直接的に介入している。

 「集団自決」の問題は、もちろん軍の責任というのが一番大きいと思いますが、単純に軍の命令で起こったというだけではすまない。国家や軍中央だけでなく、人々をそこに追い込んでいく地域の構造も見ていく必要があるのではないかと思っています。

 

 七 侵略戦争の中の「沖縄戦」「集団自決」

  侵略戦争全体との関係で四点をみていきます。

第一は、「特攻隊」と重なる問題です。「本人が志願した」といって特攻を美化する人々がいますが、保守的な研究者を含めて、「志願が強制」されたと指摘しています。また特攻隊に「命令によって編入」されたケースも少なくありません。  
 日本軍というのは、ある程度以上の部隊は、天皇の命令で編成します。そこで陸軍では特攻隊を天皇の命令にもとづいて編成するかどうかが議論になります。そこでは、天皇の命令にもとづく特攻隊の編成命令は出さない、が結論です。実際に最後までそうかどうかは検討が必要ですが、少なくとも陸軍の内部では、現場の部隊長の判断で特攻隊を編成するやり方をとったようです。責任回避の仕方は「集団自決」問題と共通するものがあります。

 第二は、捕虜を許さない思想の問題ですが、日本軍将兵の戦死者合わせて約二百三十万人といわれています。藤原彰さんは、少なくとも半分以上は餓死、広い意味での飢え死だという研究成果をまとめました(『餓死した英霊たち』)。
 普通は、武器弾薬がなくなり、食料もなくなれば、投降し、捕虜になるわけです。外国では、それが当然です。しかし日本軍は、向こう側にはアメリカ軍がいるのに降伏できないで餓死をしていく。餓死しない場合は、「万歳突撃」という戦法をとって死んでいく。あの当時の日本が、少なくとも他国並みに捕虜になることを認める軍隊ならば、百数十万人の日本軍将兵の命が助かったはずです。

 日本軍による連合軍捕虜に対する虐待というのが戦後、戦犯裁判、特にBC級戦犯裁判で追及されます。捕虜は、非国民、ろくな兵士ではないという侮蔑意識が、虐待を生み出していくわけです。さらに中国兵の場合には、南京で虐殺された人の中の半分、あるいはそれ以上が捕虜と見られていますが、捕虜にもせずに処刑しています。だから捕虜を許さないという特異な思想が、侵略戦争の中で連合軍捕虜の処刑や虐待、さらに多くの日本軍将兵や民間人の命を奪ったのです。

 第三は、「自決」という言葉についてですが、「集団自決」という言葉を使うべきでないという人は、「自決」は軍人がやるので民間人がやるわけではないから、おかしいという議論をします。司令官クラスや高級幹部が、敗戦で自決をするのは、日本だけではなく各国にもあります。しかし幹部や司令官クラスが自決しても、部下たちは逃げたり捕虜になることを許すわけです。しかし、この「自決」を、日本では、二等兵にいたるまでのすべての将兵や「民間人」にまで強制しました。しかも自分で死に切れない者は周囲の者が殺していく。そういう意味で私は「強いられた集団自決」という言葉が、最も適切だと考えています。

 第四は、沖縄第三二軍の牛島満司令官、参謀長の長勇のコンビは、二人とも南京攻略戦に参加し、南京虐殺にもかかわっている将校です。牛島満は、沖縄に来る前に陸軍士官学校の学校長をやってますが、その教え子に韓国の朴正煕がいます。韓国の独裁政権を作った朴正煕も、たぶん牛島の訓示を受けていた生徒だったと思います。また三光作戦の山西省で編成された部隊が六二師団として沖縄にきています。

 シンガポール、マレー半島では、太平洋戦争が始まった四二年に、華僑粛清というのをやります。シンガポールでは日本軍の資料でもだいたい五千人、現地では四万から五万人が虐殺されたといっています。私は去年、『シンガポール華僑粛清』という本を出しました。山下奉文司令官のもとで参謀長として粛清作戦を作ったのが鈴木宗作中将という人です。彼は慶良間に配備されたマルレという特攻艇の開発命令を出した人です。梅沢や赤松は、その船隊長なのです。  
 ですから、侵略戦争のいろんな経験が沖縄戦の中に流れ込んできている。そういう意味で沖縄戦が侵略戦争の行き着いた先だったということができると思います。

 

    「慰安婦」正当化と決議・権力の連続性

 次に「慰安婦」問題について述べていきます。右派のやり方は、全体状況を切り離し、ある一点のみを否定する。「集団自決」では「隊長命令がなかったから、日本軍の強制そのものがなかった」という。「慰安婦」の問題でいうと、無理やり連れていった「強制連行」はなかったから「慰安婦」そのものは強制ではないという論理です。また被害者たちは金欲しさに嘘をついているという言い方をします。沖縄でも援護金の金欲しさに「軍命」という嘘をついているといいます。被害者、あるいは住民の証言は信用しないのも共通しています。

