VAWW-NET Japan編、西野瑠美子・金富子責任編集
『消された裁き―
NHK番組改変と政治介入事件』凱風社、200510

 日本の排外的ナショナリズムはなぜ台頭したのか 

                 林 博史


 韓国の友人と話をしているときに、なぜ日本でこれほど排外的雰囲気が強いのか、という話題になって、私なりの解釈を話したところ、それを韓国の雑誌に書いてほしいと頼まれて原稿を書きました。そのときに、自分なりに整理してみました。その後、その論文の内容をこちらの本に書いてほしいということで、韓国人向けの説明などはカットし、その後の動きなどもふまえて書き直したのがこの論文です。本が刊行されてから1年がたち、小泉内閣も終わりますので、このホームページに掲載します。ここで書いた内容は現在も基本的に変わっていないと考えています。ただ今ならもう少しほかの要因も含めて書くだろうと思いますが。   2006.9.15記


 <目次>

排外的ナショナリストが中枢を占める小泉内閣
2001年教科書問題とその後の政治動向
保守勢力の変化―保守本流の解体と日本政治
日本社会の変化―排外主義の基盤

 

排外的ナショナリストが中枢を占める小泉内閣

女性国際戦犯法廷のNHK番組に介入し、同法廷を中傷する番組に改変させるうえで重要な役割を果たした安倍晋三や中川昭一は、日本の侵略戦争や植民地支配、そのなかでの日本の加害の事実―たとえば、日本軍「慰安婦」や南京虐殺、朝鮮人強制連行など―について否定し、教科書から削除させるように動いてきた、自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中心的な政治家であった(発足時の代表中川昭一、事務局長安倍晋三)。

また彼らは現在の小泉内閣を支える有力メンバーであり、中川昭一は経済産業大臣、安倍晋三は元官房副長官、現在は自民党幹事長代理である。そのほか外相の町村信孝は、2001年には文部科学大臣として「新しい歴史教科書をつくる会」に便宜をはかり、その教科書を検定に合格させただけでなく、日本の加害の記述を減らすように各教科書会社に圧力をかけ、加害の記述を各教科書から大幅に削らせた人物である。

文科相である中山成彬は、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の副代表のち座長であった(文科相就任時に退任)。彼は200411月に最近の歴史教科書から「従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当によかった」と発言した。2005年3月には文科省の下村博文・大臣政務官もこの文科相発言を支持すると発言した。下村は同議員の会(2004年に名称から「若手」を削除)の事務局長である。中山文科相は20056月にも同様の発言をくりかえしており、文科省の首脳部には、こうした右派の人物が就任しているのである。

閣僚についてもう一人あげておくと、総務大臣である麻生太郎がいる。麻生は20035月、自民党政務調査会長のとき、盧武鉉大統領の訪日を前にして、創氏改名は朝鮮人が望んだからだ、日本の統治が教育制度を整えハングル普及に貢献したと、日本の植民地支配を正当化する発言をおこなった。彼は日本会議国会議員懇談会の前会長でもある。日本会議とは改憲を目指して1997年に結成された組織であり、「つくる会」とも密接な協力関係にある。安部や中川などもこの懇談会の有力メンバーである。

このように小泉内閣においては、「つくる会」と密接に関係している右派政治勢力が内閣の重要なポストを占めている。そうした政治勢力は現在、自民党の中枢に勢力を広げ、かつ民主党内にも多くの協力者を確保してきている。また東京、神奈川、埼玉などの知事にも右派政治家が選ばれている。

こうした右派勢力は、数年前までは政界あるいは自民党内の主流とは言えなかったが、現在においては主流になりつつある。そのことはかれらを支持する人々が増えているということでもある。本章で考えたいことは、なぜそうした勢力が台頭してきているのかという問題である。この数年の間に日本社会や政治状況が大きく変わった。ここでは日本社会の何がどのように変わったのか、なぜそうした変化が起きたのか、そうした問題を日本の戦争責任・植民地責任という観点から検討してみたい。

 

2001年教科書問題とその後の政治動向

 日本において、日本の戦争責任や植民地責任について取り組む運動や研究が進みはじめるのは1980年代からであるが、本格的には1990年代からである。特に1991年に元日本軍「慰安婦」にさせられていた女性たちが名乗り出たことは日本社会に大きな衝撃を与えた。しかし1990年代中ごろより右派勢力による巻き返しが始まり、そうした中の一つの組織として19971月「新しい歴史教科書をつくる会」が結成された。「つくる会」は2000年度に中学校歴史と公民教科書を作成し、文部省が支援をして検定に合格した。

このときの「つくる会」の教科書の特徴については当時多くの批判がなされているので省略するが、簡単に言えば、日本の加害行為(侵略戦争や残虐行為、植民地支配の不当性)を徹底的に否定し、日本人としての誇りを植えつけようとする国家主義的なものであった。さらに男女同権化を攻撃し、男性は外で仕事、女性は家事育児をおこなうという家族主義の復権をはかった。その対外観は強烈な反米主義、反中主義、反韓国朝鮮主義である。

 「つくる会」の教科書はこうした歴史認識において問題が多かっただけでなく、単純な間違いや事実誤認が多く欠陥だらけであった。その結果、採択されたのは全国で計521冊、全国シェア0.039%にとどまった。

