『月刊 憲法運動』第370号、20085

沖縄戦への教科書検定が問いかけるもの

  ―沖縄戦・「慰安婦」そして日本の戦争責任

                                     林 博史


 これは、2008年2月11日に東京の日本橋公会堂で開催された、<「建国記念の日」に反対し思想・信教の自由を守る連絡会>主催の2.11集会での講演録です。40分ほどの講演ですので、それほど細かな内容には立ち入らず、問題を大きな視野でとらえようとするものにしました。雑誌『月刊 憲法運動』でテープおこしをしていただき、同誌に掲載されたものです。ただ一般には入手しずらい雑誌ですので、ここに掲載させていただきます。
 この雑誌は、「憲法改悪阻止各界連絡会議(略称 憲法会議)」が編集発行しているものです。同会議のウェブサイトは、http://www.kenpoukaigi.gr.jp/ です。 
2008.8.16記


 昨年の前半はアメリカ議会における「慰安婦」の決議をめぐって、私もいろいろなところでかかわってきましたが、後半は沖縄戦の集団自決にかかわる教科書検定の問題で非常にあわただしい思いをしました。どういうわけか、私が扱っている二つの問題が非常に大きな問題になってしまいました。もっと多くの研究者がかかわっていただければよかったのですが、なかなか人がいなくて一人でいろいろなところに顔を出すことになりました。逆にそのことによって、あらためて沖縄戦や「慰安婦」問題やその他いろいろな問題を関連づけて考える機会になったのではないかと思います。その中で、私が感じたこと、考えたことを今日はお話したいと思っています。

 

一、沖縄戦への教科書検定

 まず沖縄戦についての教科書検定です。結局、正誤訂正を通じて、結論としてはっきりしたことは、日本軍が集団自決を強制したということを、ともかく文科省は認めなかった。『琉球新報』、『沖縄タイムズ』という沖縄の二つは、「『軍が強制』認めず」という大きな見出しで報道しています。しかしながら、本土のメディアはだいたい「『軍の関与』復活」という報道でした。つまり、日本軍の強制が削除されたことが問題であるにもかかわらず、「強制」を「関与」と言い換え、“元にもどったのだからいいではないか”、という形で問題の収拾をはかってきました。この点に沖縄のメディアと本土のメディアの差、本土の問題点が、非常に凝集されているのではないかと思います。

 なぜ、集団自決がおきたのかということを考えると、いくつかの要因があります。これは沖縄だけではないと思いますが、ともかく住民に対して、「捕虜にはなるな」、「捕虜になることは恥だ」、ということが徹底してたたきこまれていました。それだけではなくて、アメリカ軍に捕まえられると女性は強姦をされて殺される、男も戦車でひき殺される、つまり非常にひどい虐待を受けて殺される、そういう恐怖心をあおったわけです。これは、とくに若い女性に深刻な影響を与えたと思います。

 これは単なる宣伝ではありません。沖縄には当時、中国で戦ってきた日本軍がたくさん送り込まれています。その兵士たちが、自分たちの中国における体験を具体的に住民に対して語って聞かせていた。元日本兵の証言を聞いてもわかりますが、自分たち自身が中国でひどいことをした。だから、もし自分たちがアメリカ軍の捕虜になれば、自分たちはひどいことをされるからとても捕虜にはなれない、そのように兵士自身も思い込んでいた。そういう状況があるわけです。住民にとってみれば、いちばん信頼できる日本軍でさえこうなのだから、ましてアメリカ軍であれば…、という形でそれが浸透していく。

そのほか、日本軍が玉砕するときには住民もいっしょ玉砕するという考えです。集団自決という言葉は戦後作られた言葉で、当時は「玉砕」という言葉を使いました。それから捕虜と言う言葉も、もともと軍人が捕虜になるわけで民間人は決して捕虜にはならないわけです。ところが、民間人も捕虜になってはいけないというふうに思い込まされていた。ですから、日本軍が玉砕するときには民間人も玉砕する。そういう意味では「軍官民共生共死の一体化」という言葉が当時から使われていますが、民も軍と一体という意識が徹底して植え付けられていた。

