『軍縮問題資料』20038月号   

反省する者の連帯と反省しない者の同盟
              
―戦争責任問題と日米軍事同盟

                              林 博史 


 小泉内閣になってから日本とアメリカは、世界中に共同で軍事介入する帝国主義軍事同盟国の性格をはっきりと示すようになっています。こうした問題を戦争責任問題との関連で考えてみたのがこの文です。現在の日本で、気骨ある編集方針を貫いている雑誌です。2003.11.27記


 昨年以来の「拉致」事件をめぐるきわめて排外主義的な雰囲気のなかで朝鮮半島に対する植民地支配の反省と補償については吹き飛んでしまったかのような状況になってしまった。さらに、アメリカによる対イラク戦争への支持と加担、さらにはアメリカと一緒に対外戦争に参加しようという有事法制の制定と、日本が対外戦争に積極的に加担していく動きが急速に進んでいる。日本の戦争責任問題が内外で大きな問題になり、戦後補償運動が一定の広がりを見せた一九九〇年代とはまったく違った状況になったかのようである。ここでは戦争責任問題と現在の問題の関連を考えてみたい。

一〇・一〇空襲と無差別爆撃の正当化

 イラクやアフガニスタンはもとより米軍は世界各地で空爆をおこなってきた。一応、軍事施設を攻撃しているとは言っているが、実際には多くの市民が犠牲になっている。米軍による空襲といえば、日本本土各地への空襲を思い起こす。米軍は当初は軍事施設を標的とした精密爆撃をおこなっていた。もちろん実際には目標からはずれ民間人が犠牲になることが多かったが。その後、米軍が戦略爆撃として市街地に対して無差別爆撃をおこなうのは一九四五年三月の東京大空襲以降であった。

日本に対する最初の無差別爆撃とも言えるのが実は一九四四年一〇月一〇日沖縄に対しておこなわれた一〇・一〇空襲である。一日だけの空襲で那覇市の約九割が焼失、那覇は壊滅した。これは米軍が精密爆撃の戦略をとっていた時期の空襲であり、この点はこれまで日本への空襲をめぐる議論では見落とされてきた(以下の米統合参謀本部資料は大田昌秀氏が『那覇一〇・一〇大空襲』で紹介しているがこの点の位置付けについては議論されていないのであらためて取り上げたい)。

 この一〇・一〇空襲に対して日本政府は中立国であったスペイン政府を通じてアメリカに抗議をおこなった。四四年一二月九日の日本政府の覚書のなかで次のように述べている。「米軍機は、学校や病院、寺院、住居などのような那覇市街の非軍事的目標にやみくもに攻撃を加え、灰燼に帰せしめた。同時に無差別爆撃と低空からの機銃掃射により多数の民間人を殺害した。日本政府は、非軍事的目標や罪のない民間人に対するこのような意図的な攻撃が、今日、諸国家間で承認されている人道の原則と国際法に対するきわめて重大な違反であると認め、抗議する。」

 無差別爆撃は国際法違反であるとはっきりと抗議した日本政府の議論は―日本自らが中国などにおこなった無差別爆撃を棚に上げて米に抗議する資格はないとも言えるが―きわめて明快で今日でも有効な議論である。

 この抗議を受けた米国務省は統合参謀本部に問い合わせた。統合参謀本部で調査したところ、この空襲は、敵航空機や艦船、航空・船舶施設などの破壊を任務とするものであったが、第三次攻撃までに主な攻撃目標がほぼ破壊されたので、その後のいくつかの攻撃隊が那覇市街地域の建物や倉庫を爆撃、機銃掃射をおこなったことを確認した。日本政府が主張する被害は事実であることを認めざるをえなかった。

かれらが考えた議論は、空戦に関する法典は先例としても原則としてもない、慣習法と言えるような一貫した慣例もない、現在の国際法では、非戦闘員は合法的な軍事目標ではないが絶対的な保護をうけているわけでもなく、軍事目標と同じ地域にいる非戦闘員は空襲からの保護権を与えられているわけではないというような論理だった。空戦についての明確な国際法はなく、また軍事目標の近くにいる民間人が巻き添えを食ってもそれは国際法に反しないという論理だった。

 さらに統合参謀本部での議論を見ると、米政府は民間人を爆撃することをくりかえし非難してきたので、この空襲が国際法違反ではないと主張するとこれまでの見解と矛盾してしまうことに気づいていた。また逆に国際法違反と認めると、日本に捕まった航空機の搭乗員たちが戦争犯罪人として扱われる危険性もあった。こうしたことから日本政府の抗議に対しては回答しないと決めたのである。統合参謀本部がその旨を国務長官へ伝えたのは四五年三月一日であった。要するに答えようがなくなったので無視したのである。

 建前としては軍事目標を攻撃していた段階で、一〇・一〇空襲という実質的な無差別爆撃を正当化するために、確立した国際法はまだない、軍事目標の近くにいるものは保護されないと強弁する論理をひねり出していたのである。今日、米軍が空爆にともなう市民の犠牲を「誤爆」にすぎないとか「付随的損失」でしかないと言って反省しない一つの原点がここにあるように思える。

