植民地兵の戦争体験

『歴史地理教育』1999年1月

林 博史


この小文は『歴史地理教育』編集部に依頼されて書いた、2頁のコラムのためのものです。第二次世界大戦後の植民地体制の崩壊を考える上で、植民地出身兵の問題は重要なポイントです。      2002.12.17


英軍の中の植民地出身兵士

 第二次世界大戦における英軍兵士の出身地を示したのが表です。総兵員数一〇九三万のうち英本国は半数余りにすぎず、カナダなど自治領四か国から二〇六万(一九%)、インドなど植民地から二九七万(二七%)となっています。自治領からの兵士は白人中心ですから、アジアアフリカなどの植民地出身の兵士は三〇%前後と見てよいでしょう。

 第一次世界大戦の場合と比べると、英本国が減っているのに対して、本国以外の地域からの動員が大幅に増えていることがわかります。その点でも第二次大戦は英帝国の人力をフルに動員しておこなわれたことがうかがわれます。

 日本がマレー半島で戦った英陸軍の場合、総兵力八万八六〇〇名(開戦時)のうちイギリス人一万九六〇〇、オーストラリア人一万五二〇〇、インド人三万七千、現地徴集のアジア人一万六八〇〇となっており、過半数が植民地出身兵でした。これ以外に海空軍の志願兵や空襲警備隊、医療、消防任務などの民間防衛任務についた者がシンガポールだけで一万一六一一名(一九四一年一二月一三日現在)と報告されています。シンガポール攻防戦は翌年の二月ですので、この数ははるかに増えたでしょうし、マレー半島全体で見れば数万人の植民地民衆がこうした戦闘協力に動員されたと言ってよいでしょう。イギリスの戦争にとって、英植民地のアジア人が大きな役割を果たしていたのです。

 他の帝国主義国であるフランスやオランダの場合も植民地から多くの兵士を動員したことが知られていますが、人数はよくわかりません。

 

植民地出身兵士にとっての戦争体験

 第一次大戦の際には、ヨーロッパに送られた英軍の黒人兵は、人種差別のために、武器弾薬の運搬などの労働力としてのみ使われました。また多くのインド兵がいましたが、彼らの指揮をとるのはイギリス人将校でした。

 しかし第二次大戦では、インド兵が増えたことや彼らの民族意識が高まったことなどから、インド人将校が急増しました。そのことがまたインド人としての民族意識を強めることになりました。日本軍の捕虜となったインド人部隊が丸ごとインド国民軍に加わって反英陣営に投じたことはその一つの現れでしょう。

 マレー半島、特にシンガポールでの日本軍との戦闘では、一部のイギリス人将校を除いてマレー人将兵で編成したマレー連隊と中国人(華僑)で編成した星州華僑義勇軍(通称ダルフォース)が勇敢な戦いを見せました。その兵士たちの多くは戦死しましたが、生き残った元兵士たちは「もっと戦えたのになぜイギリス軍は降伏したのか」と不信感を述べています。英軍兵士としての戦いのなかで自分たちがイギリス人以上に勇敢に戦ったという体験は、イギリス人(白人)は優れているという「神話」を掘り崩す契機となったといえるでしょう。

 その後、戦争の後半に英軍はビルマから反撃してきましたが、その中にアフリカから動員された兵士たちがいました。ジャングル戦に向いているというので送られてきたのですが、彼らはイギリス人たちと共に戦うなかでイギリス人が優れているというのは虚偽であることを理解していきました。

 第二次世界大戦はまさに総力戦であり、帝国主義国は植民地の民衆をも総動員しました。しかしそのことが植民地支配を支えていた白人神話を掘り崩し、植民地の民衆が自立する自信を獲得する機会を与えるという皮肉な結果となったのです。つまり帝国主義国が自分たちのためにやったことが、自らの基盤を掘り崩したという歴史の皮肉と言えるでしょう。

 日本がアジアの民衆の軍隊を育てたことが東南アジア諸国の独立につながったのだという、侵略戦争を正当化しようとする議論がありますが、それはこの「歴史の皮肉」の一つの例でしかないと言ってよいでしょう。

 

表 第二次世界大戦における英帝国の兵力と損害

 

総兵員数(a)

死者(b)

行方不明

重軽傷

捕虜

死亡率(b)/(a)

イギリス

5,896,000

(6,704,416)

264,443

(704,803)

41,327

277,077

172,592

4.5%

(10.5%)

カナダ

724,023

(628,964)

37,476

(56,639)

1,843

53,174

9,045

5.2%

(9.0%)

オーストラリア

938,277

(412,953)

23,265

(59,330)

6,030

39,803

26,363

2.5%

(14.4%)

ニュージーランド

205,000

(128,525)

10,033

(16,711)

2,129

19,314

8,453

4.9%

(13.0%)

南アフリカ

200,000

(136,070)

6,840

(7,121)

1,841

14,363

14,589

3.4%

(5.2%)

インド

2,500,000

(1,440,437)

24,338

(62,056)

11,754

64,354

79,849

1.0%

(4.3%)

植民地・従属地域

473,250

(82,774)

6,877

(5310)

14,208

6,972

8,115

1.5%

(6.4%)

10,936,550

(9,534,139)

373,272

(911,970)

 

 

 

3.4%

(9.6%)

                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(出典)木畑洋一『支配の代償』(東京大学出版会、1987年)P50P85の表より作成。第二次大戦のデータのオリジナルはNicholas Mansergh, The Commonwealth Experience, Vol.2(University of Toronto Press,1982),p94。その他のデータのくわしい出所等は『支配の代償』を参照してください。

() (a)(b)のかっこの中は第一次世界大戦の数字。