『季刊 運動<経験>』第26号、20088

「歴史の『偽造』と戦争責任問題」  

                                                     林 博史


 これは、2008年4月29日に都内で開催された反「昭和の日」集会での講演です。テープおこしをして、上記の雑誌に掲載されたものです。 2009.1.11記


 きょうは「歴史の偽造」という問題に関わって話をしてほしいといわれました。学習会ではないので、あまり細かな、実証的なことは抜きにして、少し大きな話をしたいと思っています。

 今年の四月五日に、私がイギリスで見つけた資料について、共同通信から記事を出しました。共同通信ですから、地方紙は載せてくれたんですが、東京の新聞は載せてくれませんでした。ですから、東京に住んでいる者だけが知らないという、そういうことになったんですが。その資料というのは、日本軍、あるいは日本の外務省から出した、敗戦と同時に重要な文書を焼却せよという命令です。  
 もちろん、命令文そのものは残っていません。国内の場合にはほとんど口頭、電話などで伝えられています。しかし海外にいた日本軍にそれを伝えないといけない。それで、当時は暗号無線で連絡をしたわけですね。電報で焼却処分せよとの命令を伝えるんですが、その電報の末尾には、この命令は読んだあとで焼却せよという言葉がついています。

 ですから、海外においても元の文書が残っているわけではありません。ただ、アメリカ軍やイギリス軍がその無線を傍受し、その暗号を解読したものが残っていたわけです。この前、イギリスで見つけたものもその一つで、きょうのテーマとの関連で言いますと、天皇に関するものがありました。たとえば、「御真影」だとか、天皇の署名のある文書は、ともかく焼却せよと書かれている。おもしろいのは、ほかの軍の文書に関しては、焼却処分せよという書き方をしているだけなんですが、天皇に関するものについては、箱の中に入れて──見つけた文書というのはもちろん英文しかないわけですから、元の日本語がよく分からないんですが──うやうやしく火に捧げなさいという書き方をしているんです。それから兵器には菊の紋章がついていましたが、その菊の紋章を全部削り取れという命令も出されています。

 つまり、天皇が軍とがかかわっていた痕跡を、すべて消せという命令が、敗戦と同時に東京から、中国や東南アジア各地の日本軍に伝えられたということです。兵器などは、すでに連合軍にたくさん押収されていますから、意味がないと思うんですが。しかし敗戦と同時に天皇と軍との関わりを抹消しようとする、歴史の偽造というのが始まっていく、そういうことがあったといえると思うんです。

 

 ●「捕虜になること」を許さない思想の帰結

 

 この間、沖縄戦、とりわけ「集団自決」の問題をめぐって、大きな動きがありました。しかし、「集団自決」における日本軍の強制ということを、文科省は最後まで認めないままできています。  
 沖縄の新聞は日本軍の「強制」が認められなかったときちんと報道しているんですが、「本土」のメディアはそうではありません。沖縄では、ご存知のように自民党を含めて、まさに超党派で軍の強制の叙述の復活ということを要求した。そのことを、沖縄のメディアは繰り返し取り上げているわけですね。しかし、「本土」のメディアは、そもそも「軍による強制」という記述を削除させたことの問題はあいまいにしたうえで、結果として軍の「関与」の記述が復活したからよかったんじゃないかという、そういうレベルで報道をしています。

 この沖縄戦の問題というのは、実は沖縄戦だけの問題ではありません。沖縄戦の「集団自決」に関して、大江健三郎さんや岩波書店を相手取った裁判が大阪であり、先月、判決がありましたが、この裁判をおこしたグループは、南京虐殺の「百人斬り」はなかったという訴えを起こしたグループでもありますし、同じ人たちが、「慰安婦問題」などでも騒いでいます。ドメスティック・バイオレンスの問題を行政が取り上げて講演させること自体がけしからんといって、筑波で講演会が中止させられましたが、そういう攻撃をかけているのも彼らです。最近では映画「靖国 YASUKUNI」の上映妨害にも手を染めました。一連の、そうした行動の中で、沖縄戦の問題もあったわけです。  
 詳しいことは省略しますが、結論だけ言っておきますと、私は「集団自決」は、日本軍とその当時の国家の強制、誘導、脅迫、教育などによって、住民が死を強いられたものであるというふうに理解しています。これは多くの沖縄の人々の、共通の認識でもあるだろうと思います。そこで、「集団自決」は沖縄の問題だ、沖縄の人々の感情を、もう少し配慮しないといけないんだというような議論が、本土のメディアの中でも、あるいは、政府や自民党の中でもあります。しかし、果たしてそうなんだろうか。そこで少し問題を広げて考えてみたいんですけれども、たとえば特攻隊というのがあります。特攻隊に関する議論と、「集団自決」をめぐる議論というのは非常に似ていると思うのです。

 特攻隊は、自ら進んで御国のために青年たちが命を捧げた尊い行為だという、そういう議論があります。しかし、かなり多くの青年が、まさに無理やりに、命令によって特攻隊に編入させられているんですね。仮に、外見的には志願をした形をとっていても、志願せざるを得ないような状況に追いやられているわけです。志願しないやつは非国民だ、弱虫だと。そういう圧力に耐えられないような状況のなかで、志願が強いられていく。こうした点は、保守的な研究者も認めざるを得ないわけですが、これは「集団自決」と同じような問題があるのではないかと思います。