 日米両国の戦争犯罪の免罪

 日本政府は原爆投下についても抗議をしていた。広島への原爆投下について八月一〇日に「従来のいかなる兵器投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪状なり また全人類及び文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」と米政府に厳しく抗議した。

 こうした日本政府の抗議は今日から見ても格調高い正論である。しかしながら戦後、こうした議論は放棄し、米の軍事戦略に追随する姿勢を取り続けていることは周知のとおりである。軍部や一部の政治指導者をスケープゴートにし、天皇をはじめとする国家指導者たちがアメリカと取引することによって戦犯追及を免れたこと、七三一部隊をはじめ数多くの戦争犯罪が見逃されたことは今日ではよく知られている。東京裁判もけっしてアメリカによる一方的な裁判ではなく、証拠の収集、被告の選定、天皇の免責などにおいて、一握りの軍人(特に陸軍)に責任を押し付けることによって生残りを図る政治指導者たちがアメリカとさまざまなルートで接触しながら画策し、かれらが戦後の日米同盟の担い手になっていくことも粟屋憲太郎氏や吉田裕氏の研究を通じて浮き彫りにされてきている。

忘れてはならないのは、そのことが米軍による数々の戦争犯罪を不問に付すことと表裏一体であったということである。東京大空襲をはじめB29による無差別爆撃を立案実行した重大な戦争犯罪人である、第二一爆撃軍団司令官であったカーチス・ルメイ将軍(戦後、米空軍参謀総長)に対して、一九六四年、当時の佐藤内閣が勲一等旭日大綬章を授与したことは象徴的な出来事であったといってよいだろう。

 国際的努力を踏みにじる先制攻撃論

 さらに今日のブッシュ政権は専制攻撃を正当化している。二〇世紀、とりわけ第一次世界大戦以降の世界史の大きな特徴の一つは、戦争を起こすことを違法とし、戦争という手段に訴えることを止めさせようと努力してきたことである。国際連盟は一九一九年に署名されたその規約前文において「締約国は戦争に訴えざるの義務を受諾」し、二七年の不戦条約においては「国際紛争解決の為戦争に訴ふることを非とし、且其の相互関係に於て国家の政策の手段としての戦争を放棄すること」を宣言した。こうして戦争に訴えてはならないという国際法の規範を作る努力が続けられたのである。日本は国際連盟の常任理事国であったし、日米ともに不戦条約に加盟していた。こうした戦争違法化の国際的努力を真っ向から否定したのが日独伊の枢軸国であったことは言うまでもない。だからこそ枢軸国による侵略戦争とそのなかでの一連の残虐行為が戦後の戦犯裁判で裁かれることになったのである。しかし、ニュルンベルグや東京裁判など戦犯裁判をおこなった主要国であるアメリカが今日、戦争に訴えることを公言し戦争を仕掛ける国となっており、それに日本が追随しているのである。戦後のアメリカの行為は自らがおこなった戦犯裁判の法理を踏みにじるものである。二〇世紀における世界の人々の努力を踏みにじっているのが、日本とアメリカ、さらにはイギリスという、自らの歴史からもっとも反省しない国々なのである。過去を反省しないもの同士の軍事同盟が日米安保体制であるといっていいだろう。日米安保体制は、日米両国の戦争犯罪の隠蔽と免責のうえに成り立っている。

東アジアの市民ネットワーク

こうした状況のなかで、日本の戦争責任・戦後補償に取組む市民の運動は国際的な広がりを持ち、かつ「過去の克服」にとどまらず、「過去の克服」を通じてこれからの東アジアの平和と共生を目指す取組みという性格を強く持ち始めている。

一九九〇年代に日本軍「慰安婦」にされたアジアの女性たちが名乗り出たことが内外の人々に大きな衝撃を与え、被害者を支えかれらへの謝罪と補償を実現させるための運動が始まった。それは韓国、中国、台湾、フィリピン、インドネシアと各地に広がっていった。この取組みは日本の市民も含めて東アジアの人々が交流し連帯する契機となった。その一つの大きな成果が二〇〇〇年一二月に東京でおこなわれた、日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷であった。加害国日本と被害国六か国の女性たちや国際的な人権活動家たちによって国際実行委員会が組織され、旧ユーゴ国際戦犯法廷前所長ら四人が判事となり、検察団は最終的に南北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、東チモール、オランダ、日本の一〇か国・地域から構成された。この法廷は二〇〇一年一二月に最終判決がハーグで下され、天皇裕仁以下九人に人道に対する罪について有罪が言い渡された。

詳細はバウネット・ジャパン編『女性国際戦犯法廷の全記録TU』(緑風出版)に譲るが、この法廷が開かれた背景として、旧ユーゴやルワンダでのすさまじい性暴力の実態があった。軍と政府による組織的な性暴力である日本軍「慰安婦」制度が裁かれなかったことがその後の戦争における性暴力の横行につながったとの認識から、戦時性暴力の不処罰→再発という悪循環を断ち、正義を回復し被害者の名誉と尊厳を回復し、ひいては戦時性暴力をおこさせないというのがこの法廷の目的でもあった。「過去の克服」は「現在の克服」でもある。同時にこの法廷の準備と開催を通じて、各国の女性たちによる連帯と協力が進んだことは貴重な成果であった(私は男であるが裏方に関わった者として、少なくない男たちもこの連帯に加わったことを一言述べておきたい)。