 しかし「つくる会」や『産経新聞』、『読売新聞』など右派マスメディアからの攻撃、文科省からの圧力を受けて、ほかの社の歴史教科書においても、日本の侵略戦争など加害の記述が大幅に減った。そうした意味で、教科書全体が後退させられる結果ともなった。

 その後、反米主義を打ち出した小林よしのり(漫画家)や西部邁(評論家)らが、「つくる会」主流と対立し、「つくる会」から退会した。「つくる会」主流は、現状ではアメリカとの同盟を維持せざるをえないという認識であり、その結果、2006年度から使用される今回の「つくる会」歴史教科書では全体としてアメリカ批判の記述が削られた。

 4年前に教科書問題が社会問題化していたとき、2001年4月小泉純一郎内閣が成立し、内閣支持率が90%を超える異常な人気ぶりを示した。このことは教科書採択には直接影響を与えなかったが、日本国民がある種のパフォーマンスに集団的熱狂的に傾倒するという現象として危機感を持って受け止められた。その小泉首相は同年8月に靖国神社を公式参拝した。さらに9.11事件がおきたことにより、世界情勢が急変した。ブッシュ・ジュニア政権が2001年1月に発足したが、その前年にアーミテージらの共和党系シンクタンクは、日本に有事法制(戦時法制)を制定させる必要があることを指摘し、日本の自衛隊を米軍とともに戦争に参加させる法体制の整備を日本に要求していた。9.11事件はそれを実行させる絶好の契機となった。

さらに日本世論にとって決定的な影響を与えたのは、20029月の小泉首相の北朝鮮訪問だった。北朝鮮は初めて日本人を拉致したことを認め、金正日総書記は口頭だけではあるが小泉首相に謝罪した。しかし北朝鮮に対する非難がマスメディアで繰り返し流され、世論は北朝鮮に反発した。在日朝鮮人への差別的言動や迫害も広がり、日朝交渉は頓挫した。北朝鮮による核兵器の開発疑惑、弾道ミサイル開発、秘密工作船の日本領海侵犯などの報道によって、北朝鮮=悪魔というイメージが深く浸透していたが、拉致問題はそれを決定的にした。北朝鮮がおこなったことは犯罪であり非難されるべきことであることは言うまでもないが、それを解決するための冷静な議論はメディアから排除され、声高な北朝鮮非難ばかりがくりかえされるようになった。

そして北朝鮮という悪魔から日本を守るためには日米軍事同盟は不可欠であり、日本の自衛隊もミサイル防衛をはじめとする軍事力を増強すべきであり、北朝鮮からの攻撃に備えた有事法制(戦時法制)を整備すべきであるという声が世論の主流を占めるようになった。北朝鮮が、拉致問題への反論として日本の植民地支配を持ち出したことは、逆に日本世論の反発をかい、植民地支配への反省を主張する日本の良心的な人々は北朝鮮の回し者という非難を受けるようになった。軍事力行使の主張と排外主義が日本社会の中に一気に広まったのである。NHK問題で安倍が、女性国際戦犯法廷を北朝鮮の工作と結び付けるウソを流して攻撃しているが、それは世論のそうした状況を利用しているからである。 

 こうした状況のなかで2003年3月アメリカによるイラク戦争が開始された。日本の世論は必ずしもアメリカ支持ばかりではなかったが、北朝鮮からの攻撃の際にはアメリカの支援が必要であるからアメリカに協力して自衛隊を派遣すべきであるという議論がかなり広まった。北朝鮮問題は日本の軍事化にとって格好の口実になったのである。

 こうした世論の変化は右派勢力に活気を与え、2003年6月には有事関連法が成立した(残されたいくつかの有事法制は翌2004年6月に成立)。日本国憲法によって戦争を放棄した日本には戦時法制はなかったが、ついに戦時法制が作られた。しかもその内容は、海外において米軍を支援し、さらには米軍とともに軍事行動が可能な内容になっていた。そもそもアメリカが日本に求めていたのは、海外でのアメリカの戦争に日本の自衛隊を参加させ、日本が全面的に協力することであった。そこには国の機関だけでなく地方自治体や航空、船舶、陸上輸送機関、技術者や病院関係など戦争に必要な企業や組織、人材を動員する態勢、メディアの統制、戦争に反対する運動の取締りなどが含まれていた。そうしたことを可能にする有事法制が、北朝鮮の脅威を利用して作られたのである。有事法制が制定された後、2004年7月にアーミテージ国務副長官は、憲法第9条は日米同盟の妨げであると発言し改憲を求めた。

 憲法改正は財界の要求ともなり、20034月には経済同友会の憲法問題調査会が改憲を求める意見書を発表した。財界の総本山である日本経団連は20051月に憲法第9条の改正を提言し、財界の意思は憲法改正に固まりつつある。憲法第9条を変えて対外戦争への参加を可能にすることはアメリカからの要求だけでなく、日本内部からの強い要求でもある。多国籍企業として世界各地に進出し、特に政情が不安定なアジア、中東などの地域に経済的権益を有していることから、日本の影響力を確保するためには軍事力の後ろ盾が必要であるという考えが政財界の中で強くなってきた。イラクへの自衛隊派遣についても、もし派遣しなければイラク占領後の利権の配分から排除されてしまうという懸念があったからである。経済的権益を確保するために軍隊を派遣するというのはまさに帝国主義的なやり方であるが、それを公然と主張できるような社会状況になってきている。