 「集団自決」を引き起こした大きな要因として言えるのが、当時の日本軍、あるいは日本国家の、捕虜になってはいけないという考え方です。軍人だけではなくて、民間人であっても捕虜になってはいけない。ですから、米軍に捕まるぐらいなら「自決」しろという話になる。  
 藤原彰さんという、私の大学院時代の先生でもある研究者が明らかにしたように、十五年戦争における日本軍人の戦死者約二三〇万人のうち半数、あるいは半数以上が餓死なのです。なぜ餓死するのかといえば、これはもう単純なことです。武器や弾薬も使い尽くし、食糧もなくなって、もうどうしようもなくなれば、普通の国の軍隊であれば、そこで白旗を掲げて降伏するわけですね。ところが、日本軍の場合は捕虜になることは許されません。どうなるかというと、そのまま飢え死にしていくしかないのです。

 よく南太平洋の島々で、「バンザイ突撃」、つまり喚声を上げて米軍に突っ込み、機関銃で撃たれてバタバタ死んでいくという光景があったわけですが、これも、捕虜になれないので殺されに行ったようなものです。ですから、餓死や、いわゆる「玉砕」というかたちで、たくさんの日本軍の兵士たちが、死を強いられた。二三〇万人という日本軍の戦死者の半数以上、つまり少なくとも百数十万人が、日本軍および日本国家によって、死を強いられたわけです。  
 捕虜になることを許さない、捕虜になることは恥だという考え方がある以上、それは捕虜になるようなやつは、ろくな者じゃないという、捕虜に対する侮蔑意識を生み出します。捕虜を人道的に扱うという意識はなく、これが、日本軍による欧米捕虜に対する虐待となって表れてくるわけですね。戦後の、特にBC級戦犯裁判でそのことが裁かれることになりました。
 
 ただ、日本軍は、欧米の将兵、特に白人将兵は一応捕虜にしたわけです。では中国においてはどうだったのか。中国においては、捕まえた敵兵を正式の捕虜にしませんでした。南京虐殺に典型的に見られるように、捕まえた中国兵は、その場で殺していった。日本の研究では、南京虐殺の死者は約二〇万人と言われています。おそらくその半分が捕虜の虐殺です。

 この、捕虜になることを許さないという思想が、日本の国民のみならず、アジアの人々や欧米の人たちを含めて、非常に多くの犠牲を生み出した。そういう日本の侵略戦争による加害と被害につながる、広がりを持った問題だろうと思います。

 

 ●戦争と性暴力・残虐行為

 

 もういちど、沖縄戦に戻りますけれども、「集団自決」にいたる過程で、アメリカ軍に捕まると、ひどい目にあわされて無惨に殺されるんだという、そういう恐怖心が日本軍によって煽られたわけです。中国で日本兵が実際にそういうことをやってきたわけですから。日本兵が住民に対して、たとえば女なんてやりたい放題だとか、こうやって中国人の首を切ったんだ、あるいは銃剣で殺したんだとかいう話をしてきたわけです。当時の日本軍は天皇の軍隊=皇軍ですから、信頼している日本軍でさえこんなにひどいことをするんだから、まして鬼畜であるアメリカ兵が何をするかわからない。そういう宣伝は単なる宣伝とは受け止められない。本当に、心からの恐怖として、実感をもって受け止められていたと思います。そういう意味では、沖縄戦というのは、日本近代の侵略戦争の、文字通り行き着いた先の戦争だったのです。

 沖縄の守備軍の司令官であった牛島満は南京戦に旅団長として参加しています。参謀長であった長勇は、これも支那派遣軍の参謀で、捕虜なんか殺してしまえということを繰り返し指示していた人物です。そして、沖縄守備軍の中心になった京都の第六十二師団は、それ以前には山西省、山東省にいた部隊です。近年、中国山西省の性暴力の被害者たちが訴訟をおこないましたが、まさにこの地域に展開していた部隊が、沖縄に来ていたわけです。

 それから、沖縄の「集団自決」は慶良間列島で多かったのですが、ここには「マルレ」(㋹)という陸軍の特攻艇がいたのです。彼らは特攻隊ですから、もう自分たちは玉砕するつもりでいる。さらに「軍官民共生共死」、つまり住民も軍と一緒に玉砕するんだという沖縄戦における軍の方針は、慶良間諸島でより徹底して叩き込まれていきます。
 この「マルレ」(㋹)の開発を推進した、広島の宇品にあった船舶司令部の司令官である鈴木宗作は、シンガポールとマレー半島での華僑虐殺のさいの軍の参謀長でした。このことは、昨年、遊就館の展示を見ていてはじめて気がついたので、なかなか遊就館は勉強になるところです(笑)。そういう意味では、アジアに対するさまざまな残虐行為、侵略戦争、その経験がいろんな形で沖縄戦の中に入ってきているということがいえます。
 