とくに今回問題になった渡嘉敷、座間味の二つの島においては、あらかじめ多くの日本軍将兵が住民に対し、いざという場合にはこれで自決しなさいと言って手榴弾を渡していた。これは実にたくさんの証言が残っています。

大阪での訴訟においても、それから文科省も集団自決の軍の強制を示す根拠はないと言っています。たしかに問題になっている集団自決の当日、あるいはその時に部隊長が命令したかどうかはわからない部分がありますけれども、しかしあらかじめそういう形で米軍には捕まるな、いざというときは自決しろ、あるいは自決しろと明確に言わなくとも手榴弾を渡している、ということを考えますと、あらかじめいざという場合にはこれで死になさいと命令されていた、あるいは指示、勧告されていたと言えると思います。

いいたとえではないかもしれませんが、文科省の理屈は、夜道を歩いている人にナイフをつきつけたら、金を出せと言わないのに相手は金を出した、これは相手が自主的に金をだしたのだというようなものです。その局面において、「金を出せ」と言わなくとも、わかるわけです。そういう問題と似ているのではないかと思います。

全体として、日本軍とその当時の国家の強制・誘導・脅迫・教育などによって住民が死を強いられたものと私は結論づけています。さきほど私の本の紹介がありましたが、文科省はこの本の中で私が、当日、部隊長は命令をしていないだろうと思われる、書いているところだけとりだして、そこから日本軍の強制そのものを否定しているわけです。しかしさきほどから非常に簡単に言っていますが、日本軍がともかく米軍に捕まるよりは死ぬしかないと思い込ませる状況においやっていった。そのことを日本軍の強制とこれまでの教科書は書いてきました。

しかし、今回、たしかに沖縄県民や教科書執筆者らの運動によって文科省も少しは譲歩しましたけれども、日本軍が強制したということはともかく書かせない。ですから、現在の中学校の歴史教科書などでもそういう記述がありますから、今後、それを変えろ、日本軍の強制を認めないという検定につながっていく。ですから、これは決して終わった問題ではないと思います。

 

二、日本の侵略戦争のなかの「集団自決」―この検定問題は「沖縄の問題」か?

沖縄戦の教科書検定問題では、本土のなかでは、あるいは日本政府のなかでもそうですが、沖縄県民の感情をもう少し考慮しないといけない、という言い方がされます。果たしてそれでいいのでしょうか。

この集団自決を、ある人びとは、これは自らお国のためにすすんで命をささげた尊い行為であるという言い方をします。しかし、私は、日本軍と日本国家によって強制された死である、と思います。この議論は、たとえば特攻隊をめぐる議論とも重なってくるのではないでしょうか。つまり、自らお国のために命をささげた尊い行為として特攻隊をたたえる議論があります。これは多くの方の研究で明らかになっていますが、特攻隊といっても必ずしも自分が志願したわけではなく、命令によって特攻隊に編入された隊員がたくさんいます。それから志願といっても志願をせざるをえないような状況、あるいは志願をしないと「おまえは非国民だ」「卑怯者だ」と言われるような状況のなかで、志願が強制・誘導されていくわけです。ですから、この集団自決をめぐる議論というのは、特攻隊をめぐる議論とかなり重なってくるのではないか、と思います。

 それから集団自決を引き起こす大きな理由として「捕虜にはなるな」という考え方、捕虜になるのは非常に恥だという考え方があります。十五年戦争における日本の軍人、将兵の戦没者は約二三〇万人と推定されていますが、亡くなられた藤原彰さんが、そのうちの半分、あるいは半分以上は餓死だという研究を発表されています。なぜ餓死するのかというと、弾薬もなくなる、食糧もなくなるということになれば、二〇世紀の通常の軍隊ならそこで降伏するわけです。降伏して捕虜になります。しかし日本の場合には捕虜になることを許されない。ですから飢え死にするしかない。

 あるいは「玉砕」という言葉です。きれいな言葉ですが、結局どうしようもなくなって殺されに行くわけです。最終盤に太平洋の島々では日本軍は「バンザイ突撃」をおこないます。要するに殺してくれと行くわけです。