政党でいえば、自民党だけでなく公明党、民主党も憲法改正に動いており、憲法第9条を支持する政治勢力は社民党と共産党という二つの弱小政党(衆議院480議席中15)しか残っていない状況になっている。

 教育問題に目をむけてみると、日本国憲法の精神の下で制定された教育基本法の改正論議が進められている。その中で特に愛国心の育成が強調されている。1990年代に国旗国歌法が制定されているが、学校の入学式や卒業式などでの日の丸・君が代の強制が2003年より一気に強化された。教員に対して君が代を起立して歌うことが強制され、歌わなければ処分されるようになった。学校内では教員が自由に発言することができなくなってきている。そうした強制による愛国心育成に最も熱心なのが、石原慎太郎知事の下にある東京都である。南京虐殺はなかったというウソをくりかえして日本の戦争を正当化し、アジア民衆への差別発言、さらには女性蔑視の発言をくりかえしている石原都知事は20034月の知事選挙では圧倒的な支持を得て再選された。そうした排外主義、国家主義、女性差別的な言動が多くの人々から支持されるという現状がある。

 20041月の大学入試センター試験の日本史の問題において朝鮮人強制連行が出された。それに対して自民党など右派政治家は、朝鮮人強制連行はウソだと攻撃し、出題者の名前を公表しろと圧力をかけた。地方議会においても右派議員が、学校で南京虐殺や朝鮮人強制連行を教えているのは問題だと攻撃し、教育委員会にそうした教育をさせないように要求することが増えてきている。良心的な教員は脅迫されたり、圧力を加えられる状況にある。

 文部科学省や少なくない教育委員会が「つくる会」を支援し、「つくる会」の教科書を採択しやすいような行政指導をおこなっているだけでなく、日本による侵略戦争や植民地支配の不当性を記述した教科書やそうした教育をおこなっている教員への攻撃やいやがらせが、自民党や民主党の議員たち、右翼団体、産経新聞などの右派メディアによって執拗におこなわれてきている。

こうした状況のなかで、2006年度から使用される教科書では、各教科書会社は一斉に加害の記述を大幅に減らしたのである。そうした記述があると攻撃の対象になり、採択されない危惧があるからである。こうして文部科学省は検定で削らせる必要もなく、目的を達したのである。

 こうした右派の攻撃に抗議する運動には最近、厳しい弾圧が加えられるようになってきた。チラシを配っただけで逮捕され数か月にわたって勾留されるという事態が昨年よりいくつか起きている。こうした不当な弾圧についてほとんどのメディアは取り上げない。それどころか朝日新聞にしてもチラシを配る側に問題があるかのような社説を載せ、警察の弾圧を正当化するような議論をした。かつての侵略戦争の際にも日本のマスメディアは警察の弾圧と民衆抑圧に加担していったが、反省のないメディアは今また権力にすりよってしまっている。

女性国際戦犯法廷についてほとんどのメディアが報道せずに無視したが、20051月、自民党政治家のNHKへの政治介入が表面化した際にも、多くのメディアはNHKと朝日の喧嘩のように眺め、この問題が持つ意味をきちんと理解しようとしなかった。メディアの退廃が右派の攻撃を可能にしている重要な条件となっている。

 

保守勢力の変化―保守本流の解体と日本政治

こうした右派勢力はこれまでも自民党内に存在していたが、傍流にとどまっていた。ところが現在、かれらは自民党の主流になりつつあるだけでなく、民主党にも同調者を多数見出し、政界ならびに財界の主流になりつつある。かつての保守本流はどうなったのか、保守勢力の構造変化を見てみたい。

 保守本流とは、歴代の首相でいえば吉田茂を出発点とするが、本格的には1960年の安保闘争後に登場した池田勇人内閣から続いてきた自民党の主流派を指す。1982年の中曽根内閣以前の内閣は原則として、旧吉田派の流れを組む派閥、つまり佐藤派(→田中派→竹下派→橋本派)と池田派(→大平派→鈴木派→宮沢派)の系列から首相が選ばれた。

 保守本流の政策上の特徴は、本論との関係でいえば、明文改憲をさけ解釈改憲(解釈を変えることによって現状を正当化する手法)で自衛隊を認めること、日米安保体制堅持(ただし自衛隊の海外派兵など日本が戦争に参加することは避ける)、経済成長優先などである。1950年代の岸内閣などが改憲を表に出して国民の反発をかった経験から、改憲は避けて解釈を変えることによって対応し、かつ自衛隊の海外派兵など国民的批判を受けるようなことはやらず、経済成長に力を注ぎ、経済的利益を国民に供与することによって政権の維持をはかろうとする政策を採用した。

この保守本流政権下で、自民党・財界・官僚、すなわち政財官複合体とも呼ばれる三者の癒着構造が生まれた。自民党は大企業の利益を代弁する政党であり、その政治資金の多くはそうした大企業からの政治献金に依存していたが、選挙における集票においては農村部の農民や都市の中小商工業者を基盤とした。農産物の輸入自由化に反対し補助金を散布して農民を保護し、あるいは大規模店舗の出店を規制し都市の零細業者を保護するような政策もそうした支持基盤との関係で維持された。大企業ばかりでなく、都市の中小商工業者と農村の農民という必ずしも利害の一致しない階層を支持基盤に組み入れることができたことが自民党の強さであった。