 ですから、「集団自決」の問題も、沖縄だけの問題ではなくて、日本が行った戦争全体をどう認識するのかという問題として考えるべきだろうと思います。

 今回の文科省の検定の問題を見ても、やはり日本軍「慰安婦」問題における、右派の言説が力を持って非常に出てきていると感じます。「新しい歴史教科書をつくる会」は分裂してしまいましたが、彼らは「慰安婦」問題と南京と沖縄戦の「集団自決」を三点セットで捉えていました。彼らの攻撃の手法として、特徴的なのは、被害者とか住民の証言は信用できないというように切り捨てていくことですね。そういう軍の命令書だとか、文書で確認できないから信用できないという。「慰安婦」問題でも、被害者証言などは信用できないといって切り捨てる。あるいは一部の矛盾点を、全体の状況から切り離して取り上げて、そこからすべてが信用できないものであるとして否定するとか、それから軍の命令を記した文書がない以上、そもそも強制はなかったんだとする。

 そもそも、命令があったかどうかということと、強制があったかどうかということも、まったく別の次元の問題です。そこをすり替えるわけです。また、被害者が金欲しさにうそを言っているんだという言い方がよくされますね。「慰安婦」問題の場合は、被害者が日本政府から金をせびるためにうその証言をしているんだ、沖縄の場合は、援護法の適用を受けて金をもらうために軍命といううそをでっち上げたんだという。まったく同じやり口です。そうした攻撃、中傷をするのは、そういう中傷をやっている人たちの人間性が表れているのでしょう。
 沖縄と「本土」との関係は、日本の侵略を受けた国々と日本との関係と同じ構造があると思うんですね。被害を受けた人々は、まさに超党派で日本軍のひどいこと、残虐行為を認識し、それを追及する。ところが日本(本土)ではそれはほとんど知らされないし報道もされない。日本(本土)がやったことを正当化し、事実を消し去ろうとして、被害者の傷をかきむしったのは日本(本土)の側なのに、それを棚に上げて、なぜいつまでも過去のことにこだわるのか、といって被害者の声を抑えようとする。

 

 ●九〇年代における戦争責任論の転換

 

 ここから少し話を広げていきたいと思います。今、日本の戦争責任があらためて世界的に問題になっているのはなぜかということです。

 昨年「慰安婦」問題で、アメリカ議会、EU議会の決議が出されています。それ以外にもいくつか出ています。「慰安婦」問題が、日本社会においても、国際社会においても大きな問題になるのは九〇年代でした。九一年に金学順(キム・ハクスン)さんが名乗り出て、初めて日本軍「慰安婦」の被害者の方の証言、あるいはその姿を直接目にすることになった。これは非常に大きな衝撃でした。そこから国連の人権委員会(いま、人権理事会になっています)で繰り返しこの問題が取り上げられます。そこでの議論の意味は、非常に簡単に言ってしまうと、従来、戦争における重大な人権侵害、残虐行為は国家間の賠償で決着してきた、つまり政府間が、一応これでもう終わりですよといえば、それで終わりだという認識だった。それに対して、個人の具体的な被害について政府が代わりに相手を許すとかおしまいにするとか、そういうことはおかしいんだという、そういう声が大きく上がってきたことだと思うのです。あくまでも人権の問題として、そして人間の尊厳の回復の問題として戦後補償を考えるべきだという議論が、九〇年代における世界的な認識の転換としてあったと思います。日本政府は依然として、政府間で賠償を払ったからおしまいだとか、相互に請求権を放棄したんだから、それで決着はついたという議論を繰り返していますが、そのレベルから大きく転換したということです。

 国連や世界で日本軍の「慰安婦」問題が取り上げられたのは、やはり九〇年代の、旧ユーゴスラビアにおける内戦での組織的な性暴力の経験があったからだと思うんです。旧ユーゴだけではない。それ以外の戦争や紛争においても、繰り返し戦時性暴力が行われるのはなぜか。なぜ人類は、二〇世紀が終わろうとする時代になっても、戦時性暴力を防げないのか。おそらく、戦時性暴力というのはどの戦争でもあります。ところが、あれほど極めて大規模かつ組織的に戦時性暴力が遂行されたという点では、日本軍の「慰安婦」制度というのは際立っていたのです。このことを、国際社会が放置し、きちんと責任者を処罰しなかった、賠償もさせなかったことが、今日にいたる戦時性暴力の原因になっているのではないかという、そういう問題意識ですね。  
 ですから、四〇年前、五〇年前に起きたことを、いまさら取り上げているといった話ではなくて、現在につながる問題として「慰安婦」問題が取り上げられているということです。