 そのことを考えますと、日本軍将兵の戦死者二三〇万人のうち、おそらく半分どころではない、すくなくとも百数十万人は、もし捕虜になることが許されていれば、生き残ることができたはずなのです。ですから、当時の日本の国家、日本の軍に二〇世紀中ごろの世界的な最低限の常識があれば、すくなくとも百数十万人の青年の命は助かっていた。もちろん、アジアに対する加害の問題も当然あります。そういう常識があれば、あんな戦争をしなっただろうともいえるのですが…。

 戦後の戦犯裁判のなかで、捕虜にたいする虐待が多く裁かれています。つまり捕虜になるというのは、とんでもないこと、恥さらしなこと。だからそんな捕虜を人道的に扱うなどという発想そのものがないわけです。それが特に欧米諸国の捕虜にたいする虐待行為、あるいは非人道的な行為につながっていく。

いま南京大虐殺から七〇周年ということで、去年の一二月には東京でも大きなシンポジウムがありましたが、あの南京虐殺のなかで、日本の研究では十数万人から二十万人を虐殺したといわれます。おそらく半分あるいは半分以上は捕虜の虐殺です。つまり、欧米系の捕虜の場合にはいちおう捕虜にします。だが虐待する。しかし中国兵の場合には捕虜にもしないで殺してしまう。ですから、この南京虐殺を含めて日本軍の一連の加害行為、そして日本軍の将兵の多くが死を強制されていったことはつながっているわけです。とても「英霊」だとかいって美化されるような存在ではない。そうした問題とつながってくるだろうと思います。

私は沖縄戦というのは侵略戦争の行き着いた先であると考えています。これはいまいった捕虜の問題もそうですし、さきほど紹介した中国戦線での経験―つかまえた民間人であっても非常にひどいことをして殺してしまった、その経験が沖縄にもちこまれてくる。沖縄軍の第三二軍は、司令官が牛島満、参謀が長勇という有名なコンビですが、二人とも三七年の南京戦に参加しているわけです。牛島満は歩兵旅団長ですし、長勇は上海派遣軍の参謀です。とくに長勇に関してはいろいろ資料が残っており、南京に行ったときにも捕まえた中国兵をどうするのかと問い合わせがあったときに、彼は参謀として、そんなもの「やっちまえ」、つまり殺してしまえと言った。そのように南京戦に参加した軍人が沖縄戦を率いていた。そういう関係にあります。

それから中国において三光作戦あるいは一連の性暴力が問題です。たとえば中国の山西省で、日本軍の「慰安婦」といっていいのかどうかわかりませんが、すさまじい日本軍の性暴力がおこなわれています。その被害者が日本でも裁判をおこしています。あの三光作戦をおこなっていたあたりの部隊をもとに編成されたのが第六二師団ですが、これが沖縄の守備軍の主力の一つです。ですから中国における三光作戦、そこでの組織的な性暴力、そこでの経験が沖縄にもちこまれている。

 あるいは集団自決がおきた沖縄の慶良間諸島には、 ㋹という陸軍の特攻艇が配備されています。いま大阪の裁判でも問題になっているのがその特攻艇の戦隊長です。この特攻艇の開発を推進した人物は陸軍の船舶司令部の司令官で、鈴木宗作といいました。彼は一九四二年二月にシンガポールで華僑粛清、あるいはマレー半島における華僑粛清をおこなったときの軍の参謀長です。ですから、シンガポール・マレー半島における住民虐殺を中心に担った人物が、今度は日本兵が乗った特攻艇の開発を推進していく。

そういう意味で沖縄戦というのは、日本の侵略戦争のなかのいろいろな経験が集約されています。ですから、この沖縄戦は決して沖縄だけの問題ではなくて、日本がおこなった一連の戦争全体にかかわる問題であると思います。残念ながら、とくに本土のメディアの議論は、沖縄戦の問題は沖縄だけの問題として処理しています。しかし、実はこれは日本の全体の戦争にかかわる問題であるという認識、日本国民全体の問題であるという認識は落として、だからこれは沖縄の問題であるから、沖縄の人の感情にはすこし配慮するということになる。それに対して、さきほどの集団自決の問題であれば、これは決して沖縄だけの問題ではない、日本の戦争全体の認識にかかわる問題だということをあらためて強調しなければならないと思っています。

