沖縄県歴史教育者協議会『歴史と実践』第28号、2007年7月

戦争認識と「集団自決」

        林 博史  


この小文は、沖縄県の歴教協で出している冊子に書いたものです。この時期、いろいろなところに沖縄戦について書いたり、しゃべったりしたので、それらと重ならないようにしたため、特集とは少しずれてしまったという反省があります。ただこの視点は重要な論点と考えていますので、一つの問題提起としては意味があるかと思います。2007.8.13記


捕虜になるなという認識は教育・宣伝・脅迫・強制などさまざまな方法で住民に対しても叩き込まれていた。捕虜とは軍人に適用される言葉だが、軍民一体の下でその概念が住民にも注入されていた。
 ガマの中など米軍によって追い詰められた状況のなかで、もし投降しようとすると日本軍によって殺された。子どもが泣くと殺された。米軍に保護された者が日本軍に殺されたことも多い。
 出てこいという米軍の呼びかけに応じなければ、ガマを潰されて殺されてしまった。通常の軍であれば、住民だけでも外に出して命を救おうとするが、日本軍はそれをさせなかった。米軍に殺されるという形になるが、実は日本軍によって死に追いやられたケースである。
 米軍に追い詰められた状況で、米軍に攻撃を受ける前、しかも手榴弾などが住民に渡されている状況では、「集団自決」あるいは個々の「自決」がおこなわれた。

これら日本軍による虐殺、米軍による攻撃、集団あるいは個別の「自決」の3つのパターンは、捕虜になるなという考え方が大きな一因になっており、いずれも日本軍によって死に追いやられた、あるいは死を強制されたと言うべきケースである。
 ほかに壕追い出しの結果、米軍の砲爆撃の犠牲になるケース、食糧を日本軍に奪われたために餓死したケース、その他、沖縄住民の犠牲の多くが日本軍によって引き起こされたものである。

沖縄戦について語るとき、しばしば、これが戦争だ、あるいは戦争の極限状態なのだ、だからこの悲劇をくりかえさないためには二度と戦争をおこしてはならないというように認識され、語られる。しかしそうした理解でいいのだろうか。もちろん戦争がなければ沖縄戦もなかったのだから、まったく間違っているわけではない。しかし、20世紀の常識的な軍隊・国家であれば、住民に軍と一緒に玉砕せよとは強制しない。まず住民は戦闘の及ばない地域にあらかじめ避難させる、あるいは敵に包囲されても、交渉して住民だけは包囲網の外に避難させ、軍だけが戦うという方法をとるだろう。

さらに言えば、5月下旬の段階、つまり首里がもはや陥落しようとする段階で、軍司令官は降伏を選択するのが通常の軍隊であろう。こうしたさまざまな点をみると、沖縄戦における住民被害の多くは、戦争が生み出したものというよりは、日本軍が生み出したものである。誤解を恐れずに言えば、かりに戦争であっても、このような犠牲は避けることができたものなのである。戦争という抽象的なものに原因を転嫁することは、住民を死に追いやった原因と責任をあいまいにするものでしかない。戦争が悪い、戦争が人を狂わせるという言い方は、実は誰が悪いのでもない、なぜなら戦争だから、という認識にとどまり、誰も責任を問われなくてすむ。当時の日本軍、そしてそれを指導し動かしていた者たちの責任はどこかに行ってしまう。これは戦争責任をあいまいにしてきた戦後日本の平和主義がかかえる大きな問題点でもある。

「集団自決」はそれだけではなく、日本軍による住民犠牲の一つとして議論され、説明される必要がある。その言葉自体に問題があるのではなく、日本軍の責任が明確にならないような戦争認識、沖縄戦認識が問題であり、そこに殉国美談に利用される一因があるのではないかと思う。