 国際連帯を促した教科書問題

さらに東アジアの国際連帯を促したのが、二〇〇一年の教科書問題であった。「新しい歴史教科書をつくる会」による教科書攻撃とかれらが作成した中学歴史・公民教科書の採択をめぐる一連の出来事である。その経緯は省略するが「つくる会」の教科書の採択が〇・〇三九%とほとんどなかった結果は韓国のなかの日本()観にある種のインパクトを与えたようである。韓国の「日本の教科書を正す運動本部」は二〇〇一年一〇月に日本の新聞に意見広告を出した。その見出しは「『あぶない教科書』不採択という結果は日本国民の良識の勝利です」とあった。つまり日本政府は「つくる会」教科書を検定で認めたにもかかわらず、国民は拒否したという認識である。日本政府が戦争責任についてあいまいな態度をとり、閣僚がしばしば侵略戦争や植民地支配を正当化する発言をしていることは海外で知られていても、日本国内にはそれに反対する市民がたくさんいて運動をしていることはほとんど知られていない。しかしこの教科書問題を通じて、政府と民衆は一緒ではない、戦争責任・植民地責任の問題を真剣に考えているたくさんの日本人がいるということが明確に伝わることになった。

こうした認識は同時に韓国自身にも向けられる。つまりそうした日本政府と結びつくことによって植民地支配の被害者の声を抑えてきた支配勢力や、被害者である元「慰安婦」の女性たちを「売春婦」という烙印を与えて差別し放置してきた韓国社会のあり方への批判であり、そうした韓国社会のあり方がベトナム戦争における韓国軍による住民虐殺や性暴力を引き起こしたという認識などである。こうした中でこれまでタブーであった米軍による韓国民衆に対する犯罪が取り上げられるようになってきた。さらに日本の歴史教科書の問題点(一国史観など)はそのまま韓国の歴史教科書の問題でもあることが指摘され、韓国自身がこのような歴史教科書を使っているようでは日本の右翼的な教科書を批判できないという議論がなされるようになってきた。

中国の中でも、日本軍「慰安婦」にされた中国女性のために立ち上がり支えてきたのは日本の市民であり、中国社会はむしろ冷淡であったことを自己批判すべきだという議論が中国でのシンポジウムで中国人から発せられ、あるいは別の中国研究者は、原爆の被害に見られるような日本人の受けた戦争被害の痛みを理解する必要を訴えている。

日本のなかでの戦争責任問題の取組みの広がりと国際的な交流のなかで、韓国や中国においても自らのあり方への反省が生まれてきている。このことは加害者対被害者という二項対立の図式を越えて、相互の批判と理解、そのうえでの連帯が可能な条件が生まれてきていることを意味している。

 東アジア民衆の平和への連帯

こうした連帯の表れの一つとして、二〇〇二年三月に南京で「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」が開かれ、さらに今年三月には東京で第二回がおこなわれた。本年秋には韓国で第三回が開催される予定である。このフォーラムの取組みの一環として日中韓の市民・研究者が共同で歴史の共通副読本作りを進めている。このフォーラムは歴史認識の問題を通じて「東アジアの平和な地域共同体をめざす」(荒井信一氏)動きといってよいだろう。女性国際戦犯法廷をおこなった女性たちのグループもそうした教材作りを進めている。

国会議員のレベルでは、今年一月に民主・社民・共産党などの女性議員が中心になって「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」が国会に再提出された。台湾立法院は昨年一〇月にこの法案支持決議を全会一致で可決し、立法院長名で衆参両議長宛に書簡を送っている。そして韓国でもこの二月にこの法案制定を支持する国会決議をおこなった。フィリピンでも同様の趣旨の決議案が提出されていると聞いている。

冷戦期においては、日本の過去を批判することは一方的な批判であることが多かった。韓国の場合、もともと対日協力者の系譜をひく独裁政権がみずからの対日協力(植民地時代だけでなく戦後の癒着も含めて)を隠蔽し、対日批判によって国内の矛盾を転嫁する性格が強かった。しかし今日、日本における戦争責任に取組む運動の進展と、韓国・台湾などの民主化の進展によって、日本の「過去の克服」の取組みは、日本はもちろんのこと東アジア各国が自らのあり方を問い直し、自己反省のうえにたった相互理解と連帯を生み出しつつある。すなわち反省する者同士の連帯である。その動きは、自らの戦争犯罪を隠蔽した軍事同盟による力の支配をめざす動きと対決しつつある。平和と共生をめざす反省する者の連帯と、軍事力による支配をめざす反省しない者の同盟、現在は後者の流れに押されつつあるように見えるが、前者の流れは確実に広がりつつある。そこに二一世紀の可能性があると信じている。