 

三、日本軍「慰安婦」正当化論との共通性

 いまは分裂しましたが、「新しい歴史教科書をつくる会」は、教科書から日本軍「慰安婦」を削除させること、南京虐殺を削除させること、これまであった集団自決は日本軍に強制されたものであるという記述を削除させること、この三つを目標として掲げていました。

 彼らの議論には共通点がたくさんあります。たとえば、高校の教科書のなかで沖縄戦における日本軍による住民虐殺を最初に書こうとしたのが亡くなられた江口圭一さんという歴史学者です。江口さんは教科書に書こうとしたときにいろいろな根拠をあげています。その中の重要な一つが、『沖縄県史』という沖縄県民の戦争体験を集めた証言集です。ところがその時の教科書の調査官は、「そんな資料は一級資料ではない。だからこれは根拠に使えない』と言った。これは「慰安婦」の問題でもそうですが、被害者の証言、あるいは極端に言うと中国人の証言、韓国人の証言は信用できないということと同じ論理です。

 そして全体の状況から切り離し、ある一点のみを取り出して全てを否定する。慰安婦問題でも、強制的に連れてこいという命令はなかったから言って、慰安婦はすべて強制ではない、という。今回の集団自決の問題でも、集団自決がおきるさいに部隊長が命令していないという1点から集団自決全体が強制ではない、という論理です。

 それから、だいたい被害者は金ほしさにウソを言っているのだ。「慰安婦」たちの場合には、日本からの賠償金ほしさにウソを言っている。沖縄の場合には援護行政の金ほしさに、軍の命令というウソをデッチあげたのだ、という中傷を加えます。たぶんそう言っている人たち自身が、人間というのは金でしか動かないと考えているのでしょう。

 さきほど本土のメディアと沖縄のメディアの違いをちょっと触れましたが、これは日本と韓国・中国、あるいは東南アジアのメディアと日本のメディアとの違いといっしょではないかと思います。つまり、日本が、とくに日本政府が事実を否定する、そうすると地元の人たちはおそらく思想的立場、政治的立場の違いを超えて怒る。メディアもそれを取り上げる。ところが、日本ではそれはすべて反日キャンペーンだという形ですべて否定する。そういう構造も非常に似ているのではないかと思います。

 現在衆議院議長の河野洋平さんが十年ほど前に、インビューで日本軍慰安婦の問題について語っています。彼はこういう言い方をしています(朝日一九九七年三月三一日)。「本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明らかだった」、「こうした問題で、そもそも『強制的に連れてこい』と命令して『強制的に連れてきました』と報告するだろうか」、「当時の状況を考えてほしい。政治も社会も経済も軍の影響下にあり、今日とは全く違う。国会が抵抗しても、軍の決定を押し戻すことはできないぐらい軍は強かった。そういう状況下で女性がその大きな力を拒否することができただろうか」。
 そして彼は「慰安婦」にたいしても強制があったということを認めるわけです。この「女性」を、たとえば「沖縄県民」「沖縄住民」と置き替えればまったく同じことだと思います。

 

四、なぜいま日本の戦争責任が問題になるのか

昨年の七月三〇日、アメリカ議会で日本軍慰安婦にかんする決議があがりました。そして一二月一三日にはEUの議会、あとはカナダとオランダです。日本のなかでは、何でいまごろこんな決議が出てくるのか、と不思議がられていたように私は思います。この背景を考えてみたいと思います。

日本軍の慰安婦問題が日本社会においてもクローズアップされたのも、元慰安婦が名乗り出られてからです。被害者がわれわれの目の前にあらわれることによって、その被害の深刻さがようやくわかったことが大きかったと思います。

