国家機密法と同和行政から考える

東京部落問題研究会「東京部落研会報」NO139 1986年3月30日 

                             林 博史


 これを書いたのはずいぶん前です。たしか1986年の正月明けに伊豆のペンションで書いたように記憶しています。この年の6月に藤原彰先生と荒川章二さんの3人で、『日本現代史』(大月書店)という1945年から1985年までの戦後40年間の日本の歴史を出版しました。ですから原稿をほぼ書き上げたころにこの小文を書いたと思います。保守対革新という構図で見るのではなく、戦後史を保守と革新の対立と合作として見る見方は、この本を準備する過程で考えていたことです。そして革新に代わる新しい政治主体をどう再構築するのか、という問題を考えていました(いまなお考えています)。
 この小文を読み返して見て、2002年といういまの状況を考えても、ここで考えていることはけっして古くないと思います。2001年の「新しい歴史教科書をつくる会」の攻勢を跳ね返した力も、部落解放同盟の無法を跳ね返した力と実に似ています(前者の場合、社会党(社民党)なども加わっていますが)。でも結局のところ、これを書いてから17年がたとうとしていますが、自民党に代わる新しい政治主体をいまだに作ることができていないという現実があります。(ため息………) なお今でも東京部落問題研究会の会員です。私が社会問題に目を向けるようになった原点が部落問題ですから。   2002.12.17


 東京部落研の集まりには久しく出ていなくて何もしない(会費だけはきちんと払ってい
ます)会員になってしまっています。 去年から大学で政治学を教えていて、自分の研
究テーマも戦後日本の保守政治、ということで、部落問題にも注意を払ってはいますが、
最近の部落問題研究の進展には全然ついていけていない状況です。ですが、以前に
何か会報に書いてくれとハガキをもらったのに結局出きなかったこともあるし、一度くら
いは何か書いてみようと思い、少し書いてみることにします。

 昨年の夏から秋にかけて、日本現代史の研究者が集まって国家機密法反対の取組み
をしようということで、藤原彰・雨宮昭一編『現代史と国家秘密法』(未来社、一二〇〇円)
を出しました。その中で私自身、スパイ防止法制定促進運動について書いたこともあって、
いろいろ資料にあたって調べてみました。促進運動については、その本の中で書いたこ
とを見ていただければいいのですが、反対運動の方をみてみると、特に下の方の地方
議会などの動きをみてみるとおもしろいことがわかります。

  一言で言ってしまえば、当初から国家機密法の危険性を訴え反対の声をあげていた
のは共産党ですが、地方レベルでそれにこたえて反対の声を支えたのは、保守の良識
版とでもいうべき人々でした。社会党は反対といいつつも躊躇しているところがあって、
少数派の共産党の呼びかけに多数派の保守派がこたえる形で地方議会での反対決議
があがっているという状況があります。
 その保守派の人々というのは、選挙の時には自民党の手足となって動く層であるわ
けですが、一方で、戦争経験者であり、戦前のような時代や戦争はまっぴらだという
意識を持ち、かつ戦後日本の平和と経済発展を支えてきたと自負している層でもあり
ます。言いかえれば、戦後民主主義の担い手であったといえます。そして彼らの多く
は、議員の所属でいえば保守系無所属で、全国に普遍的に存在している層です。
 ただ一言、言っておかなければならないことは大都市部ではかなり様相が違っていると
いうことです。大都市部では、保守派は自民党員あるいは自民党議員として組織され
ていて、いわゆる保守系無所属層が層をなしてはいないからで、そこでは中央レベル
の政党の対立図式がストレートに持ちこまれやすくなっています。ですから地方議会
での反対決議も、地方へいくと多数派の保守派も含めて全会一致であるのに大都市部
では、自民党の反対を野党が共同して多数決で押しきるという形になっています。
 この大都市部の問題をひとまずおくと、社公民を飛びこして、保・共の統一戦線と
でもいうべきものが、いろんな局面で生まれています。

