日本はアジアの人々に何をしたのか

『小学六年生』1991年2月号

林 博史


小学館で出している『小学六年生』に書いたもので、水木しげるさんが漫画を書き、私がこの解説文を書きました。水木さんはラバウル近くのジャングルのななか九死に一生をえた経験を持ち、それが“ゲゲゲの鬼太郎”などのベースになっていることはみなさんご存知の通りです。小学館もこのころはまだまともな企画をしていたのですね。最近は戦争と排外主義を煽り立てる悪質な出版社に転落してしまっていますが。   2002.5.19記


 二年前、中学生を対象とした世論調査で「第二次世界大戦で最も被害を受けた国」はどこかという質問に対して、七〇%が日本を挙げ、その理由として多くの中学生が「原爆が投下されたから」と答えていた。でも日本が最大の被害国というのは本当だろうか。
 戦争中、日本軍に家族を殺されたマレーシア人をたくさん知っているが、彼らは、日本が侵略をし多くのアジアの人たちを殺したから原爆を落とされたのだ、原爆を落とされたのは当然の報いだ、と言っている。アジア各地でそのように思っている人はたくさんいる。このことをどう考えたらいいのだろうか。                    

 先の戦争での日本の死者は約三一〇万人だ。これはけっして少ない数ではない。しかし、日本がアジアの人々に与えた犠牲者は二千万人にものぼると言われている。
 一五年にわたって日本が侵略した中国では死者は一千万人をこえる。そのなかには南京大虐殺で殺された約二〇万人の市民を始め、各地で虐殺された人たちが含まれている。

 重慶などでは日本軍の爆撃機による無差別爆撃によって多くの市民が殺された。空襲という手段で都市の市民を無差別に殺害する方法を最初に本格的に実行したのは実は日本だった。アメリカによる日本本土空襲は、日本自らが招いたといっても言いすぎではない。   
 ほかにも七三一部隊のように人体実験や生体解剖をおこなったり、国際的に禁じられている毒ガス兵器を使ったり、中国人を同じ人間とは見ていない残虐な行為をくりかえした。ここには明らかに差別感情がある。

 すでに植民地にしていた朝鮮では、百万人をこえる人々を日本や南方に強制連行して鉱山など危険な現場で働かせ、たくさんの犠牲を出した。朝鮮語を話すことを禁止して日本語を強制し、名前も日本式に改めさせ、朝鮮の文化も慣習も押しつぶそうとした。

 太平洋戦争が始まると日本の侵略は東南アジア各地にまで広がっていった。日本がアメリカやイギリスと戦争を始めたのは、東南アジアにある石油などの資源を得るためだった。「大東亜共栄圏」という美名のもとにインドより東のアジア全域を日本の支配下におこうとしたのだった。

 太平洋戦争が始まってまもなく、占領したシンガポールで一般市民数万人を虐殺し、マレー半島各地でも女性やこどもも含めて村ごと抹殺していった。そうした例はフィリピン各地でもあるし、最近インドネシアやミャンマーでもそうした虐殺があったことがわかってきている。日本兵にあいさつしなかったというだけでほおを殴られたり、とるにたらない理由で拷問をうけた。また強制労働にかりたてられたり、食糧や物資を取り立てられて人々は苦しい生活を強いられた。

 ベトナム北部では、日本が稲のかわりに麻など軍が必要な作物を植えさせ、また食糧を強引に調達した。そこに天候不順が重なったために大飢饉になり、約二百万人が餓死した。町のあちこちに餓死した人が転がっていたという。

 犠牲者は、インドネシア約二百万人、フィリピン約百十万人、インドシナ約二百万人など多数にのぼる。人口との比率でいうと日本よりもずっと高い。しかも中国をはじめアジア各地の犠牲者の圧倒的に多くが軍人ではなく民間人だ。日本は死者の約四分の三が軍人であることを考えるとアジアの人々が日本の侵略によって大きな犠牲を強いられたことがわかるだろう。

 もちろんアジアの人々は黙って耐えていたのではなく、様々な形で抵抗運動をおこない、独立への意志を固めていった。こうした抗日運動が戦後の独立へとつながっていった。中国では日本が敗戦した八月一五日は光復節と言っている。暗黒の時代が終わり、太陽の光が再びもどってきた日という意味だ。アジアの人々にとって日本の敗戦は解放の日だったのだ。

 原爆の話にもどると、もちろん日本が侵略をしたからといって原爆投下を正当化できるものではないし、してはならない。原爆はアジアを解放するために落とされたのではないし、人道的に将来ともにけっして許してはならないことだ。しかし原爆などによって日本人の多くが犠牲になったのは、その前に日本がアジアを侵略し、多くの人々の命を奪い、生活を踏みにじってきたからだということを私たち日本人としては考えなければならないのではないだろうか。日本が侵略したことを反省せずに、原爆反対・戦争反対をいくら唱えてもアジアの人々には受け入れられない。だから日本がアジアの人々に対して行ったことをしっかりと見つめ、反省することが戦争を二度とおこさないために欠かせないことなのではないだろうか。