同時に、国連の人権委員会など国際社会でもこの問題が取り上げられるようになります。なぜ国連人権委員会等国際的に取り上げられたのかというと、これは九〇年代の初めですと、旧ユーゴスラビアの問題があります。あの中で非常に組織的な性暴力が繰り広げられた。これは現在もずっとありつづけているのですが、なぜ九〇年代においてもこれだけの戦時性暴力が繰り返されるのか。それを考えると、軍なり国家なりが組織的に性暴力を組織した、その事実をきちんと究明し、その責任者・加害者をきちんと処罰する。そして二度とそういうことがおこらないようにする。そういう措置を国際社会が怠ってきたからではないか、という反省がうまれるわけです。

そして組織的な性暴力を考えるときに、日本軍の慰安婦制度が当然浮かびあがってくる。そしてそのことにたいして当時の連合国もきちんと裁かなかった。末端ではBC級戦犯で若干裁かれていますが、慰安婦制度を創出した軍や国家の指導者たちはまったく裁かれなかった。ですから、これは日本の問題であると同時に国際社会の問題である、という認識がうまれてきます。ですから、九〇年代において国際社会がこの問題を重要な問題として取り上げたのは、四〇年前、五〇年前の昔の話としてではなく、「今」に継続する問題であるから、という発想なのです。

従来であれば国家間の賠償によって問題を解決しました。国家間で協定を結んでお金を払う、あるいは物で払う、それで問題は解決したということでした。しかし、それでは被害者はまったく救済されない。それでいいのだろうか。この問題を国家間の賠償の問題ではなく、女性の人権、あるいは人間の尊厳の回復の問題としてとらえるべきである、というのが九〇年代における国際社会の議論です。

日本ではほとんど知られていないのですが、二〇〇〇年一〇月に国連の安保理で決議一三二五が採択されます。ここには、「すべての国家には、ジェノサイド、人道に対する罪、性的その他の女性・少女に対する暴力を含む戦争犯罪者の責任者への不処罰を断ち切り、訴追する責任があることを強調する」とされています。戦時性暴力の責任者を国際社会がきちんと処罰してこなかったことが、今日に至るまでの戦時性暴力の横行を招いたという反省から、不処罰の悪循環を断ち切ろうということが強調されています。ちょうどその直後に東京で女性国際戦犯法廷が開かれます。ですから九〇年代の流れの上に二〇〇〇年のこの二つの出来事があるのです。

ただその後「9・11」によって、特にアメリカを含めて世界はちょっとおかしくなってしまった。アメリカ社会が少し冷静になり始めたのがつい最近のことだと思います。ですから、昨年のアメリカ議会などの決議は、世界がようやく九〇年代の到達点の流れに戻ったのだと思います。

アメリカで議会の決議を推進した人びとは、どういう問題意識でこの決議をおこなったのか。下院国際関係委員会のハイド元委員長は、二〇〇六年にこの決議案が出たとき、これを採択しようとした人物ですが、「女性や子どもを戦場での搾取から守ることは、たんに遠い昔の第二次大戦時の問題ではありません。それはダルフールで今まさに起こっているような悲劇的状況に関る問題です。『慰安婦』は、戦場で傷つく全ての女性を象徴するようになったのです」と語っています。

あの決議をささえたアメリカのNGOに、「アジア・ポリシー・ポイント」という団体があります。その代表のミンディ・カトラーさんは、「日本軍の慰安所は、ボスニア・ルワンダ・ニカラグア・シエラレオネ・ダルフール・ビルマなど、今日の戦争や市民紛争の議論でひんぱんに取り上げられる性奴隷制・戦時性暴力・人身売買など全ての問題の前身ともいうべきものでした」というように、米下院の公聴会で証言しています。