 もう一点、日本人の戦争観の問題ということで、考えていることをお話したいと思います。私は憲法九条は支持しています。もちろん変えるべきではないと思っています。しかしそれが日本人の戦後の平和意識に、すごく大きな問題性を生み出していることも事実ではないか。
 戦争というのは悪いものである、戦争が人間を狂わせる、だから戦争そのものを放棄すべきだ。荒っぽい言い方だと思いますが、九条の思想は、簡単なところでいえば、そういう認識につながります。ただ、そうなると、たとえば具体的な戦争犯罪や非常に残虐な行為も、すべて戦争のせいになるんですね。戦争が人間を狂わせたのだ、と。そうすると、具体的にあるはずの責任というものが、戦争という何か抽象的なものに全部転嫁されてしまいかねない。そこでは、個人の責任というのはまったく追及されなくなってしまうのではないか。

 戦争責任はまさに個人の責任が問われてきますから、戦後日本社会の中で、戦争責任の追及、とりわけ加害責任が弱かったのは、このことと関連しているのではないかと思うのです。それが、憲法九条を支えてきた日本人の平和意識の問題のあり方として、あるのではないかというふうに私は考えています。  
 もちろん国家の指導者の責任がもっと大きいのですけれども、たとえば「慰安婦」問題であれば、具体的に、お前は兵士として「慰安所」に行ったのかどうかということまで含めて問われてくる。ですから、単純に憲法九条を守れというだけでは解決できない、もっと深刻な問題が、とくに九〇年代以降、具体的に突きつけられたんだと私は考えています。

 

 ●アメリカ・EUの決議とアジアの民主化

 

 九〇年代の思想的転換という所に話を戻しますと、二〇〇〇年一〇月に、安全保障と女性に関する国連安保理の決議があがります。そこではいろんな問題が言及されているんですが、その中の一項目に、「すべての国家には、ジェノサイド、人道に対する罪、性的その他の女性・少女に対する暴力を含む戦争犯罪の責任者への不処罰を断ち切り、訴追する責任があることを強調する」という一文が入っています。つまり、そういう戦時性暴力の責任者をきちんと処罰する責任があるんだという宣言です。ちょうどその年の一二月に、女性国際戦犯法廷が開かれました。これは時期的には偶然なんですが、まさにこの安保理決議の内容を実施しようとしたのが、女性国際戦犯法廷であったわけです。残念なことに、この女性国際戦犯法廷は、日本のメディアからまったく黙殺されました。特に、天皇の有罪に関しては黙殺されました。さきの安保理決議に関しても、日本のメディアはほとんど報じなかったんです。

 この安保理決議に関しては、その実施状況について、その後も何度も安保理で議論されています。昨年の秋にも、安保理でこの問題が取り上げられていますが、その報道も日本ではほとんどなかったような気がします。
 具体的に、アメリカの議会の決議の場合を見ておきたいと思います。ハイド元下院国際関係委員会委員長(現在は外交委員会に改名)の発言が紹介されていますが、ハイドというのは、最初にこの決議をあげようとしたときの、前の時期の外交委員長なんです。その彼が、「慰安婦」決議が採択されたときに、これは単なる第二次大戦の問題ではなく、「それはダルフールで今まさに起こっているような悲劇的状況に関わる問題」であり、「『慰安婦』は、戦場で傷つく全ての女性を象徴するようになったのです」と言っています。

 アメリカ議会の決議を採択させるために活躍した、マイク・ホンダという議員が有名ですが、そのブレーンとして活動をしたNGOである、「アジア・ポリシー・ポイント」という組織があります。ワシントンにあるNGOですが、その代表であるミンディさんは、「日本軍の慰安所は、ボスニア、ルワンダ、ニカラグア、シエラレオネ、ダルフール、ビルマなど、今日の戦争や市民紛争の議論で頻繁に取り上げられる性奴隷制・戦時性暴力・人身売買など全ての問題の前身ともいうべきものでした」とアメリカ議会での公聴会で発言しています。  
 この決議が採択されたときの外交委員会の委員長はラントスですが、日本がきちんと過去の出来事を公式に認めるように求めています。そういうことをすれば、「日本の人権擁護への取り組みを再確認するだけではなく、日本の隣国との関係を改善し、アジアと世界におけるリーダーとしての地位を強固にするでしょう」と言っています。

 アメリカ自身がやっていることを棚に上げて、という批判はもちろんできます。けれども、アメリカで、いまなぜ、あれだけ多くの賛成を集めることができたのか。むしろこの決議を中心に進めた人々は、今のブッシュ政権と距離がある人々です。現在、世界各地において戦時性暴力が極めて頻繁に起きているという事態を食い止めるために、出発点ともいえる日本軍「慰安婦」という組織的な性暴力に、あらためてきちんと対処しなければならない。日本政府が率先してその犯罪の事実を認め、それに対する償いを行うことが、現在起きている世界の問題を解決する上で、非常に有効な貢献になるだろうという問題意識なんですね。

 EU議会の決議も同様です。一点だけ取り上げますが、決議のなかに「慰安婦制度は輪姦、強制堕胎、屈辱及び性暴力を含み、障害、死や自殺を結果し、二〇世紀の人身売買の最も大きなケースのひとつであり……」という表現があります。  
 EUの議会の決議の特徴は、「慰安婦」制度というのは、戦時だけではなくて、平時におけるさまざまな性暴力、人身売買ともつながる問題なんだという問題意識ですね。この間、グローバル化の中で、世界的規模の人身売買というのがすさまじい勢いでおきています。日本も、人身売買された女性が送り込まれて、そこで売春を強要されていくという状況です。