ここで注目しておかなければならないのは、特に農村部では戦前までは地主制の下にあったことである。しかし戦後の農地改革により地主から土地を借りていた小作人たちは自分たちの農地を手に入れ自作農になった。徴兵制がなくなり兵隊にとられることもなくなった。さらにその後の高度経済成長によって電化製品や自家用車などが普及し生活水準は著しく向上した。つまり戦後の方がはるかによい境遇になったのである。彼らには戦争を忌避する姿勢が強かった。かれらは通常は自民党を支持するが、憲法問題になると、むしろ社会党・共産党などの革新政党の主張する改憲反対、自衛隊の海外派兵反対の態度をとった。したがって憲法第9条の改正を避け、自衛隊が海外の戦争には参加しないという政策はこうした保守層の人々の意思に対応していたと言える。

この保守本流は、民衆の排外主義を煽るような手法は比較的控えてきた。保守本流の元祖ともいえる吉田茂の場合、彼はエリート主義者であり大衆を蔑視していた。大衆民主主義を衆愚政治として警戒していた。情報公開にも消極的で、票田としては大衆を利用しながらもかれらを見下していた。そうした姿勢は批判されるべきではあるが、他方で、自己の政治目的のために大衆を煽動するというポピュリズム的な方法をとらなかった。そうした保守本流に対抗して登場してきた小泉首相がポピュリズム的な手法をとっているのとは対照的である。

 1982年に中曽根康弘内閣が登場し、保守本流時代は終わったと言われているが、保守本流、特に田中派―竹下派は自民党内の最大派閥として大きな発言力を維持していた。イラン・イラク戦争の際に中曽根首相は自衛隊を湾岸地域に派遣しようとしたが、それをやめさせたのは内閣官房長官であった後藤田正晴(田中派)であった。

 保守本流の戦争責任問題に対する姿勢について言えば、一部の政治家を除いて日本の侵略戦争や植民地支配の加害責任から目を背けようとしてきたことは間違いない。その点で厳しく批判されて当然である。ただその一方で、改憲には消極的であり、アメリカの軍事行動は支持するが、日本の自衛隊を海外に送ることは控えてきた。自民党支持者の戦争への忌避感を背景にして、日本が戦争に参加することは避けるという姿勢をとった。したがって有事法制も作らなかった。

また一部ではあるが、野中弘務元自民党幹事長のように中国や韓国朝鮮への加害責任を自覚し、南京大虐殺記念館を訪問して頭を下げたり、日本軍慰安婦問題について「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた」と官房長官(宮沢内閣)として謝罪した河野洋平(元自民党総裁、元外相)のような有力政治家もいる。

 保守本流の政治家たちは財界や官僚と癒着し、腐敗した政治の責任者たちでもあったが、他面ではそうした一定の平和主義的な側面も持っていたのである。

 2001年の教科書採択において、「つくる会」が敗北する重要な契機となったのが栃木県下都賀地区での採択だった。ここで「つくる会」教科書の採択を阻止するうえで決定的な役割を果たしたのが、同地区・国分寺町の若林英二町長だった。彼は戦争中、兵士として中国に従軍した経験があり、「つくる会」の教科書はウソを書いている、あれは侵略戦争だったと語り、「つくる会」の教科書の採択に強く反対した。彼は28年間、町長を勤めてきたが、30年来の自民党員でもあった。同地区は圧倒的に自民党が強い保守的な地域であったが、自民党の有力者が「つくる会」を拒否したのである。この下都賀地区での出来事は全国的に大きな影響を与えた。2001年において「つくる会」を敗北に追いやった重要な力の一つは保守の中の平和主義的な人々の存在でもあった。それは憲法第9条を支えてきた勢力とも重なっている。

 しかしその後、日本の政治状況は大きく変わった。若林町長はまもなく引退した。後藤田正晴、野中弘務も政界から引退、河野洋平も自民党内での発言力はなくなった。保守本流を支えてきた竹下派・橋本派、宮沢派はもはや見る影もない。人的にも保守本流は日本の政界から退場したと言ってよい。

自民党の支持基盤を見ても、農業従事者はわずか数パーセントに減り、さらに農産物輸入自由化により農民は自民党の基盤ではなくなった。外資などの大規模店舗の自由を拡大し、都市の中小零細業者は次々に廃業を余儀なくされている。1980年代から90年代にかけて建設業は自民党の有力な基盤であったが、財政難から公共事業が削減され、その基盤は縮小しつつある。自民党は新自由主義的な改革によって、旧来の支持基盤を切り捨て、新自由主義の受益者、すなわち都市部の「勝ち組」(ならびにその可能性があると信じている人々)を基盤にしようとしている。ただかれらは旧来の支持者のように固い組織に組み込まれているわけではないので自民党の忠実な支持者とは言えない。むしろ民主党に引き付けられる傾向がある。その結果、社会全体の保守化、右傾化にも関わらず自民党は大きく支持を失っているが、それを補っているのが公明党である。創価学会の組織票を持った公明党は自民党に票を回すことによって政権内で大きな影響力を持っている。民主党は都市部の「勝ち組」、つまりグローバリゼーションのなかで成功している都市部の中上層を支持基盤とする、全体としては新自由主義的な政党である。