現在の世界で、これだけ性暴力が起こっている。なぜ、そうなってしまったのか。どこで間違ったのか。やはり最初の大きな戦時性暴力、組織的な性暴力をきちんと裁かなかった、処理しなかった国際社会に責任があるのではないか。だから今回の決議が採択されたときの米外交委員会委員長のラントスさんは、「この決議は、日本の過去の政府の行為を罰しようというものではありません」といい、「そのような癒しの過程は、日本の人権擁護への取組を再確認するだけでなく、日本の隣国との関係を改善し、アジアと世界におけるリーダーとしての地位を強固にするでしょう」と述べています。つまり、日本がきちんとこの問題を配慮してくれれば、それが世界の模範になるだろう。そのことを日本に期待する、ということです。
 ですから、現在世界で繰り広げられている戦時性暴力をどう解決するのか、そのためにこそ、日本の慰安婦制度にたいしてきちんと事実を究明し、事実を認識し、被害者にたいしてきちんとした償いをやるべきではないか、こういう問題意識のなかでこの問題が出てきています。

そしてもう一つEUの決議があります。EUの決議内容は日本でほとんど知られていません。EUの決議でアメリカの決議と違うところは、「“慰安婦”制度は輪姦、強制堕胎、屈辱及び性暴力を含み、障害、死や自殺を結果し、二〇世紀における人身売買の最も大きなケースのひとつ」としている部分です。アメリカの決議は戦時性暴力という問題意識が非常に強いのですが、EUの場合には戦時だけではなくて日常における性暴力、あるいは人身売買の組織的な問題として日本軍の慰安婦制度をとらえています。

 次に、日本の植民地支配・占領支配から戦後冷戦構造下の軍事政権・独裁政権の連続性という問題です。
 たとえば韓国でこの間、日本軍慰安婦あるいは強制労働という強制動員の被害者の真相究明の努力がすすんでいます。日本ではノムヒョン政権が非常に反日政権だというようなレッテル貼りがされます。韓国でこの間何をやってきたのか、といいますと、戦後の軍事政権の下におけるさまざまな人権侵害、あるいは残虐行為の真相究明です。そして被害者の名誉回復をずっとやってきました。これは済州島の3.4事件のケースから、朝鮮戦争下における韓国軍による残虐行為、それから軍事政権のもとにおける様々な人権侵害を全部をとりあげている。その中に日本の植民地時代の問題が入るわけです。

 それはなぜかというと、戦後の韓国の軍隊、警察あるいは官僚組織などは基本的には日本の植民地時代のものをそのまま受け継いでいる。たとえば軍事独裁者として有名なパク・チョンヒというのは、日本の陸軍士官学校を出ていますし、満州国軍の将校です。つまり日本軍の手先となって、中国における抗日運動を取り締まった人物です。警察もそうです。朝鮮人の警察官はもともとは日本人の下で、韓国の民族運動や独立運動を取り締まった。そうした朝鮮人が、戦後の韓国の警察を担っていくわけです。

韓国の軍隊、警察、官僚組織、そうしたものの体質が、基本的に植民地時代から続いているわけです。韓国の歴史を振り返ると、戦前・戦中の日本の植民地時代と、戦後の軍事政権における支配者は連続しているわけです。ですから現在の韓国を民主化しようとすると、戦後だけが問題ではないのです。戦前・戦中から継続している問題がある。だから、日本の慰安婦問題や強制労働の問題などをとりあげるのは、六〇年前、七〇年前の過ぎ去った問題として取り上げているわけではなくて、いまの韓国社会を民主化しようとする場合に、それと対決せざるをえない。そこを克服しないかぎり現代の民主化はない、という問題意識からなのです。つまり今の自分たちの社会をどうするのかという課題なのです。

ところが、日本ではそういうことがぜんぜん認識されない。最近インドネシアのスハルト元大統領が亡くなりましたが、彼も戦争中、日本軍に育成された軍の幹部です。戦後、東南アジアで軍事政権が永く続いたインドネシア、そしていまのビルマ、この二つの国の軍隊は、もともと日本軍が占領し作った軍隊です。ですから第二次大戦における日本の軍事支配が戦後のあり方も規定している。
 ですから東アジア、あるいは東南アジアを含めて現代の社会を民主化しようとすると、戦後の問題だけでなく、それ以前からの植民地支配、日本の軍事占領を含めてトータルに真相を明らかにし、それを克服する努力が必要である。みんな「今」そして「未来」を見ているのです。今の自分たちをよくしよう。その時にどうしても植民地の問題、軍事占領の問題にふれざるをえない。そういう関係にあると思います。