 この人身売買を問題にするという観点は、実はすごく重要です。戦時性暴力というのは、決して戦時だけの問題ではない。平時における性暴力のあり方と、ずっと連続しているんだという、そういう問題意識をもって、EUの決議がなされているということです。  
 「慰安婦」問題などで、安倍前首相が、無理やり暴力で連れて行ったのが「狭義の強制」であって、そうでない限り問題じゃないというような議論の仕方をしていました。「慰安婦」はかなり大きな部分が、人身売買によって集められていたわけですね。要するに人身売買なんて問題じゃないんだという、そういう認識をもつ国家の指導者たちがいる日本において、これだけ人身売買がはびこっているわけです。

 九〇年代になって、日本の戦争責任がこれだけ大きな問題となってきた原因の、もう一つ大きなものは、東アジアにおける民主化の進展です。この問題を、被害者たちがようやく声に出して訴えることができるようになったということです。韓国はまさにその典型ですね。軍事政権の下で、植民地支配の下での本当の被害者たちの声は抑えられていたのです。フィリピンもそうですし、インドネシアもそうです。中国は民主化というより自由化と言ったほうがいいと思うんですが、被害者の声を中国政府が抑え切れなくなってきている状況があります。

 韓国の軍事政権は、親日派による政権でした。長期にわたって軍事独裁政権を続けた朴正煕(パク・チョンヒ)は、日本の陸軍士官学校の第五七期の出身です。同期生に、沖縄戦のときに座間味にいた皆本という中隊長がいて、大阪の大江・岩波訴訟でも原告側の立場で証人尋問に出てきています。そして、このときの陸軍士官学校の校長が牛島満です。そういう人脈の中にいた人物が、戦後の韓国の軍事政権を支えていたわけです。もちろん、戦後の軍事政権も、表向きは日本批判をやります。しかし本当に日本の植民地支配の構造などは明らかにしない。その構造を明らかにすると、対日協力者としての自らの役割というのが明らかに出てきますから。特に「慰安婦」を実際に朝鮮半島で集めたのは、だいたい役場の職員や警察であり、その手足となって動かされたのが、朝鮮人だったのです。そういうこともあり、「慰安婦」問題というのは、韓国でもずっとふたをされてきたわけです。

 アメリカ議会の決議も、アメリカのアジア戦略の中で、いま中国の比重が非常に大きくなってきていますから、特に日本の安倍内閣のような、ああいう路線で行くとまずいという判断が、背景にあったということは確かだと思います。それに、小泉首相の靖国参拝もそうだと思うんですが、日本が過去の戦争を正当化しようとすればするほど、アメリカと日本が戦争をした記憶、アメリカと中国は連合国として共に日本と戦ったという記憶を浮上させてきたという側面もあります。安倍も普通に考えれば分かりそうなものなんですが(笑)、あれだけ日本の戦争を正当化すると、中国を攻撃するだけじゃなくて、アメリカも攻撃することになる。アメリカとしては、さすがにそれはちょっと困る。そういう意味では、戦後の冷戦構造が、アジアでもかなり大きく変わっていった、そういう背景があります。

 

 ●日本の支配層の連続性

 

 そういうふうに変わっていく世界の中で、変わらないのがまさに日本でして、こんなことはもうここで言うまでもないことなんですが。日本の支配層の連続性ということで、内務省警保局長からの「支那渡航婦女に関する件伺」という文書を紹介したいと思います。

 一九三八年一一月、日中戦争が始まってから約一年あまり経ったころの文書です。中国の広東にいた日本軍の参謀が東京にやってきて、「慰安婦」を欲しい、女性を集めてくれ、と要請します。その参謀が陸軍省の課長と一緒に行った先は内務省の警保局、現在の警察庁に当たります。ともかく日本本土から約四百名の女性を集めて欲しいという要請をしています。同時に台湾総督府にも依頼して台湾でも集めます。  
 軍と警保局が相談をした結果、大阪や京都、兵庫、福岡、山口に人数を割り当てて、県知事宛に、それぞれの県で女性を集めよという指示を出します。
 
 県知事、各県の警察部長、今でいう県警本部長を通じてそれをすすめるわけです。つまり、警察を通じて女性を集めさせた。そして女性たちはひそかに台湾まで連れて行かれて、そこで軍に引き渡され、中国に連れて行かれた。この史料から、その辺のやり取りが分かります。
 文書には、「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運び」という表現があります。つまり軍と警察が、計画して組織的にやっているんだけれども、あくまでも業者が自発的にやっているように装えという、ごまかしですね。まさに歴史の偽造、いや、歴史じゃなくて現実の偽造です。そうやって女性を集めたのです。

