“Tokyo face à ses crimes”, Maniere de voir, Le MONDE diplomatique, No.82, Aout-Septembre 2005

自らの戦争犯罪に直面する日本政府             

                         林 博史  


 フランスの国際月刊誌『ル・モンド・ディプロマティーク』より依頼を受けて書いたものです。ただし、ここに掲載したのは、最初に私が編集部に出した原稿です。その後、短くせざるをえなくなり、またヨーロッパ人向けに修正をおこなったり、脚注をつけたりしたので、フランス語で掲載されたものはこれとはかなり違っています。その後、フランス語版を若干修正したものが、同誌の日本語ホームページに掲載されていますので、そちらもご覧ください。
 


1860年代、近代国家建設をめざす明治政府が成立した。欧米列強が中国や東南アジアを次々に分割、植民地化をおこなっているなかで独立の維持が新政府の最大の目標だった。新政府はその目標を中国や朝鮮などアジア諸国と提携することによってではなく、日本が欧米帝国主義国の一員に加わることによって成し遂げようとした。そうした対外膨張政策の犠牲になったのが周辺のアジア諸国であった。日本は第一次世界大戦までにいくつかの戦争を通じて朝鮮と台湾を植民地とし、さらに中国東北部、西太平洋諸島に利権を獲得した。朝鮮と台湾の植民地化戦争は、アメリカのフィリピン植民地化、英仏などによるアフリカ分割・植民地化などと並行しておこなわれ、日本は欧米諸国の支持を得て植民地を獲得した。欧米列強の仲間入りを目指していた日本は、一応当時の国際法を守ろうとしたが、アジアの民衆に対しては国際法を無視し、しばしば住民虐殺など残虐行為をおこなった。

 しかし1930年代以降、英米と対立するようになった日本はドイツ、イタリアに接近し、従来の国際秩序を破壊し、東アジアの盟主を目指した。国際法も破壊すべき秩序の一つとなった。経済力軍事力で英米に劣る日本は天皇イデオロギーを中心とする精神主義を極端に肥大化させ、国内の反対勢力を徹底して弾圧し戦争へと突き進んでいった。

 1931年からの満州事変で中国東北部(満州)を実質的に支配下に収め、さらに19377月から中国への全面戦争を開始した。中国では、約20万人の捕虜市民を虐殺し多数の女性を強かんするなど南京大虐殺をおこなったのをはじめ、特に華北で共産党を撲滅するために広大な地域を無人化し数十万人以上の住民を虐殺あるいは餓死させた。重慶など中国都市に対する無差別爆撃を数年にわたって実施した。兵士の休暇あるいはローテンション制度のなかった日本軍は将兵への「慰安」のため、日本や朝鮮から大量の女性を「慰安婦」、すなわち性奴隷として連行しただけでなく、中国の女性を拉致して慰安婦にした。「慰安婦」制度の導入にもかかわらず将兵による現地女性への性犯罪は減らなかった。日本軍は機密費を調達するためアヘンの生産販売を大規模におこない多くの中国人を廃人化した。中国東北に本部のおかれた731部隊BC兵器の開発をおこない、実戦でも使用させた。特に捕虜や住民を生きたまま人体実験、解剖をおこなったことは悪名高い。

 日本は約100万人の軍を送りこんだが中国政府は降伏せず戦争は長引いた。戦争の長期化はアメリカとの対立を強め、結局、日本は自力で戦争を継続できるための資源、特に石油を確保し東アジア・東南アジアに大帝国を建設する政策を採用した。194112月日本はアジア太平洋戦争を開始し、第二次世界大戦は文字通りの世界戦争になった。東南アジアの拠点シンガポールを占領した日本軍は数万人の中国系住民を虐殺した。日本軍は抗日活動をする可能性のある者たちを事前に殺害したのである。東南アジア各地においても抗日活動者、あるいはその疑いをかけられた者は処刑された。戦争末期になると住民が連合国と内通しているのではないかと疑った日本軍はフィリピンやビルマ、インドネシア諸島などでも住民虐殺をしばしば引き起こした。

 初期の日本軍の勝利によって大量の捕虜が生まれた。欧米人捕虜は泰緬鉄道などで強制労働に動員され、約15万人中42000人あまりが死亡した。生き残った捕虜も強制労働と飢え、病気により悲惨な状況を強いられた。日本の外務省はジュネーブ条約を準用するapply mutatis mutandisと連合国には通知したが、戦時国際法を遵守する意志はなかった。白人捕虜を植民地に連行して働かせることによって、日本の威信を植民地民衆に見せつけようとさえした。

 朝鮮などの植民地では、天皇への崇拝や日本語強制をおこない日本への同化を強制した。そのうえで不足する兵力を補うために徴兵制を実施し、さらには100万人以上の労働力を日本などに強制連行し鉱山や工場、建設現場で働かせ、多くの犠牲を出した。「慰安婦」にされた女性も多かった。戦後の在日朝鮮人の多くは植民地支配の中での収奪によって日本の来た人々である。かれらはその子どもや孫も含めて、今日なお日本国籍を取得しない限り公民権もなく、ほとんど公務員にもなれず差別され続けている。

