『季刊戦争責任研究』(日本の戦争責任資料センター)40号、20036

 資料紹介

 占領軍進駐直後の米兵による強かん事件捜査報告書

       

          編・訳 日本の戦争責任資料センター研究事務局
               
(文責 林博史)


 アメリカ軍の性暴力は、かれらが駐留してきた地域ではたいへん大きな問題でありつづけてきました。この問題についてのルポや、最近ではフェミニスムの視点からの研究も進みつつあります。しかしアメリカ軍自体はどのように認識し対応しているのか、アメリカ軍の内部資料に基づいて分析する作業はほとんどなされていないように思います。そこで最近、アメリカの国立公文書館に通っていますので、日本の戦争犯罪の資料調査のかたわら、アメリカ軍の性暴力や性対策の資料を集めています。ここで紹介したのはそのなかで見つけた資料のひとつです。なおこの解説の中でも触れていますが、アメリカ軍が進駐してきた1945年8月30日におきた米兵によるレイプ事件2件の捜査報告書も見つけることができました。これらはまだ発表していません。少しずつ整理していきたいと考えています。

 なお資料編はここには掲載していません。日本の戦争責任資料センターの活動にとってこの『季刊戦争責任研究』の売り上げが大きな比重を占めていますので、ぜひご購入していただくか、大学図書館あるいはお近くの図書館でバックナンバーも含めて購入していただいて、お読みいただければ幸いです(末尾のご案内をご覧ください)。


【解説】

日本の敗戦後、米軍を主体とする連合軍が日本占領のために進駐してきた。その直後に全国各地で連合軍兵士によって強かんや強盗、殺人などさまざまな犯罪がなされたことはよく知られている。論者によっては、日本軍によって中国やアジア各地でなされたすさまじい犯罪に比較すればはるかに少ないと指摘しているが―そのこと自体は否定できないにしても―侵略者であるファシスト日本を倒すための正義の戦争を遂行したと自負していた連合軍兵士による犯罪は、日本軍との比較によって無視してよいものではないだろう。ここではとりあえず英連邦軍による犯罪は置くとしても、その後、米軍は今日にいたるまで沖縄を含む日本、韓国などに駐留を続け、長期間にわたって、数多くの犯罪を人々に対しておこなってきた。そうした米軍の研究は重要な課題であるといってよいだろう。

近年、フェミニズムの視点から米軍あるいは軍隊自体のもつ性暴力性についての議論が活発におこなわれるようになってきた。それらは理論的実践的に貴重な貢献をしつつあると評価できるが、米軍の資料に基づいて内在的に米軍の持つ性暴力性を抉り出し、批判するという作業はまだほとんどなされていないと言ってよいだろう。

占領下における米軍兵士による犯罪については、さまざまな文献で語られてきた。あるいは日本の内務省の指示によって作られた米兵向け慰安所を米兵が利用していたこともよく知られている。米兵による犯罪については、内務省警保局や各県警察部がまとめた報告書のなかで詳細に調べられており、実にたくさんの事件がおこされている[1]。そのなかには強かん事件も多数含まれているが、犯罪の性格上、被害者が申告しないためにそれらの報告書には記載されていないケースは膨大なものに上ると見られる。これらの米軍による犯罪については一九四五年九月はじめまでは一部が新聞でも報道されているが、その後は占領軍による検閲が開始されたために報道されなくなった。

これらの警察の報告書類で現在われわれが直接見ることができるものは、一〇月はじめまでしかない。これらは占領軍が没収してアメリカ本国に持ち帰り、その後日本に返還されたものである。それ以降も、警察からの報告に基づいて日本政府は、終戦連絡中央事務局あるいは横浜など地方事務局から占領軍に対してこうした占領軍兵士の非行の事例を挙げて取締りを繰り返し要請している。それらの要請文はGHQ資料のなかで見ることができるが、その基になった警察資料は公開されていない。

ところで四五年一〇月四日にGHQは「政治的民事的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」、いわゆる人権指令を出し、治安維持法などの弾圧法規の廃止、弾圧法規の執行にあたった内務省警保局や特高警察などの廃止を指令した。このことによりそうした米兵の犯罪を調査していた機能自体が大きな打撃を受けたと考えられる。

ともあれ、占領直後の米兵による犯罪については、日本側の資料しかなかったと言ってよい。ここに紹介するのは、一九四五年九月四日に横須賀でおきた強かん事件の米軍による捜査報告である。こうした事件の米軍資料自体、ほとんど調査されていないしまた紹介されていない。米軍の内部資料に基づいて米軍の問題を分析する作業はほとんどなされていないと言ってよいだろう。犯罪そのものと同時に米軍が進駐した直後におきたこの事件に米軍がどのように対応したのか、は重要なテーマであろう。