 これを実際に担当したのは内務省警保局の警務課長と外事課長です。当時の役所の資料というのは、一つのファイルに綴じられていて、いま述べた一連のやり取りは、一冊のファイルに綴じられているのですが、一番上の表紙のところに、許可をした担当者の印鑑が順番に押してあります。だからどういう手続きで、誰の目を通って、どこで許可されたのかというのが分かるようになっていて、その警務課長と外事課長が特定できるわけです。  
 この史料は、私はコピーで持っていただけだったので、字がよく読めなかったのですが、このときの警務課長は誰かと言うと、町村金五なんですね。今の官房長官・町村信孝氏のお父さんです。町村官房長官は、ちょうど二〇〇一年の「つくる会」の教科書が出てきたときの文部大臣です。そして「つくる会」の教科書を、ごり押しをして検定合格させた人物です。「つくる会」というのは、「慰安婦」問題を教科書から消せと言っています。その活動の結果、教科書から「慰安婦」がどんどん消されています。

 人身売買に関しては、松原仁という国会議員が、売春があるところでは、だいたい自分の意に反して働いている人がいるのは当たり前だというような言い方をしていますし、小林興起も、「慰安婦」を連れて行くのに、自由意思でさあどうぞという話ではない、少々無理やり連れて行くのは、そんなこと当たり前のことで、なんでそんなことを謝らないといけないのかとまで平然と口にしているわけです。こういうことを堂々と言う人が、国会議員として選ばれているという状況に愕然とせずにはいられません。  
 先ほどもちょっとふれましたが、なにか無理やり連れて行くことだけが「慰安婦」については問題なのであって、人身売買だとか、借金で縛り付けるようなものは問題じゃないという言い方があります。そのことが、現在の人身売買を問題にしないという姿勢につながっていくわけですね。人身売買がどうして悪いの、今の日本でだってごく普通にあるじゃないかという発想。そういう国会議員が与党の中心にいる。民主党の中にも、残念ながらそういう人はいます。

 アメリカ国務省が、「人身売買に関する報告書」というのを毎年出しています。そこで世界各国が、人身売買に対してきちんと取り組みをやっているのかどうかランク付けをしているんですね。昨年出たものでは、日本は「TIER2」、つまり「基準は満たさないが努力中」というランクですが、「商業的な性的搾取のために売買される男女や子どもの目的地および通過国となっている」「被害者は相当数に上る」というふうに、かなり厳しい批判がされています。  
 これが、二〇〇四年では、もっと悪いランキングだったんです。「監視対象国」という、世界でも恥ずべきランクづけをされています。さすがに日本政府も驚いて、二〇〇五年に人身売買の議定書を批准して、刑法に初めて人身売買罪を新設したわけです。

 これには、逆に私も驚いたのです。二〇〇五年になるまで、人身売買というのは犯罪じゃなかったわけですから。ただ人身売買をして海外に連れて行くということは、これは戦前から犯罪とされていました。ですから「慰安婦」として、たとえば日本や朝鮮で人身売買をして、その女性を中国だとか東南アジアに連れて行くというのは、これは戦前でも犯罪になることだったのです。日本の刑法二二六条でも犯罪ですし、国際法でも犯罪です。ただ国内では人身売買をやってもこれは全然犯罪にならなかったんですね。それがようやく犯罪になるというので、私もたいへん驚きました。  
 ですから、先ほどから言っていますが、「慰安婦」問題というのは決して過去の問題ではなくて、まさに現在の戦時性暴力、そして平時における性暴力や人身売買と密接に結び付いている。そして「慰安婦」問題できちんと反省しない、事実を認めない日本の在り方というのは現在のそういういろんな問題とつながっていくんだという、そういう観点で考える必要があるのではないでしょうか。

 

 ●社会の変革と歴史認識

 

 さきほど、韓国のお話を少ししましたが、韓国ではこの間、日本軍の「慰安婦」問題や、強制労働について真相究明の取り組みが行われると同時に、戦後の韓国軍や韓国警察による人権侵害、済州島の四・三事件における虐殺ですとか、そうした一連の国家による犯罪行為の真相究明が行われつつあります。そして被害者の名誉回復措置がなされつつあります。
 金大中、盧武鉉政権の下で、いくつか立法措置がとられました。真相究明では、もちろんアメリカ軍による犯罪も取り上げられるようになってきました。そういったさまざまな事件の調査委員会が、国家機関としてつくられました。
 
 資料の公開に関しても、たとえば金大中が東京から拉致されたときの、あの時の調査報告書についても、すべてではありませんが、一応、出される。そして二〇〇五年には、日韓の国交正常化交渉における、日韓のやり取りの文書が全面公開されました。日本政府は、正常化交渉に関する資料は公開するなということを、韓国に対していろいろ要求したようですが、韓国政府はあえて全部公開しました。

 日本の植民地支配による被害、強制労働だとか、軍人・軍属問題だとか、「慰安婦」問題、それだけではなくて、分断過程から朝鮮戦争期の韓国軍、警察、あるいは米軍による民衆の虐殺や迫害、そしてその後の軍事政権下における民主化運動の弾圧や人権侵害という、いわば二〇世紀の百年間全体を総括しようとしているんですね。そこでおこったことについて徹底した真相究明をし、そして被害者の名誉回復をするという、そういう取り組みを、この間韓国は行ってきています。
 さきほど、親日派の問題についてふれましたが、そこには、韓国の民主化をすすめる上では、軍事政権やアメリカ軍政だけでなく、それ以前の日本の植民地時代からはじまる、まさに韓国の在り方すべてを総括しないといけないという問題意識が強くあるわけです。そういう中に、日本軍「慰安婦」問題も位置づけられている。