さて自民党内で保守本流に代わり台頭してきているのが、先に紹介したように「つくる会」と同様の歴史認識を持った戦後生まれの政治家たちである。戦争体験がない分、戦争をすることへの抵抗感もなく、かんたんに武力行使を主張する。またかれらは新自由主義的な改革を主張するとともに、イデオロギー的には極右的な国家主義を提唱している(両者の結びつきについては後述)。彼らは政治家になるために、古い体質を引きずる自民党を避け、民主党から立候補している者も多い。かれらは従来の自民党議員のような基盤がないため、民衆の既成政治家への不満を利用して、ポピュリズム的な手法で既成政治家を攻撃し、人々の支持を獲得しようとする。自民党の基盤が縮小しているため、その手法により場合によっては多くの支持を集めることも可能になった。

かつての自民党の利益誘導がうまく機能しなくなり、有権者の流動化が進んでいる。イメージ操作によって、有権者の投票行動が一気に動くという傾向が生まれている。まともな政策論争はほとんどなされず(マスメディアがやらない)、イメージ選挙になる。小泉首相の手法は「ワン・フレーズ・ポリティックス」とも呼ばれることがあるが、彼の発言は政策を丁寧に筋道立てて話すのではなく、短いフレーズで単純化して断定するような言い方しかしない。ちょうどテレビ・コマーシャルと同じである。小泉首相は、ある者を悪者に仕立て上げ、それを矮小単純化し攻撃することによって人気を得る手法をとる。ナチスがユダヤ人を悪の根源のようにみなし攻撃したのと似ている。そうした政治手法によって、筋道立てて考え議論していくという雰囲気が失われつつある。

 マスメディアの変化も大きい。日本のテレビが日本の加害問題を扱うことはほとんどない。1990年代には少し、そういう番組が作られたが最近は許されなくなってきた。他国の戦争犯罪についての番組はまだ許されているが。南京虐殺はなかった、日本軍慰安婦はむしろ日本軍が保護したのだ、植民地支配はよかった、などという言説が有力な全国紙によって日常的に繰り返されている。分厚い研究の蓄積を無視して大きなウソをくりかえし大声で叫ぶ、排外的な政治家やこうしたメディアの手法は、ナチスの大衆煽動の方法とそっくりである。さらに朝日新聞などもずるずるとそれに引きずられ、権力にすり寄っている状況にある。ほとんどのメディアは、有事法制は必要であり、憲法第9条は時代遅れであるという雰囲気を作り出している。

 日本の青年たちなど、既成の政治家に不満を抱く人々は、中国や韓国に強腰に出られる右派の政治家に拍手を送る状況がある。もちろん彼らは自分たちの利害を計算して、アメリカを攻撃しないという打算を働かせている。書店にはアメリカ批判の本が並び、気分的は反米が広がっていることも事実であるが、実際の行動ではアメリカのご機嫌をうかがう。強い者には媚び、弱い者には傲慢な態度をとる人々が増えているように見える。

人権や平等、平和というようなこれまでの戦後日本社会では肯定的なイメージを与えられてきた概念は、既存の旧体制の象徴として攻撃されるようになっている。憲法も教育基本法も旧体制の象徴と受け止められている。社民党や共産党のような革新政党は、〈憲法を守れ、教育基本法を守れ、有事法制反対、規制緩和反対などばかり唱えて、既存の体制を擁護ばかりしており、改革を妨害する「保守」、旧体制派である〉というイメージでしか受け止められなくなってきている。そして新自由主義的かつ国家主義的な勢力が、行き詰まった古い体制を変えてくれるのではないかという漠然とした期待がかれらへの支持になっている。

 

日本社会の変化―排外主義の基盤

 こうした状況が生まれた社会的条件について考えてみよう。

 1990年代以降、新自由主義的な改革が進み、日本社会は急激に変わりつつある。学校卒業後、いったん企業に就職すれば定年まで勤め上げ、定年後の生活も保障される終身雇用制が急激に解体しつつある。中高年はリストラによって明日の我が身も分からない状況にあるし、青年は正規社員になれるチャンスが急減し、不安定な職(いつ首を切られるかわからない)が増えている。そうした正社員を組合員とする企業別労働組合は力を失っている。確かに一握りの者には大成功するチャンスがあるようになったが、圧倒的多数にとっては不安定化と脱落でしかない。新自由主義改革が描く、能力ある者にとってのバラ色の未来像とは対照的に、多くの者にとっては不安と展望のなさで一杯になっている。

 1990年代後半にいくつかの指標で日本社会が大きく変わったことが示されている。いわゆるフリーターという定職につけずパートやアルバイト、派遣労働者など不安定な仕事にしかつけない青年(34歳以下)が1994年の218万人から2001年には417万人と倍増した。自殺者は90年代前半は2万人あまりで推移していたが、98年に突如3万人を突破、その後も3万人台の高い水準のままである。自殺の原因に経済生活問題が占める数が急増した。10代の少年による凶悪犯罪は1950年代以来、長期にわたって減少していたが、90年代後半から急増し、1000人あたり0.1人から0.2人あまり(16-17歳では0.3人に)に倍増した。同じ時期、強制わいせつ罪も急増した(強制わいせつが犯罪であるという意識が広まり、被害者が訴えるケースが増えたことが主な理由であるだろうが)。学校教育に目を向けると、学校への不登校生徒が増え、小中学生の間で家で勉強をする生徒とまったく勉強をしない生徒に両極分解が進み、特に後者の割合が急増している。