ところが日本社会が残念ながら、それをまったく理解できない。さきほど、戦時ではなく平時の性暴力について触れましたが、日本の場合、最近あらためていろいろなところで指摘されるようになっていますが、日本の支配層の連続性という問題があります。一九三八年十一月に内務省警保局――いまでいう警察庁が出した「支那渡航婦女に関する件伺」という通牒があります。これは、日本国内と台湾から女性を慰安婦として集めて中国に連れていく、その具体的な計画を練った文書です。ここで極秘裏に女性を慰安婦として集めて中国に連れていくことが計画されています。これには警察や県知事がかかわっていますから、これがわかると問題になるので、あくまでも業者が自発的にやっているように装え、ということまでていねいに書いています。これを担当したのが内務省警保局警務課で、その課長が町村金五です。いまの町村官房長官の父親です。現在の町村官房長官は二〇〇一年に「新しい歴史教科書をつくる会」ができたときに文部大臣でした。いろいろ便宜をはかって、「つくる会」の教科書を検定合格させたときの文部大臣です。いうならば父親がやったことを息子がもみ消している、という関係になります。安倍前首相については言うまでもありません。こうした日本の支配層の連続性がある。

そして人身売買や現代の性暴力の問題です。さいきん一部の右翼が早稲田にある「女たちの戦争と平和資料館」に乱入して妨害するということがあり、しかし警察はほとんど取り締まらない、ということがありました。それからDV=ドメスティック・バイオレンスの講演会が中止させられるということもありました。両者に関わっているのは同じグループです。つまり、慰安婦問題を正当化しようとしている人たちは、同時にドメスティック・バイオレンスを問題にすることは家族制度を破壊することだ、などという理屈でDVを取り上げること自体を敵視する。

日本という国は非常に人身売買の多い国です。人身売買で女性がどんどん海外から連れてこられて売春を強制されている。それが放置されている社会です。そういう意味で戦時性暴力について日本社会がきちんと取り組もうとしないだけでなく、現在の平時におけるさまざまな性暴力に関しても、日本は取り組まない。あるいは取り組むこと自体を否定するような人びとがたくさんいる。その人びとは共通しているわけです。

歴史認識というのは現状認識とセットです。つまり今自分たちが生きている社会はどうなのか、これをどうすればもっといい社会にできるのか、それを考えるときに、そこから歴史を見るわけです。ですから歴史認識というのはまさに現状認識なのです。

なぜ、アメリカ議会でもEU議会でも、そして韓国においても日本の戦争責任、植民地支配が問題になるのか。それは現在の世界のあり方、あるいは各国のあり方に問題があり、それを克服するために過去の問題を見るわけです。ところが日本での議論は、そうした認識が全部遮断されて、なんで何十年も前のことを今さらとりあげるのか、という発想でしか対処しない。そのことによって戦前、戦中からずっと引きずっている日本の社会のあり方に人びとが目を向けないようにさせる。日本政府もそうですし、文科省もそうですし、日本のメディアもそうです。戦争責任問題というのは昔の過ぎ去ったことだ、そんな古いことをいつまでこだわるのか、ということで対処している。
 そういう意味で、私は、沖縄戦の問題も慰安婦問題も含めて、現在の日本社会全体の問題として捉えなおす。そしてそれは、今の自分たちの社会をどうするのか、その課題として歴史問題がある、ということを認識すべきではないか、と思います。

「建国記念の日」を問題にするこの集会が継続されているのは、そういう問題意識からだと受け止めています。とくに現在の日本社会において、政治家をみると戦後生まれの若い政治家が、自分たちのよりどころを戦前ないしは戦中に求める傾向がますます強くなってしまっています。このことは、日本がおこなった侵略戦争の問題の研究・究明だけではなくて、戦後六〇年余りの日本やアジアのあり方についての認識が欠けているのではないかと思います。そういう意味で、戦前、戦中、戦後を含めて十九世紀から二〇世紀の日本のあり方、東アジアのあり方、世界のあり方をもう一度考え直す、そういう機会として2・11のこの集会の意義があるのではないかと思っています。