『新婦人しんぶん』2007年8月9日号

815日、62年目の終戦の日に問われていること

  戦争が終わって62年目の8月15日。侵略戦争を公然と正当化する安倍政権のもと、自民党が参院選で歴史的といわれる大敗をしたことに続き、アメリカ議会では、従軍「慰安婦」決議が採択され、日本の戦争責任を追及する国際的な世論も高まっています。戦争責任とは何か、加害の歴史とどう向き合うのか――。

「日本の戦争責任資料センター」研究事務局長・関東学院大学教授林博史さんに聞く


 これは女性団体の機関誌に掲載されたインタビュー記事です。たしか7月末にインタビューされたと思います。かんたんなものですが、まとまっているものです。2007.9.23記


「慰安婦」問題=戦争責任と女性の人権

  「慰安婦」問題は90年代から国連の人権委員会などで繰り返しとりあげられ、犯罪であることが世界的に共通の認識になっていながら、日本政府はきちんとした対応をしてきませんでした。
 「慰安婦」問題はひとつの象徴ですが、日本は戦争責任の問題をあいまいにしてきていて、それだけでなく、安倍政権は侵略戦争を正当化する発言を公然と行い、そのことがアジアで軋轢を生んでいます。今回の問題はアジアだけでなく、同盟国のアメリカからも「これでは困る」というメッセージをつきつけられたわけです。

 日本の対応が批判を受ける、もう一つの視点は、女性の人権問題であるという点です。いまの日本は売春がはびこっている社会で、売春目的に人身売買された女性の送り込み先となっています。つまり、「慰安婦」問題は戦争責任の問題であると同時に、まさに女性の人権の問題であり、売春や人身売買に日本社会があまりにも鈍感であることに対する批判なのです。

 決議を提出したホンダ議員は日系人で、共同提案者には中国系やグアム選出の議員もいます。アメリカ社会でアジア系住民が団結しようとなると、いつもひっかかるのが日本の戦争責任問題なのです。日本で政治家が侵略戦争を正当化する発言をするたびに「日本はなんだ」となって、人々の対立へとつながってしまう。つまり、日本がアジアでうまくやっていくことは世界的な意味をもっている、そのことを理解した上できちんとした対応をとらないと、国際的にますます孤立します。

 

●沖縄戦の「集団自決」 軍の強制を教科書から削除

  いま教科書では「慰安婦」問題をはじめ、アジアへの加害の事実がかなり削られています。それも検定で削ると国際問題になるので、教科書会社に圧力をかけて「自主規制」で削らせているのです。「慰安婦」の記述は中学校教科書からはすべて消えてしまいました。高校教科書では「慰安婦」が強制されたとの記述ではなく、「慰安所が設置された」「慰安施設に送られた」と、軍の関与をあいまいにして、女性たちにひどいことをしたとわからないようになっています。

 沖縄戦の「集団自決」については、これまでの研究をふまえて、日本軍に強いられたという書き方が定着しています。文科省は日本軍による強制を削除する根拠に私の本(『沖縄戦と民衆』)を挙げていますが、私は、日本軍の強制と誘導によるものと明確に書いており、軍の強制を否定するような研究はありません。長年認められてきた記述を、今さら「当日の軍命令がなかったから、この記述を削除せよ」と言うのはまったくおかしい。この部分を削れば、解釈によって「お国のために命を捧げた」と教えることもできるようになります。日本軍の加害を教えたくないという政府文科省の意図が露骨です。

 これは当然、「新しい歴史教科書をつくる会」の圧力と、それにからんだ政治家が動いたとしか考えられません。沖縄では怒りがひろがり、県議会で検定の撤回を求める意見書が議決されています。今回の検定を撤回させるかどうかが焦点になっています。

 

●アジアと世界の人びととの信頼関係をつくるためにも

 戦争責任をとるためには、言葉で謝るだけではなく、そういう犯罪を起こしてしまった社会のあり方を変えて、二度と同じ事を繰り返さないようにすることが必要です。犠牲者が納得する謝罪、賠償、同じことを繰り返さないための教育や対策とはどのようなものか、そのことをわたしたちは考える責任があります。「慰安婦」問題にしても、きちんと反省していないために、少し形は違うけれど今なお人身売買や強制売春が継続しているのです。つまり「昔のことだから関係ない」と言っている間は、昔のことがずっと繰り返されるわけです。

 日本がアジア各地に与えた加害で、まだまだ知られていないことはたくさんあります。国としてその事実を認め、その責任をとるべきです。加害だけでなく、国内の被害に対しても日本社会は冷淡です。例えば東京大空襲など空襲で犠牲になった人々を国が追悼する場がどこにもなく、援護の対象からもはずされています。国民の命が軽く扱われ、戦争の犠牲になった後も粗末にされる、このこととアジアでの加害を軽視することはつながっています。戦争責任問題は、こうした日本の社会のあり方をかえていくためにも欠かせない課題で、国民自身がもっと問題にしていかなくてはならないでしょう。

 歴史のわい曲に反対する運動にとりくんでいる人はたくさんいます。しかし、マスコミがほとんどとりあげないので、一般の人々になかなか知られていません。「どうしてこういう報道をしないのか」と新聞社やテレビ局に声を届けたり、いい番組、記事であれば「よかった」と意見を伝えて、もっと報道させることも大切です。アジアの人々、さらには世界の人々と信頼関係をつくるためにも、今こそ日本が行った侵略戦争の史実にむきあうことが必要です。(談)