 1990年代後半以降、日本社会は大きく変わったという印象が強い。人々は社会生活に不安を持ち、脅え、展望が持てなくなっている。日本社会は行き詰っている、これまでの日本のやり方ではだめだというイメージは広まり、自分たちに自信を持てなくなっている。二〇〇五年三月末に日中韓でおこなわれた世論調査によると、「自分の将来」について、「期待」を持っている人は、中国八二%、韓国五四%に対して日本は二三%にすぎず、逆に「不安」という人は日本が六六%と飛びぬけて多い。

 そうした不安感が生まれる大きな理由の一つは、一人ひとりを保護していた組織・団体が解体していることである。人はなんらかの集団のなかで自分の居場所を確保し、精神的にも経済的にも保護され安心する。戦後日本社会では、そうした集団は、サラリーマンであれば会社であり、商工業者であれば商工会や商店会などの地域組織であり、あるいは家族であった。労働組合もそうした役割を果たしてきた。会社に就職すれば、仕事だけでなく冠婚葬祭から娯楽、定年後の生活にいたるまでケアを受けることができた。

 ところがそうした組織が軒並み解体あるいは弱体化しているのである。近年のグローバル化と新自由主義的な規制緩和のなかで、そうした個人を保護する機能が失われ、一人ひとりがバラバラにされた状態で、個人責任の自由競争のなかに投げ出される。しかもそこでは敗者になる可能性の方がはるかに高い。少々の個人の努力ではどうにもならない。そうした状況の前ではチャレンジする前に闘争を放棄してしまう。普通の庶民がほどほどに努力すれば、なんとかなるという状況ではなくなっているからだ(そういう状況がなくなったわけではないが、なくなりつつある現状がくりかえし宣伝され、そういう方向しかないかのように思い込まされる)。

 日本の労働者の状況を階層に分けてみると、一握りの管理経営者・技術者・研究者など卓越したエリート層(A)、継続して勤務しながらさまざまな能力を習得していく労働者層(B)、使い捨ての未熟練労働者(C)という3層に分解しつつある。かつてはBが分厚い層をなし、こつこつとやっていればたいていはこのBに入ることができた。このBはたしかにまだ一定の層を構成しているが、急速に減少していることはまちがいない。そしてAとして大成功するチャンスは広がったが、そもそもそこに入っていけるのはほんの一握りの層でしかない。多くの者は最初からAに入ることはあきらめるしかない。そしてCが急速に増えている。

 Cの階層は、年収はせいぜい100数十万円から200万円程度で、不安定な仕事にしかつけず、かつ継続的に能力を習得していく機会もない。彼らは親と同居することによってなんとか生活しているが、とても自立するだけの経済力はない。結婚すること、さらには子どもを作ろうにも先の展望がないのであきらめる。ただ、子どもができてしまうと、仕方なく結婚するが子どもをきちんと育てる精神的経済的準備もできておらず、しばしば子どもの虐待など問題が起きてしまう。

Aの階層に入ることができたとしても、労働時間がますます長くなっている。過労死も深刻である。Aの階層に入ることのできる女性も出てきて、彼女たちが結婚する相手はAの階層の男性が多くなるが、男性は長時間労働で家事育児どころではない。女性がAでやっていくには子どもはとても生めない。結局、AでもCでも子どもを生み育てられる環境ではない。

侵略戦争や植民地支配正当化の議論をする右派は、同時に男女同権化を攻撃している。そのため1980年代以降、進められてきた同権化の施策が後退してきている。〈女性が男女平等を主張して社会的に進出し、女性らしさを失い、出産育児を放棄し家庭を顧みなくなった、そのことが少子化、青少年犯罪の増加などにつながっている〉という乱暴な議論がなされてきている。〈侵略戦争など加害を教えることによって青少年のモラルを破壊し、犯罪や非行が増える原因になっている〉とまで宣伝されている。ちょっとした常識があれば、まったく荒唐無稽の議論であることは明白なのだが。

社会への不安やいらだちは、外国人労働者が増えたから犯罪が増えたのだというように、在住外国人(白人ではなくアジア系)への攻撃ともなって現れている。彼らの人権や労働基本権を認めず、劣悪な環境に追いやっていることが問題だという冷静な議論よりも、排外主義的な非難が叫ばれる。

日本軍「慰安婦」は、侵略戦争・植民地支配だけでなく、男女同権化やアジア系外国人問題とも関わる複合的な問題である。だからこそ右派のヒステリックな攻撃の対象にされているのである。

 自分自身あるいは自分たちの社会への自信も展望もないなかで、自己の問題を冷静に省みて過ちを認め反省することを避け、他者に責任を転嫁し、あるいは他者をあげつらい攻撃することによって不安から逃れようとする。良心的な議論に対して「自虐的」というレッテルを貼ることによって、自分が優位に立っているという幻想に満足気にひたる。

そうした人々が何か拠り所を求めようとするとき、そこに浮かび上がってくるのが、「想像の共同体」としての国家であり、「幻想の共同体」としての家族である。夫や子どもの世話をよくする妻であり母親のいる暖かい家庭というイメージ、男らしいしっかりした夫であり父親のいる家族というイメージが浮かび上がる。