 去年、アメリカ議会をはじめとする日本軍の「慰安婦」問題に関する決議があがりました。少なくとも一九九〇年代に、こうした戦争責任の問題に関して、世界の認識の転換が行われます。日本では、国家間の賠償をやったので解決済みだという見解を日本政府はとり、多くの人がそう思っています。それは、例えば強姦事件を引き起こした加害者が被害者の女性本人に謝らないで、父親にとりあえずお詫びをし金を渡して、解決済みだというのと同じです。被害者の女性がどうして自分に謝らないのか、何の償いもしていないと抗議すると、いや、あなたの親父と話はついている、金を渡したという認識です。その認識そのものが家父長制的な認識です。

 しかし九〇年代に国連の人権委員会(今は人権理事会)では、これは国家間の賠償の問題ではなくて一人ひとりの被害者の人権回復の問題だというふうに認識が変わるわけです。

 二〇〇〇年の安保理の決議では、戦時性暴力の加害者、責任者に対する「不処罰を断ち切ろう」という決議が上がっています。今年の六月にも同じような趣旨の決議が再度上がっています。それらの変化の背景は、第二次大戦後、至るところで戦時性暴力というのが繰り返されている。なぜこれが繰り返されるのかというと、それは最初の扱いが間違ったからだ。つまり、最初の組織的な戦時性暴力は日本軍「慰安婦」制度ですから、その責任者を処罰せず、国際社会がきちんと取り上げなかった。だから戦時性暴力が犯罪にならない、許されるという世界になったという反省があります。

 世界では、六十数年前の昔話を蒸し返しているのではなく、現在の戦時性暴力をいかに解決するのかという問題意識なのです。米下院のラントス外交委員会委員長は、日本がそういうことをやればアジアと世界におけるリーダーとしての地位を強固にすると、励ましの言葉を送っています。

 さらにもう一つ、戦時ではない日常の性暴力や人身売買という視点です。これは米下院決議を支えたNGO(アジアポリシーポイント)のミンディさんは、、現在の人身売買などすべての問題の前身が「慰安婦」問題だという認識を持っています。EU決議においても「慰安婦」制度というのは二十世紀の人身売買の最も大きなケースの一つと言っています。

 かつて日本で横行していた人身売買も多くの場合は、親に金を渡して娘を連れていくというケースで、これも家父長制的なやり方です。ところが安倍前首相らは、そういうものは強制連行とは言わない、だからかまわないという論理です。そこには人身売買は別にかまわない、そんなに問題ではないという認識があるわけです。 現在の日本は人身売買が横行し、売春を強制されていく女性たちがたくさんいます。アメリカ国務省が、二〇〇四年に人身売買に関して日本は監視対象国という、非常に悪いランクに落とされました。それに驚いた日本政府は〇五年にようやく人身売買禁止の国際議定書を批准し、初めて刑法に「人身売買罪」を新設しました。人身売買した女性子どもを海外に連れだすことは、戦前から犯罪ですが、二〇〇五年までは、国内で売り渡しても犯罪ではなかった!のです。実は「慰安婦」で、人身売買で集めた女性を中国や東南アジアに連れていくというのは戦前から犯罪だったことを忘れてはいけません。

 

 九 権力の連続性と権力の交替

 「集団自決」削除の教科書問題では、戦後、東大文学部国史学科にいた平泉澄という皇国史観の代表の教え子がずっと教科書調査官に入っています。家永教科書や、一九八〇年代に江口圭一さんの沖縄戦での日本軍の住民虐殺の記述を削除させています。八〇年代に平泉門下がいなくなると、その後は「新しい歴史教科書をつくる会」に参加した伊藤隆元教授の教え子たちが入ってくる。

 この権力の連続性については、政界では、安倍前首相がA級戦犯の岸信介の孫であるとか、先ほど紹介した一九三八年に「慰安婦」を集めて中国に連れていった担当課である、内務省警保局の課長二人うちの警務課長は、町村金五です。高村外務大臣の父親も近衛文麿の側近です。

 しかし世界的な視野でみると、韓国で軍事政権が倒れ盧武鉉政権になってから、日本の植民地時代から軍事政権による人権侵害、朝鮮戦争における韓国軍や米軍の犯罪を追及しています。つまり韓国の国家権力の犯罪も明らかにされつつあります。

 最近オーストラリアでケビン・ラッド労働党の首相がアボリジニに対する謝罪決議をやります。スペインでもサバテロ政権は、二〇〇四年の総選挙で社会労働党が選挙で勝って、政府がイラク戦争でのアメリカ支持を転換して有名になります。〇六年〜〇七年には、三〇年代のスペイン内戦からフランコの独裁政権における人権侵害、残虐行為について、不当であったという宣言をして被害者の名誉回復措置をとっています。サバテロ首相の祖父が共和国派でフランコ派に処刑されている。またこの政権は、閣僚十八人中九人が女性です。

 最後に「集団自決」「慰安婦」は、若い人や学生に、自分とは関係ないと受け止められがちです。でも、何故男たちが家族に手をかけたのか、そこでの男の役割は、今の社会の男の役割とつながってはいないかという視点で考えることもできるでしょう。「慰安婦」問題も現在の人身売買や売買春の問題につながっています。

 

(編集委員会註 これは大会講演に編集委員が見出しをつけ、誌数の範囲でまとめた原稿で、順序も少し変更したものです)