 ですから、韓国はいつまで昔のことを言っているんだという批判の仕方がありますが、けっしてそういうわけではない。今の自分たちを変えていくためにこそ、植民地支配の問題をきちんと清算する必要があるんだということでやっているわけです。これを可能にしたのは、やはり政権交代です。確かに軍だとか警察は、簡単には変わりません。政権が代わっても、そこのところは変わらない、そういう意味では不十分と言えば不十分なんですが、ただやっぱり政権のトップが代わるということ、あるいは国会の多数が変わるということは極めて大きい。そのことによって、これまで出てこなかったいろんなことが出てくるわけですから。

 そういたことは、もちろん韓国だけのことではありません。オーストラリアで、ケビン・ラッド首相が、アボリジニに対する非人道的行為に対する謝罪演説をおこない、議会でも謝罪決議を行いました。演説の要約を読んだだけでも、たとえば日本の首相が謝罪をしたと言いながら、極めて抽象的で、何を謝ったのかよく分からないような「謝罪」に比べて、はるかに具体的に、何が悪かったのかということをそこで言っています。  
 「我々は、我らが大いなる大陸の歴史に、この新しい頁が今まさに書かれんことを決意し、未来への勇気を得る」「我々は本日、過去を認め全国民の未来への権利を謳うことで、この最初の一歩を踏み出す」。つまり過去を認めるということが、アボリジニを含めてともに未来をつくることの第一歩なんだという認識ですね。
 
 日本で未来志向というと、過去のことはもう見ないようにするということを意味する場合が多いのですが、およそナンセンスな話です。過去をきちんと総括するからこそ、そこから未来が開けるわけですから。そういうごく当たり前のことを、当たり前に言っているオーストラリアの首相の発言が、日本にいると実に新鮮に聞こえるという実例です。この謝罪演説や決議も、去年の秋の総選挙で労働党が勝って、ハワード保守党政権が倒れたという、政権交代によって可能になったことです。

 また、日本ではほとんど知られていませんが、スペインの取り組みがあります。二〇〇四年の三月の総選挙で、従来の国民党に代わって社会労働党が政権を取り、サパテロ首相が登場します。サパテロ政権は現在も継続しています。ご記憶にあると思いますが、イラク戦争が始まったとき、スペイン政府はアメリカを支持しました。そして総選挙の直前に、マドリードで列車が連続「テロ」に遭うという事件があった。それで社会労働党が逆転をして勝つわけです。もっぱらイラク戦争との関係で、この社会労働党政権のことは言われていますが、実はきょうのテーマとの関連でも、この政権は非常に重要なことをやっています。
 サパテロ首相のおじいさんは、いわゆる共和国派の軍人です。三〇年代のスペイン内戦で、人民戦線政府の側にたった軍人ですね。人民戦線はフランコのファシストに倒され、内戦中に銃殺されています。日本で言えば、治安維持法で捕まって拷問で殺された活動家の孫が首相になったっていう感じじゃないでしょうか。
 
 この政権の下での取り組みについては立教大学の飯島みどりさんがくわしく紹介されていますが、二〇〇六年に、スペイン議会で「歴史的記憶の年」という宣言がなされます。「内戦の犠牲となった、あるいはその後、民主主義の原理と価値を擁護したため、フランコ独裁の弾圧を被ったすべての男女を称え、認知し、同様に、基本的諸権利や公的自由の擁護、スペイン人同士の和解を進めるべく努力し、一九七八年憲法の制定をもって民主主義体制の定立を可能にした人々をも、称えるものとする」とあります。

 つまりフランコ独裁体制の下で、被害を受けた、人権侵害をされた人々を称え、それを擁護するんだという宣言です。そして、内戦中、あるいはフランコ体制下で処刑された人々の遺体の発掘が行われるようになり、二〇〇七年の一〇月に下院で、そして一二月一日には上院で、「歴史的記憶の法」が可決されます。ここで内戦期、及び独裁期の政治的、イデオロギー的理由、あるいは宗教的信仰から科されたあらゆる刑罰、制裁ほかの暴力は、根本から不当であると宣言して、そうした刑罰を下した裁判所、刑事、行政機関は正統性が欠如していると宣言する。そして、そうした迫害、暴力の対象とされた人々の諸権利の認知、修復、つまり名誉回復を宣言する、といったことが、この法律の中で定められます。

 この社会労働党というのは、議会では過半数を取っていないので、保守派に譲歩せざるをえず、フランコ体制そのものを断罪したり、人権侵害を行った加害者の処罰の問題にまでは踏み込めなかった。しかし、民主主義のために闘った人々の名誉を回復する、そしてそれに対する弾圧が不当であったということを宣言するということは、極めて大きなことです。日本の治安維持法の犠牲者に対する対応と対称的ですね。たとえば横浜事件の再審請求への対応をみても、治安維持法は失効したのでもはや適応されなくなったというだけで、戦前のあの弾圧が誤っていたとか、人権侵害だったんだというような判断は全くしないというのが日本の現実です。

