PS Journal,  No.3. Summer 2004(日本図書センター)

ジェンダーの視点からの軍隊・戦争研究

                                          林  博史


これは日本図書センターが出しているミニコミ誌に書いたものです。いま研究していることを自由に書いていいというので、言いたいことを言わせてもらいました(特に学会のこと)。最後をかっこよく書きすぎてしまいましたが。  2004.10.2uproad


   これまで日本軍の戦争犯罪・戦争責任についていろいろ調べ書いてきた。マレー半島での日本軍による華僑虐殺、東南アジアへの侵略、イギリスによる対日戦犯裁判をはじめとするBC級戦犯裁判、日本軍「慰安婦」、沖縄戦、戦争犯罪・戦争責任問題、など。調査で回ったのは、中国、北朝鮮、韓国、マレーシア、シンガポール、沖縄などの現地(資料館や大学も含めて)とイギリス、アメリカの公文書館、図書館などである。それらの研究は基本的には日本軍の問題だが、戦犯裁判はそれにとどまらず連合国の戦中戦後政策でもあるので、第2次大戦期から戦後冷戦期の各国の政治外交安全保障政策も勉強せざるをえない。当然、日本の戦前戦中戦後の近現代史は必須である。しかし日本のことしか知らないのでは日本のことをきちんと理解できない。特に日本史研究者はそういう傾向が強いので(外国史研究者は逆に日本のことを知らなさ過ぎるが)、アジア―米英―日本という複合的な観点で考えようとしてきた。

  最近、米軍についての資料を集めている。今日、米軍が世界中で戦争をおこし、他国の女性たちを貶めているからには、やはり米軍をきちんと分析批判する必要があると思うのだが、自衛隊サイドの軍隊のための軍事研究者や軍事マニアを除くと、平和の視点からの軍隊・戦争研究がきわめて遅れている。特にジェンダーの視点で考えてみたいと思い、米軍の性問題に対する政策をテーマとして取り上げている。

   アメリカの国立公文書館では現在、1950年代の途中まで、米軍(陸軍)の世界各地への派遣軍の資料を見ることができる。資料によっては60年代も公開されつつある。売買春、性病、性犯罪、同性愛、軍紀など性問題といってもいろいろなアプローチの仕方があるが、米軍がそうした性に対してどのように考え、対応してきたのかを19世紀末からたどっている。19世紀末というのはハワイ併合や米西戦争、義和団事件などによって、ハワイ、フィリピン、中国、パナマ、プエルトリコ、キューバなど各地に米軍が駐留をはじめたときだからである。戦後の日本や沖縄、韓国、フィリピン、タイなどアジア各地を占領あるいは駐留した米軍による性犯罪や買春などは大きな問題であったし、いまもそうである。かつての日本軍も国内では遊郭を利用し、海外では慰安所を作って女性たちを性奴隷として扱っていたが、その日本軍がやっていたことはどれほど世界的に共通のものであり、どれほど独自のものなのか、日米両軍を見ているといろいろ見えてくる。

   米軍資料のなかのどこにそうした関係資料があるのか、最初は手探りで調べ(もちろんアーキビストからは貴重な手がかりを教えてもらったが)、たくさんの資料を請求してもハズレだったことも多かったが、この4年ほど何度も公文書館に通ったので、そうした関係資料が含まれているファイルの見当がつくようになった。それらの資料を読みながら、米軍の性への対応が西欧や日本とはかなり異なったものであることがようやくわかってきた。

   日本軍慰安婦問題が1990年代に大きく取り上げられるようになり、その問題にかかわるようになったが、フェミニズムの議論から多くのことを学び、ジェンダーの視点の重要さをようやく理解できるようになった。そのこともこうしたテーマを取り上げようと考えた理由である。
   ほかにアカデミズムへの失望もある。たとえば日本の平和学会は1990年代を通じて日本の戦争犯罪や戦争責任問題をほとんどまったく取り上げなかったし、ジェンダーの視点が欠けていると思われるような企画が多かった。ようやく戦争と性暴力を大会で取り上げたのは2000年のことだった。日本の平和学は軍隊や戦争そのものを研究しようとしてこなかった。これは日本の平和思想・運動にも共通する致命的な欠陥であるだろう。歴史学会のなかでも侵略戦争への反省のうえに研究を進めているはずの歴史学研究会も90年代を通じて(その後も)、戦争責任問題や慰安婦問題を大会で取り上げようとしなかった。日本が突きつけられた戦争責任問題、とりわけその中の慰安婦問題を取り上げようとしない日本の平和学や歴史学とはいったい……。

   女性国際戦犯法廷を開催したバウネット・ジャパンの企画である『「慰安婦」・戦時性暴力の実態』(緑風出版)の東南アジア編の責任編集者になったときにあらためて気がついたのは、東南アジア史研究者がほとんどこの問題を無視していることだった。結局、東南アジア編を執筆したのはほとんどがアカデミズムとは関係のない市民たちだった。そこで私は編者として次のようなことを書いた。
「ところで奇妙なことに東南アジアを専門とする研究者はほとんど、日本軍の性暴力あるいは戦争犯罪・戦争責任について研究しようとしないし、被害者の声に対しても冷淡な現状がある。アカデミズムの中に閉じこもり、無難なテーマを取り上げて「業績」をあげ、大学のポストを確保するしか関心のない「学者」たちに対して、バウネットに参加してきた市民の力によって初めて本書の第U部(東南アジア編のこと)が可能になった。」

  けっして全否定するつもりはないが、しかし戦争犯罪・戦争責任あるいは戦時性暴力について取り組む研究者の少なさをいつもながら痛感する。私は、アカデミズムの構成員に向かって語るのではなく、被害者の痛みに共感し現実を克服しようと努力している人々に向かって、その人々と一緒に歩きながら語りたいと思う。