 現在、日本で進んでいる教育改革は、単純化すれば、Aの優秀な人材を育成するために資源を注ぎこみ、Cになるような多くの者は切り捨て、それなりの教育しか与えないという方向である。子どもたちに等しく一定のレベルの教育を施し、一定レベルの労働者を育てようとするのが従来の教育政策であった(Bの労働者を育てる)。しかし現在の日本では、たとえば製造業の工場は海外に移転し、国内での生産は空洞化している。日本の本社に求められるのは、管理者やすぐれた技術者たち(A)であって、一般の労働者ではなくなりつつある。

 ところがこの教育政策をすすめていくと危険なのが、切り捨てられるCの人々―人数からいえば多数派であるが―が団結して抵抗することである。また展望をなくして犯罪に走っても困る。そこでかれらをおとなしくさせる必要がある。そのための方策の一つは、自分には能力がないのだと思い込ませ、あきらめさせることである。もう一つは、国家主義の注入である。日本国家は優れた国家であり、優れた民族であり、その国家・民族の一員であることは誇るべきであること、そうした国家のために奉仕できることはすばらしいことであるという観念を植えつけようとする。国旗国歌への忠誠の強制、愛国心の育成などはそうした意味がある。

またサッカーのようなスポーツは、スタジアムで同じユニフォームを着て応援することにより観衆の一体感を醸成し、つかの間の連帯感を感じさせてくれる。「つくる会」の教科書を見るとわかるように、スポーツは国家主義を植えつける道具として意識的に利用されている。

 特にCの階層の青年は自衛隊の供給源でもある。自衛隊がアメリカの戦争に参戦し戦死者が出たとき、それでも自衛隊に入ろうという青年を育てなければならない。その際、日本が侵略戦争をおこない、さまざまな残虐行為をおこなったなどということは日本国家の栄光を傷つける話であり、とても認められない。日本国家は常に正しく、正義でなければならない。そうでなければ、どうして国家のために命を捧げられるだろうか。このように新自由主義的な改革と国家主義とが結びついた政策がとられてきている。

 家族像にしても、そうした家族が成立するためには、男性に家族を養えるだけの十分な給与と安定が保障されなければならないが、現実はそれとは逆に向かっている。したがってこの家族像は幻想にしかすぎない。そうした家族を実現するためには、右派の立場から言えば、従来の終身雇用制を守り新自由主義的な改革に反対しなければならないはずだが、現実にはそうした家族像をふりまく者たちは、社会的に自立しようとする女性、特にフェミニストを攻撃し、彼女たちがその理想の家族の実現を妨げているかのように非難する。

男女ともにその能力を発揮できるような労働環境を整え、労働時間を西欧なみに短縮しながら、かつ安定した職と収入を保障する、男女が協力しながら家事育児をおこなうという方向に改革しなければならない。それは西欧の多くの国ですでに目指されていることであり、実現可能な政策でもある。しかしそうした選択肢を日本のメディアはほとんど伝えようとせず、新自由主義的改革しかありえないかのように世論を誘導している。

 右派が拠り所としようとしている国家とか家族というものは実態がない幻想にすぎない。国家はますます福祉や教育を切り捨て、個人責任だと言って人々を保護することを放棄している。そこで、誰か悪者を設定し、その悪者がわれわれのめざすものを破壊、妨害していると攻撃する。そしてその悪者を蔑み攻撃することによって、自己の優越性と自信を持とうとする。日本の侵略戦争や植民地支配を反省する人々、自立しようとする女性、在住外国人などがその悪者にされるのである。

 悪者は国内だけではない。中国や韓国は、南京虐殺や「慰安婦」などをでっち上げて日本を攻撃し、日本を謝らせて金を巻き上げたり、あるいは日本を屈服させようとしている、と考える。中国や韓国の言いがかりにきっぱりと拒否できる政治家こそが必要だ、だから南京虐殺はでっち上げだと堂々と言える石原慎太郎都知事は立派だということになる。日本のテレビでは北朝鮮の市民生活をうかがわせる映像が頻繁にくりかえされる。北朝鮮の人々の貧しさ、みじめさ、あるいは滑稽さがくりかえし嘲笑の対象となる。そのことを通じて、いまの自分の幸福をかみしめる。特定の他者を悪者扱いし、矮小化単純化して攻撃し、そのことによって自分たちのストレスを発散させ、なにか自信を持った気分になる。みんなで一緒になって「反日分子」を非難することにより、仲間としての連帯感を感じる。排外主義に身をゆだねることによってそうした連帯感、仲間意識を感じることができる。これは自分の自信のなさ、卑屈さの表れでしかない。新自由主義的な改革によって切り捨てられつつある人々が排外主義を支えている。

これはちょうど一九三〇年代に世界恐慌により大打撃を受けた民衆が、現状打破を期待して軍部の強硬派に期待を寄せ、中国への侵略戦争を積極的に支持したことに似ている。政治家やマスメディアが排外主義を煽り、民衆がそれに興奮していった。中国で抗日運動がおこなわれると、そもそもの原因である日本の侵略を棚に上げて中国を非難し、冷静な対応を呼びかける政治家を弱腰だと攻撃し、中国を懲らしめよと声高に叫ぶ。こうした構図は七〇年前と同じだというのは、はたして言いすぎだろうか。