 ファシスト政権の下で人権弾圧を受けた、それにつながる人々がいて、そういう勢力が政権を取った、そのことによって初めて、過去のファシスト政権がやったことは間違いだったということを認められる。そういう意味で、政権交代と言いますか、あるいは権力の交代ということが、歴史認識においても与えるものは極めて大きいとあらためて感じます。  
 結局、歴史認識というのはまさに現状認識なんですね。歴史を振り返るのは、単に昔がどうだったかを知るためではなくて、今、自分たちが生きている社会がどうしてこうなったのか、どうすればこれをよくすることができるのかということを考えるためです。ですから、過去を振り返ることは「未来志向」ではないというような議論は全くおかしい。
 
 そもそも、右派が歴史の書き換えをするのも、たとえば沖縄戦ならば、米軍再編とそれに伴う自衛隊の再編、戦時体制づくりという、彼らなりの現代的問題意識に基づいているわけです。

 

 ●日本社会と天皇制意識

 

 きょうは四月二九日ですから、最後に天皇制に関連したお話を少しして、終わりにしたいと思います。  
 太平洋戦争中にアメリカ軍は、多くの日本兵を捕虜にしました。それからサイパンや沖縄では、日本の民間人を保護して、収容しました。アメリカは、そういった捕虜を尋問して、日本人の意識分析を丹念におこなっています。
 
 とりわけ、天皇制に関する日本人の意識分析をずいぶんやっています。それはいろんなレポートになっています。その中に、すごくおもしろいレポートがあります。各地域の捕虜や民間人の尋問レポートを集めて、そこから天皇制に関する日本人の意識が分かる部分を抜き出して、それを総括したものです。

 それをみると、戦争を支持している日本兵捕虜は、「天皇もこの戦争は正しい戦争である、アジアの解放のための戦争だと思っている」と思っているんです。天皇も自分と同じように、この戦争は正しいと思っているはずだと。しかし捕虜になるような兵士の中には、もともと戦争に批判的な人々もたくさんいたわけです。そういう、この戦争は間違っていると考えている日本人は、実は天皇もそう考えていると思っている。つまり悪いのは東條とか軍であって、天皇は本当は戦争を望んでいないのだ、と語っています。  
 そこから、天皇制は必ずしも軍国主義のシンボルとなっていただけではない。別のシンボルにもなりうるという判断が出てくる。天皇は、誰でもみんながそう思いたいもののシンボルになりうるという、そういう判断です。でも、それはつまり、日本人は自分たちの考え方のよりどころ、あるいは正統性というのを、結局お上に認めてもらうことによってしか、自信を持てないという、そういう日本人のあり方を示しているのではないか。

 戦後日本社会では、特にサラリーマンは企業と一体化してきます。現在、終身雇用制が崩れてきているので、企業と一体化する傾向は薄れていると思いますが、強者あるいは権力と意識が一体化する傾向はますます強くなっていると思います。学生たちと話をしていると、ほとんどの学生はアルバイトをやっていますから、だいたい低賃金でこき使われているわけです。残業代も払ってくれないとか。でも、それはおかしい、同一労働・同一賃金で、パートとか派遣とかを差別するのはおかしいよね、と私が言うと、それに対して猛烈に反発してくる学生が何人かいて、驚いたことがあります。  
 すべての労働者に同じような扱いをしていては、経営が成り立たないというんです。自分はそこで被害を受ける側にいるのではないのか。でもその学生は経営者の立場に身を置いて発想している。これは私の所属が経済学部なので、よけいにそうだと思うんですが、とにかく上のもの、権力を握っている者、人を使う経営者の目線で物事を見る傾向があります。権力だとかお上とかではなく、権力を持っていない人々の間の連帯なり、団結に基づいて、自分の正統性を担保・保持する、そういうあり方を、どこかで持たないといけないと思います。

 さきほど、政権交代の話をしました。日本はやはり政権交代をやらないといけない。もちろん民主党政権になれば良くなるとは思っていませんが、少なくとも今の政権なり権力構造に、どこかで風穴を開けて、崩していかなくてはどうしようもない。
 そういう経験を何回かすることで、本当に権力も財産も持っていない、普通の市民に基盤をおいた政権交代も展望できるのではないか。日本では、政権交代ということに対して不安を持つ人々がいて、野党に政権を渡すとどうなるか分からないなどと言います。おそらくこれは、天皇制がいまなおずっと残っている、意識のあり方とも連続しているでしょう。韓国や台湾は、政権交代がごく普通のことですね。韓国や台湾と比べて、ずっと日本の民主主義は遅れてしまっている。

 天皇制があるから、日本人がそういう意識になってしまっているのか、日本人がそういう意識になっているから天皇制が残っているのか、おそらく相互作用だと思います。そういう意味では、天皇制を含めた日本社会の問題を、ずっと考えていかないといけないと思っています。