 ここでやっと部落問題にかかわる話がでてきますが、同和行政をめぐる自治体の動
向を考えてみましょう。
 部落解放同盟(解同)の行政への乱暴な介入に無批判的に追随しているのは社会党
です。そして公民両党もそれに便乗しています。それらと部落内外を問わず保守の中の
利権あさり分子が結びついて行政を喰いものにします。保守の反共分子は反共の点で
解同を利用します。保守首長よりも社公民に推された首長の方が同和行政に関してよ
り悪質なのは、こうした連中のブロックができやすいからでしょう。
 さて、こうした事態にまず最初に警告を発し反対の声をあげるのは、少数派の共産
党です。はじめはこの声はごく少数派でしかないのですが、解同のめちゃくちゃを介入
と同和行政の乱暴さがひどくなってくると、保守派の中から、解同のやり方はひどい、
共産党の言うことはもっともだ、という人々が生まれてきます。そしてそういう自覚をした
保守の多数と共産党が協力する形で民主首長を生みだします。しかもその際には共産
党員がしばしばその頭にかつぎだされます。羽曳野の津田市長を生みだし、支える基
盤はまさにそうで、支持母体も共産党・民主団体の系列と保守派の人々のものと二つ
あります(ありました?!)。八鹿町・養父町や最近では南光町での民主町長の誕生は
いずれもこうした典型的な事列です。

 つまり同和行政をめぐる状況の中で、社公民+保守利権派・反共派に対して、保守良
識派と共産党の統一戦線ともいうべきものが、もう一〇年以上も前から各地で生まれ
てきているわけです。南光町など民主首長を生みだした地域と国家機密法反対決議を
全会一致で採択した地域とは、共産党の得票率は数%で町議も一〜二名程度しかおら
ず、保守無所属層が厚く存在している点で共通しているといえましょう。
 国民融合の運動をみても、共産党と無党派(と一部社会党良識派)の革新派と保守
の良識派の共同の運動であるとみてもよいと思います。
 ところで、公明・民社というのは、現実の政治に責任を持っていないということも
あって政権欲にかられて、きわめて無責任かつ危険な行動をとります。社会党もそう
いう傾向が強くなりつつあるようです。逆に保守派の方が、現実の政治を支え、責任
を持とうとしており、案外いろんな局面で懸命な判断をしています。
 もちろん保守良識派を切りくずそうとする自民党・支配層からの動きも強く、今、
羽曳野でも津田市政を支える保守派に対する切りくずしが強まっています。それは保
守系無所属の自民党化と一体のものとして進められており、総裁予備選をテコとした
自民党員の拡大という事態は、きわめて反動的な性格をもつものといわねばなりませ
ん。

 さてこれまで国家機密法と同和行政をめぐる二点についてだけ見てきましたが、こ
こで共通しているのは、くりかえしになりますが、保守良識派(戦後民主主義派)と
共産党の共同戦線が、部分的にせよ生まれ、それが局面を転換・打開するうえで重要な
役割を果たしているということです。このことは、社共中軸論や革新統一戦線論では
とらえられない、新しい国民的な共同のあり方を示していると思います。
 現在の我々をとりまき、我々の内部をもむしばんでいる危機は、政治・経済の問題
にとどまらす、人間(性)そのものの危機であり、人間が人間としての内実とつなが
りをどう築いていくのかという問題にぶつかっている今、新しい歴史的プロックをつ
くるこころみが部落解放運動の中ですでにすすめられていることは正しく総括されて
よいと思います。         
 保守対革新という一九五〇年代に生みだされた概念が、こうした今日の状況をふま
えて再検討されねばなりません。これまで対立的にとらえられてさた保守と革新は、
保守内の反動派を除けば、両者は互いに反発しながらも、戦後民主主義を作り支えて
きた両輪であり、戦後民主主義の危機と解体の中で、その肯定的遺産に拠りながら、
これからの新しい道を探究していくうえで両者に共通のものが案外多いのではないか、
そしてこの(旧)保守と(旧)革新の共同作業は、六○年代〜七〇年代の革新統一戦
線とは比較にならないくらい、深く広い国民的合意と協同(多様性の中の)を可能に
するのではないでしょうか。
 (戦後民主主義は戦後保守政治と言いかえてもよいような意味で使っています。
 中曽根が「戦後政治の総決算」という場合の「戦後政治」に相当するといえます。
 また社会党を全面否定しているわけではなく、ここでは言いたいことを強調する
 ために否定面を強調したにすぎないだけです。)     (1986年1月7日稿)