連合軍の日本本土進駐の経過をかんたんに整理しておこう。

進駐についての打ち合わせのために、八月一九日参謀次長河辺虎四郎中将ら日本政府の代表団がマニラに赴き、マッカーサー司令部と協議をおこない、二六日に先遣隊が厚木に進駐、本隊の進駐日は二八日と決まった。しかし台風のために先遣隊の厚木入りは二八日にずれ込んだ。本格的な進駐は三〇日におこなわれ、この日午後二時マッカーサーが厚木に到着し、ただちに横浜の司令部に入った。海軍は第三艦隊が二九日に東京湾に入り、三〇日から海兵隊らが横須賀に上陸した。九月二日東京湾の戦艦ミズーリ号艦上で降伏調印式がおこなれた。本土に進駐した連合軍の人数は、一九四五年一二月はじめには四三万人に達した。

神奈川県の警察資料に記録されているかぎりでは、最初の米兵よる強かん事件は八月三〇日午前一一時ごろに起きている。横須賀市内において、「米兵二名検索の為め同家に侵入し一旦引揚げたるも約五分にして再び引返し一名は□□の妻□□当三十六年を階下勝手口小部屋に連行他の一名は□□の長女□□当十七年を二階に連行し何れも拳銃を擬して威嚇の上之を強姦せり」と報告されている。また同日の午後六時ごろ横須賀市内でガラス商の留守を預かっていた女中さんを強かんする事件も起きている[2]

横須賀に上陸した海軍(あるいは海兵隊)が検索と称して市内に入っているので、かれらによる犯行をみられる。そのほか物品の強奪や警察官への暴行などが報告されている。こうした犯罪は連日おきているが、九月四日に横須賀で女性が「拉致」された事件が内務省警保局外事課の記録に出てくる[3]。日本側の記録では「拉致」としか書かれていないが、事実は強かん事件であった。ここで紹介するのはこの九月四日の事件についての米軍の捜査報告書である。なお関係者の名前や住所など本人を特定できる情報は伏せた。

事件は、まず横須賀警察署から近くに駐屯していた第六海兵師団第四海兵連隊に連絡がいき、同連隊の第三大隊I中隊長のミムズ大尉が現場に赴き捜査をおこなった。さらにミムズ大尉は翌五日に被害女性に会って事情聴取をおこなっている。ミムズ大尉は五日にはその報告を師団長宛ならびに艦隊上陸部隊司令官宛に提出した[4]。それが海兵隊・海軍のルートを通って第八軍に連絡され、そこから事件がおきたとされる武山に駐屯していた第一一空挺師団第一八八パラシュート歩兵連隊E中隊に焦点が絞られ、関係者から事情聴取がされた。しかしE中隊関係者からは何も情報を引き出せなかった。その後、そうした報告を受けた第八軍は監察官を派遣し、被害者と、被害者と一緒にいた男性からの事情聴取をおこなった。それは一〇月二三日と事件発生から約五〇日がたってからだった。

この資料では記録はそこまでで終わっているのでその後の顛末ははっきりしないが、迷宮入りになったものと見られる。犯人はトラックで移動中であったのだから、武山に駐屯していた部隊ではない可能性が高いが、それ以上の捜査はおこなわれなかったようである。海兵隊・海軍から第八軍へは事件発生の翌日か翌々日には連絡がいっているようだが、第八軍司令部で一〇日間そのままにされ、さらにE中隊まで連絡がいって関係者からの事情聴取がなされたのは九月二六日、二七日と事件発生から二二日後のことだった。さらに被害者本人からの事情聴取はそれから一か月もたってからのことだった。

このケースは第六海兵師団と関係があるかどうかはわからないが、第六海兵師団は沖縄戦のときに沖縄本島北部に入り、当初、女性への強かんや捕えた成年男子を殺したりする事件が多かった部隊でもある[5]。その部隊がまっさきに横須賀に進駐してきていた。沖縄の女性たちの被害は本土の女性たちの被害へとつながっていることが示されている。

なお本稿脱稿後、米国立公文書館における資料調査で、八月三〇日に横須賀で起きた二件の強かん事件をはじめ何件かの米兵による強かん事件の捜査報告書を入手した。また沖縄や韓国における米兵の犯罪についての米軍資料についても収集しつつある。そうした一連の米軍犯罪についての資料についてはまた機会を改めて紹介したい。

【資料】 略  


(注)

[1]  内務省の資料は、粟屋憲太郎・中園裕編集・解説『敗戦直後の社会情勢 第七巻 進駐軍の不法行為』現代史料出版、一九九九年、にくわしい(以下、第七巻と略記)。
[2]
 神奈川県警察部「進駐軍に対する不法行為申報綴」の八月三一日の項(第七巻、五四頁)。内務省警保局外事課が作成した資料「進駐軍の不法行為」によると、午前一一時半ごろ検索と称して米兵二人が来て引きあげた後、午後一時三〇分ごろに再びやってきて強かんしたと報告されている(第七巻、二一一頁)。後者のケースも同じ資料より。
[3]
 「米兵の不法行為(第八報)」九月七日(第七巻、二四九頁)。
[4]
 師団長宛報告書は主に被害女性の証言を整理したものであるが、資料[Aと重複するので省略した。なおこの師団長宛報告書は本稿で紹介した資料群とは別に保管されていた(RG338/A1-135/Box879)。
[5]
 林博史『沖縄戦と民衆』大月書店、二〇〇一年、三五六頁以下、参照。

 

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