日本はアジア民衆を欧米人以下に蔑視していたため、国際法の認識にかかわらずかれらは残虐行為の対象にされた。また欧米秩序への反発は自由や民主主義、人権、国際法などの価値の否定となり、捕虜になることは恥ずべきこととされた。天皇のために命を捧げることを最高の名誉と考える思想が徹底して国民に叩き込まれた。捕虜虐待はそうした意識の反映でもあった。日本軍では特に兵士は人間的な感情を捨てて殺人マシーンになるよう訓練された。下士官兵の間では上級者によるビンタ、暴行は日常的におこなわれ、非合理な暴力に耐えることが求められた。新兵は捕まえた現地人を銃剣で刺し殺す儀式を通じて、兵士として一人前になっていった。非人間化された日本軍兵士の暴力は民衆や捕虜に対してより一層ひどく示された。

また日本軍は食糧を補給せず現地で調達することを方針としていた。そのため略奪をしながら行軍するのが通常だった。抵抗する農民は殺し、女性を強かんするのが日課になる原因はそうした補給軽視の体質から来ていた。しかしジャングルや孤島では略奪もできずに多くの将兵が餓死した。ガダルカナルやビルマなどはそうした例である。日本軍将兵の戦死者230万人のうち、半数あるいはそれ以上は餓死、あるいは栄養失調による死者であるとの研究も出されている。日本軍将兵の生命さえもきわめて軽視されていた。他国民・民族の生命がさらに軽視されたことは言うまでもない。

日本がおこなった侵略戦争による死者は、中国だけで1000万人以上(2000万人という説もある)、フィリピン110万人をはじめ2000万人にのぼる。ほとんどが民間人である。傷ついたり家を失った人は計り知れない。なお日本人の死者は310万人である。

日本による戦争犯罪、残虐行為の背景には、19世紀末以来培われてきた、アジア民衆への差別意識がある。朝鮮人や中国人を差別する観念は第二次大戦時には深く浸透していたし、さらに東南アジアの民衆は「土人」と呼んでより下に見ていた。アジア民衆に対する残虐行為は朝鮮、台湾などの植民化戦争の過程でも見られた。非白人に対する差別意識が残虐行為につながるという点では欧米諸国と共通している。この点は今日なお克服されていない世界的な課題である。

ただ第二次大戦においては欧米の自由や人権、国際法を敵視したことがそうした残虐行為をさらに極端化させたといえるだろう。特に天皇イデオロギーの極端化が進み、天皇に逆らう者は反逆者として慈悲なき懲罰の対象となった。日本軍内部での兵士の非人間的扱いも頂点に達していた。第二次大戦時の日本が連合国以上にひどい残虐行為をおこなった大きな理由はそうしたところにあるだろう。

日本軍の残虐さは、連合軍の側の慈悲なき攻撃を招き、合計30万人余の死者と多数の被爆者を生み出した広島長崎への原爆投下や、一夜にして10万人の市民が殺された東京大空襲などが正当化される理由となった。また太平洋諸島で少なくない日本兵がアメリカ兵によってその場で処刑されたことも近年知られるようになってきた。

日本軍による残虐行為は一定の意図的なものはあり、同じような体質があちこちで同じような残虐行為を引き起こしたといえるが、それらが一元的な命令系統によって体系的におこなわれたとは言いがたい。その点ではナチスドイツとやや違っている印象を受ける。そのことは、日本人が、日本軍による残虐行為を自らの責任と受け止めずに、戦争中のやむをえない出来事ととらえ、加害責任を自覚しないこととつながっているように思える。

戦後、日本を占領した連合国、特にアメリカは占領政策を円滑にすすめるために軍は切り捨てたが、天皇をはじめ多くの指導者や官僚を温存した。冷戦状況のなかで、日本によって最もひどい被害を受けた中国とは1972年まで敵対関係にあり、アメリカに寄り添うことによって日本は自らの戦争責任と向き合うことなく、戦後復興を進めることができた。

日本人がみずからの戦争責任と正面から向き合うのは冷戦が終わり残虐行為の被害者、特に「慰安婦」にさせられた女性のサバイバーたちが名乗り出られるようになった1990年代になってからだった。それからようやく戦争犯罪研究も進み、数々の戦争犯罪の事実が人々に知られるようになり始めた。しかしこの数年、南京虐殺はなかった、日本の残虐行為はウソだと主張し、日本の戦争を正当化する、いわゆる歴史修正主義者が急速に増えている。テレビが日本軍の戦争犯罪を扱うことはまずないし、新聞雑誌でも歴史修正主義派が圧倒的優位にある。こうした状況のなかで西欧では極右にあたる政治指導者が多くの国民の支持を得るようになっている。かれらはアメリカとの軍事同盟の下で、不戦を誓約した日本国憲法を変えようとしている。日本政府と社会が戦争犯罪の事実を認めその責任を取り、償いを実行することはいまだに未完の課題である。