『季刊戦争責任研究』(日本の戦争責任資料センター)44号、20046

 

資料紹介

 戦争中の個人補償に関する日本外交文書

                                                  日本の戦争責任資料センター研究事務局(文責 林博史)


  日本の外務省は毎年少しずつですが、外交文書を公開しています。その中で出てきた資料についての紹介です。なおここでは私の書いた解説のみを掲載しています。資料編については、『季刊戦争責任研究』を購読してお読みください。日本の戦争責任資料センターは、みなさんの会費と『季刊戦争責任研究』の売り上げで活動をおこなっていますので、ご理解ください。  2005.12.5記


【解説】

 二〇〇三年一二月二四日外務省による第一八回目の外交文書公開がおこなわれた。今回は一二一冊、約六万ページ分が公開されたという。同日付の各新聞で主な内容が報道されたが、そのなかで戦後補償問題との関連で注目される資料群の一つが、第二次世界大戦中の日本軍による残虐行為の犠牲者に対する個人補償に関する資料である。

 ここで取り上げるのは、一九四二年初頭、日本軍がフィリピンのマニラを占領した直後に中華民国の総領事以下八名の領事館員を処刑した事件ならびに一九四五年に北ボルネオにおいて在サンダカンの中国領事一名を処刑した事件について、一九五三年に台湾政府を通じてその遺族に弔慰金を支払った経緯を記した資料である。日本と台湾の国民政府は一九五二年に日華平和条約を結び国交を樹立したが賠償請求権は放棄された。ところがこの平和条約の交渉中に台湾側より日本側に対して自発的な対応を求め、日本政府もそれに応じて九名の遺族に対して合計四万五〇〇〇ドルを支払った。総領事の遺族への九〇〇〇ドルを筆頭に在サンダカン領事には八〇〇〇ドル、その他の七名には各四〇〇〇ドル、平均五〇〇〇ドルである。当時は一ドルが三六〇円であるから一人当たり百八〇万円である。

日本はサンフランシスコ平和条約第一六条に基づいて「日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国構成員に償いをする願望の表現として」、一九五五年に赤十字国際委員会を通じて合計四五億円を支払った。これに対外資産の処分金を加えて一四か国の元捕虜に一人平均二万八〇〇〇円が分配された。捕虜の人数の方が圧倒的に多いので総額は捕虜に対する方が多くなっているが、一人当たりでは二桁違う数字となっている。現在の物価水準との比較は難しいが、一九五二〜五六年の日本政府の一般会計歳入が一兆二〇〇〇億円前後(二〇〇四年度予算では八二兆円)である。一人当たり百八〇万円というのは現在の価格では少なくとも数千万円(あるいは一億円以上)になるだろう。

 これらの資料のなかで特に興味深いのは資料9である。外務省のアジア二課が大蔵省に予算を請求するための説明資料として作成した文書のようであり、単に一個人が作成したメモではなく課としての見解をまとめた文書と見てよいだろう。このなかで国家機関の地位にある個人が国内法にしたがってかつその権限内でおこなった行為に国家が責任を負うことはいうまでもないが、それにとどまらずその個人が国内法で認められた権限の限界を遵守せず外見的に職務上の行為としてなした行為においても国家が責任を負うべきであるという主張を支持しているように読める。さらにフィリピンで日本軍に殺害された中国領事のケースは二件ともにアメリカとイギリスの戦犯裁判によって裁かれ被告の有罪が確定しているが、この文書では戦犯裁判で日本側の責任者が処刑されている以上、日本国家の行為が国際法上違法であったと断定されており、日本国は当然責任を負うべきであると断定している。このことはサンフランシスコ平和条約第一一条において極東国際軍事裁判とその他の戦犯裁判の判決を日本国が「受諾」している以上当然であるとはいえるが、戦犯個人の責任だけでなく国家としての責任も認めていることは重要な認識ではないだろうか。

 またこの文書では、相手が賠償請求権を放棄したとしてもこちらが賠償することを禁止しているものではないとし、確かに賠償する義務はなくなるが、「賠償を要すべき事件が存在したという事実に対する道義的責任は、法律上の賠償請求権が放棄されたと否とに拘らず存続すると解すべきであろう」と述べている。賠償ではないとしながらも、戦犯裁判で確定した事実と国家責任を承諾し、賠償すべき事件がおきたことの道義的責任を認め、「自発的に」弔慰金を支払おうとする姿勢は―その政治的思惑はあるとしても―評価しうるものであろう。

 しかし資料11の最後にあるように、遺族に弔慰金を支払ったことについての外部への発表に関して日本側は「特別の措置はとらないことに先方に話合を」しておいたと報告されている。要するに日本政府としては外部には発表しないということである。今回公開された外交文書のなかには戦争中の出来事について外国の個人から賠償ないしは補償を求める訴えがなされても外務省が拒否したケースに関する資料も含まれており、それらを含めて総体として日本政府の対応を分析する必要があるだろう。

 この資料のなかには、外務省が調査した類似のケースの扱いも紹介されている。戦争中にマニラで中立国であったスペイン領事館の館員や家族を殺害したケース、同じくマニラで子供を含む在住スイス人を殺害したケース、太平洋戦争前であるが中立国であったスウェーデンの在京公使館の雇員を虐待したケース、アメリカ人記者を憲兵隊が取り調べ中に自殺したケースなどで慰藉金あるいは弔慰金を出していた。外交官の場合は特別なケースかもしれないがスイス人など民間人のケースも含まれている。しかもマニラのスイス人のケースでは子供も含めて一人当たり一万五〇〇〇ドル(五四〇万円)、スイス人宣教師には二万三〇〇〇ドルと中国領事館員のケースよりはるかに多い慰謝料を払っている。中国人とヨーロッパ人とのこの違いはなにゆえだろうか。

 国家責任を生じるような事件に対してー相手国が賠償請求権を放棄したとしてもー道義的責任を認め、さらに日本が賠償することは禁じられていないとしてー公式に国家責任を認めた国家賠償ではないにしてもー自発的に被害者の遺族に弔慰金を支払うという対応を一九五〇年代の日本政府は取っていた。国家責任は認めないという限界はあるが、特別な立法措置もなく国が被害者の遺族個人に補償金を出したということは、冷戦と中国の分断という国際情勢を背景に国際連合加盟のために常任理事国であった国民政府への配慮、スイス、スウェーデンなどヨーロッパの中立国への政治的配慮などの要素が絡んでいたにしても、現在、問題になっている被害者への個人補償を考えるうえで参照されるべき経験であるだろう。 

  おおむね三〇年経過した文書は公開するという外交文書公開の基準から考えると、これらの資料群がなぜ五〇年もたってからようやく公開されたのか、疑問もなくはないが、これらの資料について法律上の専門的な分析を含めてくわしい検討が必要であろう。
  なお前回の第一七回目の公開でマレーシアとの、今回、シンガポールとの間の賠償問題の交渉、いわゆる血債協定(一九六七年)の交渉過程をめぐる資料も公開された。これらの分析は別の機会に譲りたい。

 ここではその資料群のなかから文書一一点を選んで紹介する。文書は年代順に並び替えた。文書には挿入、削除、訂正などの書き込みがなされているが、訂正された版を使用しているので、訂正過程はフォローしていない。名前の空欄は外務省が削除した箇所である。資料はすべて外務省外交史料館で閲覧できる。

資料編資料11点は略

 

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