『週刊金曜日』2006年3月24日号

書評 

 笠原十九司『体験者二七人が語る南京事件―虐殺の「その時」とその後の人生』高文研、2006年

                               林 博史    


本の紹介文です。人間性が欠落してしまったとしか考えられないような輩(やから)が、日本社会の上から下まで、さばっているのに頭にきていたところだったので、笠原さんのこの本のメッセージがよく実感できました。 2006.4.4記


 南京虐殺事件について、殺されたのが三〇万人というのはうそで、実際はせいぜい数万人にすぎなかった、「反日」を煽る中国の宣伝だと得意げに書いたり語ったりする者がよくいる。そのように語っている者にとっては、数万人とはなにかわけのわからない塊でしかなく、一人ひとりが感情を持ち、生活を持ち、喜んだり悲しんだりする人間であるということはすっかり切り捨てられている。他者を思う人間性が麻痺している(かりに一片の人間性でも持っているとして)としか言いようがない。

戦争において「敵」を容易に殺せるようになるために相手を非人間化するが、自国の戦争を正当化しようとする際にも相手の非人間化がくりかえされている。日本兵に抵抗したため殺されかけた李秀英さんを心無い右派がにせもの呼ばわりしたことがどれほど彼女を傷つけたのか、その証言から痛いほど伝わってくる。名誉毀損裁判で李さんは勝訴したが、勝訴確定の一月前に彼女は亡くなった。被害者をさらに鞭打ち、命を縮めさせたのである。これほど残酷な加害者がいるだろうか。

著者はかねてより「犠牲者の顔と名前を想起」すること、「犠牲にあった家族、民衆、兵士たちの苦しみや悲しみを誠実に想起すること」を強調してきた。もちろん事実を冷静に客観的にさまざまな資料で実証することの重要性は言うまでもなし、著者はそうした面でも貴重な成果を次々に発表してきた。しかし同時に一人ひとりの被害者への思いを大切にしてきた研究者でもある。本書は南京事件の被害関係者二七人の聞き書きをまとめたものであるが、南京事件にかかわる体験だけでなく、一人ひとりの人生をも聞き取ろうとしている。

本書を読むと、多くの被害者がきちんと体験を話す機会を与えられなかった戦後の中国の問題が浮かびあがってくる。また女性への強かんなど性犯罪が村社会においてしばしば隠蔽され、被害者が癒されないままに放置されてきた状況も。

 本書には南京大虐殺記念館創設にあたって中心的役割を果たした研究者の段月萍さんの聞き書きも含まれている。戦争中の体験から反右派闘争や文革期に右派とされて攻撃された経験、その後、南京虐殺を調査するようになった経緯などが語られている。彼女の聞き書きを読むと、中国の南京事件研究者がどのような人生経験を経て何を考えながら研究をしているのかということがわかってくる。中国共産党の政治宣伝だというようなステロタイプ化した中傷に対して、一人の人間としての中国の研究者の姿が見えてくる。

 本書には南京虐殺事件についてのコンパクトでわかりやすい解説も付されているし、中国での最近の研究動向の紹介も日中間の対話が可能な状況が広がっていることを示して興味深い。
 中国人、特に被害者の言うことにも「反日キャンペーン」だとレッテルをはり、自己を正当化さえできれば被害者の傷口に塩を塗っても平気な者たちをこれ以上、のさばらせてはならないだろう。

 本書を通じて著者の被害者への思いが、まず何よりも多くの日本の人々によって、さらには国家を超えて共有されることを期待したいし、それをすすめることが私たちの責任であると思う。