日本の状況をまとめると、日本がアメリカとともに海外で戦争に参加できるようになるために、日本が侵略戦争や加害行為をしたことは否定し、日本がやったことは正しかったのだということを日本の青年に教え込み、普遍的な人間性の育成ではなく愛国心を植え付けて新たな戦争に積極的に参加する青年を育てようとしている。憲法(特に第9条)の改正、有事法制の整備、教育基本法の改正(平和で民主的な社会の担い手の育成ではなく、愛国青年の育成)、歴史教科書での加害記述の削除・愛国教育の強化、学校における教員統制の強化、平和運動への弾圧、反中・反北朝鮮キャンペーンを利用した世論の動員、排外主義の煽動、男女同権化への攻撃という一連の状況はそうした方向に日本を変えるために意図的におこなわれている一連の政策である。「愛国心は悪党の最後の隠れ場」(サミュエル・ジョンソン)という言葉が、いまほどぴったり当てはまるときはない。

 

本稿では日本の現状について否定的な状況を強調する内容になったが、肯定的な状況も生まれてきている。

日本ではこの間、韓流ブームである。こうしたブームへの批判はいくらでも可能だが、テレビや映画、音楽などを通じた韓国文化の流入によって、少なくとも、日本社会に長くあった韓国人への差別的な意識はかなり薄らいできているという印象を持つ。こうしたことから日本人がかつての植民地支配について、その負の遺産について、いまなお差別的な扱いを受けている在日韓国朝鮮人について知り考える機会になることを期待している。

また近年、研究者や教員、市民たちの日韓・日中の交流も進んでいる。いくつかのグループが日韓共同で歴史教科書あるいは歴史の副教材作りをおこなっている。この五月には日中韓の三国の研究者や教員らが共同で共通歴史教材『未来をひらく歴史―東アジア三国の近現代史』(高文研)を、三国で同時に刊行した。東アジアの市民レベルでの連帯は確実に広がってきている。

二〇〇四年一二月に日本の各地で日本軍慰安婦にさせられた女性たちを韓国、台湾、フィリピンなどから招いて証言集会が開催された。その運動を支えたのは学生たちだった。彼らはこの数年の右派のバックラッシュの中で育った世代であるが、誠実に日本の加害責任を受け止め、行動している。そういう意味で新しい世代の運動が始まりつつある。

 民衆のなかに排外主義が広まっていることは事実であるが、一方で冷静な対応も見られる。二〇〇五年二月にサッカーのワールドカップ予選で北朝鮮チームが来日し、日本チームと試合をおこなった。スタジアムの状況が心配されたが、北朝鮮の国歌演奏の際のブーイングもなく、スタジアムの雰囲気は政治とスポーツは別であるという友好的な雰囲気だった。

小泉首相の靖国参拝をめぐって、日本の世論調査を見ると、参拝を控えるべきであるという意見が参拝支持を上回ってきている。靖国神社のあり方自体が問題であるというよりは、中国や韓国の厳しい批判をうけて、参拝は控えておいたほうが無難であるという受身の姿勢が強いように見受けられるが、小泉首相のやり方で突っ走ってはまずいという賢明な判断が広がりつつある。また二〇〇五年七―八月にかけて、二〇〇六年度から使用する中学校教科書の採択がおこなわれたが、「つくる会」の教科書の採択率は1パーセント程度にとどまり、当初の予想を大幅に下回った。いくつもの地域で日韓の市民による共同の運動がおこなわれたのも今回の特徴だろう。

最近の日本をめぐる国際情勢は、排外主義的な路線が日本の孤立を招くものでしかないことを明確に示しており、それに対して、日本社会の一定のバランス感覚が働いていると言える。そうした良識を政治に反映させる取組みが必要である。

現在の日本は、有力な政党の支持基盤が流動化しているので、何かきっかけがあればいい方にも悪い方にも一気に変わる可能性がある。よい方に変えるためには、旧来の保守本流路線でも〈新自由主義+国家主義〉路線でもない別の選択肢、すなわち男女が共同で働き生活できる、安定した労働・家庭環境を保障し、開発よりも環境を重視し、日本の戦争責任・植民地責任に誠実に取組み、非軍事に徹した平和主義的姿勢を貫く、そうした方向性を打ち出した、新しい政治勢力を作り出さなければならない。その結集軸が作られれば、大きな政治勢力になりうる条件は十分にある。そしてそうした日本こそが東アジアの平和と友好に貢献できるだろう。

                        (2005年6月 書き下ろし、8月一部加筆)

 【参考文献】

本書の性格上、出典の注記は省略したが、多くの方々の著作を参考にさせていただいた。そのうち、主なものを一人につき一点ずつ挙げておく。

伊田広行『シングル化する日本』洋泉社新書、2003
香山リカ『<私>の愛国心』ちくま新書、
2004
斎藤貴男『教育改革と新自由主義』寺小屋新書
(子どもの未来社)2004
俵義文『あぶない教科書 
NO!』花伝社、2005
細谷実「男女平等化に対する近年の反動はなぜ起きるのか」(『世界』
20054月号)
山田昌弘『希望格差社会』筑摩書房、
2004
渡辺治『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成』桜井書店、
2001
『季刊戦争責任研究』掲載の諸論文(
20056月現在、第48号まで刊行)