歴史地理教育1998年12月

 マレー半島ポートディクソンの日本軍慰安所跡

                                          林 博史


1992年にマレー半島の日本軍慰安所を調査したときに撮影したものです。その後、取り壊されたという話を聞きました。この写真は韓国の「ナヌムの家」歴史館にも展示されています。  2005.5.1記


  マレー半島の西海岸マラッカから海岸沿いに北上していくと港町ポートディクソンがある。町の手前四キロほど南の郊外に日本軍の慰安所として使われていた写真の建物が建っている。海に面した、傾斜のある広い敷地の中に建っているので、二階のテラスからマラッカ海峡の眺めがよい。地元の人たちの話では、元々は中国人の金持ちの別荘だったのを日本軍が接収して慰安所にしていたという。
 町の雑貨屋で働いていた人の話では、そこの慰安婦たちが時々、店に買い物に来ていたそうだ。彼女たちは広東語を話していたので中国人であることはまちがいない。軍政の責任者である馬来(マライ)軍政監が定めた慰安施設の規程では「従業員は為し得る限り現地人を活用し」とあるので、華僑の女性であった可能性が高い。
 建物は三階建て、二階の中央には広々としたアーケードがあり、その回りに九部屋ほどある豪邸で、戦後は一時期マッサージガールがいるダンスクラブとして使われていたという。
 マレー半島の慰安所は立派な建物が多く、中国大陸の慰安所とはかなり違う。もちろんそこに入れられていた女性にとってどれほどの違いがあったのかは別だが。