『沖縄タイムス』2007.4.10

「集団自決」教科書検定をめぐって

被害者に鞭打つ政府/変わらぬ二枚舌体質         

                     林 博史


『沖縄タイムス』の文化欄に書いたものです。2007.4.12記


 このところ、日本軍「慰安婦」問題をめぐって、政府や自民党幹部らは日本軍による強制を示す資料がないとくりかえしている。かれらは被害者たちの証言は引用できないときめつけ、慰安所での彼女たちのひどい状況について語る日本軍関係者の証言さえも無視し、強制を示す日本軍の公文書がない、だから強制はなかったと言い張っている。

このことを沖縄戦にあてはめると、沖縄の住民たちの証言は一切信用できない、「集団自決」を強制したという日本軍文書がない以上、強制はなかった、というのと同じではないか。一九九三年に「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことを認める官房長官談話を出した河野洋平氏が「そもそも『強制的に連れてこい』と命令して『強制的に連れてきました』と報告するだろうか」と語っている方が、はるかにまっとうな認識だろう。

 一九八〇年代のはじめ、高校日本史教科書に日本軍による沖縄住民殺害を書こうとした故江口圭一氏が『沖縄県史』を根拠として提示したところ、文部省の調査官は、県史は体験談を集めたもので一級の資料ではないとして、住民殺害の記述を削除させた。このときは、沖縄県ぐるみの抗議によって文部省にその記述を認めさせたが、日本政府の体質はそのまま受け継がれている。

 日本軍を正当化しようとする人々は、「慰安婦」だった女性たちが金ほしさに名乗り出ているのだと中傷しているが、慶良間の人々は援護の金ほしさに軍命をでっち上げたという攻撃と同じ言い方である。彼女たちや島民の受けた、言いようのない痛みや悲しみ、そのことをわかってほしいと訴える声に対して、胸の痛みを感じるどころか、そうした理屈で中傷するしかできない人々こそ、人は金でしか動かないと思い込んでいる心貧しき人々ではないのか。だから札束をちらつかせれば、基地を受け入れると考えているのだろう。

 話はとぶかもしれないが、北朝鮮の拉致問題では、「甘言」によって連れ出された人も「本人の意思に反して北朝鮮に連れて行かれたもの」であって拉致であると警察庁は認定している。安倍首相は、慰安婦について「官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行く」ような狭義の強制連行はなかったと言う。中国の山西省ではそうした事例も知られているがそのことに今は触れないとしても、その理屈で言えば、北朝鮮に拉致されたという人のなかに「狭義の強制連行はなかった」と言うべきだろうが、そういうことは言わない。この問題では被害者の証言は、そのまま事実であると報道され扱われる。やった側の公文書で証明されなければ事実かどうかわからないというのであれば、拉致をしたという北朝鮮の公文書はどこにあるのだろうか。その公文書が出てくるまで拉致が事実かどうか断定できないとでも言うのだろうか。

私は拉致被害者の証言を疑っているわけでも、拉致の事実を否定するつもりもない。加害者の文書がなくとも、被害者の証言やその他の状況から拉致があった事実は認定できるのであり、そのことは「慰安婦」への日本軍の強制や「集団自決」の強制でも同様であるということを言っているだけである。拉致は事実と認めるが、慰安婦や「集団自決」は日本軍の強制ではないというのはダブルスタンダード、二枚舌というしかない。海外のメディアはそうした日本政府の二枚舌を批判しているのに、多くの国内のメディアが安部首相らの発言を無批判に垂れ流しているだけなのは、なぜなのか。

 安倍首相をはじめ内閣や自民党の幹部の多くは、かねてより「新しい歴史教科書をつくる会」を支援し、教科書から「慰安婦」や南京虐殺など日本軍の侵略戦争とその残虐行為の記述を削除させる運動をおこなってきた。政権発足当初はやや慎重になっていたようだが、米議会に日本軍「慰安婦」問題の決議が提出されると、日本軍弁護の本音があちこちで出てくるようになった。先日、ある米議会の関係者と話をしたとき、ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)を正当化するネオナチと同じような思想の持ち主が日本政府の中枢を占めていることにショックを受けたと話していたのが印象に残っている。日本軍の被害者をいたわるような言葉を一片たりともかけることなく、それどころか被害者に鞭打つ発言しかできないような人々が日本社会を牛耳っている。こんな社会を許していていいのだろうか。

 今回のような検定、あるいは日本軍「慰安婦」の犯罪性を否定するような政府の強弁を許してしまうならば、次に来ることは予想がつく。日本軍が沖縄住民を殺害したというが、住民の証言しかないではないか、そんなものは信頼できない、それを裏付ける日本軍の公文書がない以上、日本軍がそんなことをしたとは証明できない、だから断定した書き方は認められない。公文書としてあるのは、自ら日本軍に協力したという援護申請文書だけだ。沖縄県民は自らお国のために命を捧げたと書け、と。