戦争史料の見方、扱い方

 

  

     「図書館雑誌」1999年8月

 

               林 博史

   


「図書館雑誌」への第3弾です。前の2回は、日本の戦争責任資料センターについての紹介と協力のお願いという性格が強かったのですが、今回は戦争にかかわる史料論です。 2001.3.31記


1 戦争史料にはどのようなものがあるか

 

 現代の総力戦のもとでは、戦時下におけるあらゆる史料が戦争史料と言ってもよいだろうし、さらに戦争の準備から戦後処理にいたる史料も含まれるだろう。歴史学では人間の存在や活動の痕跡を示すあらゆるものが史料であると考えているが、近代日本の戦争史料という場合には、大きく分けて文献史料、オーラル史料、遺跡などの物的史料に分けられるだろう。

 

@文献史料

 文献史料としては、陸海軍その他政府機関の公文書、兵士や市民の戦記、回想録、日記などがあげられる。日本の旧陸海軍の文書は、敗戦のときに閣議決定により焼却命令が出され、多くが失われた。軍だけでなく内務省や外務省などでも文書の焼却がおこなわれ、市町村にも兵事関係文書を焼却するように通達されており、国家的規模で資料の隠滅がおこなわれた。現在残っている軍関係史料は、永久保存のために疎開させていた一部の文書や個人的に隠していた文書、戦場で米軍が没収した文書など全体のほんの一部にしかすぎない。

 たとえば以前に私が発見した、マレー半島での住民虐殺についての史料は、戦争末期にその部隊が病院船を使って密かに移動する途中、米艦船の臨検を受けて発覚し、その際に没収されたものだった。そうした偶然から残されたものだった。

 占領中にアメリカが持っていった史料はその後、二回に分けて日本に返還され、防衛庁防衛研究所と国立公文書館にそれぞれ保管されている。

 

Aオーラル史料

 戦争の当事者の証言や回想も貴重な史料である(これが書きとめられれば文献史料ともなる)。かつては文献史料ばかりが重視されていたが、戦後歴史学の中で“民衆の歴史”が唱えられ、オーラル史料が重視されはじめた。さらに1990年代に元日本軍慰安婦など戦争被害者が声をあげ始め、こうした人々の証言なしには戦争研究はもはやおこなえないと認識されるようになってきている。

 

 オーラル史料の収集が最も進んでいるのは日本のなかでは沖縄だろう。1971年と1974年に刊行された『沖縄県史』沖縄戦記録1,2は、住民の戦争体験を収集したもので、それぞれ千ページをこえる画期的な書である。さらに『浦添市史』第5巻(1984年刊)では、市内の字(あざ)ごとの徹底した聞き取り調査によって、戦前の集落の実態(集落の配置、家族構成、日本軍の配置、各家ごとの死者など)を明かにし、沖縄戦のよる死者数をはっきりさせた。これまで日本では、軍人軍属以外の民間人の戦争による死者について、きちんとした公的な調査はおこなわれていない。各地の空襲の犠牲者数は民間の研究により推定しているにすぎない。沖縄でも援護業務に関わる数字があるだけである。浦添市では、援護行政のデータでは死者は3925人とされていたが、この調査により4112人が判明した。つまり187人はそれまで忘れ去られていた死者だったのである。その後、各市町村史でも同様の調査がなされ、その成果は次々と公刊されている。

 

B戦争遺跡などの物的史料

 近年、注目を浴びているのがこの戦争遺跡である。原爆ドームなどは典型的な戦争遺跡である。戦争の体験者が減少し、それほど遠くない将来、戦争体験を聞く機会は失われることになる(周辺事態法が成立し、新たな戦争体験者が生まれる可能性も強まったが)。過去の侵略戦争をくりかえさないために戦争の実相を伝えることが大事だと考えられるが、戦争遺跡はそのための貴重な史料である。たとえば、戦争を追体験できる沖縄のガマ(壕)は平和学習の重要な場となっている。また「集団自決」に使われた鎌や小刀、ガマに残っていた生活道具なども貴重な戦争遺跡の一部といってよい。南風原陸軍病院や松代大本営など各地に掘られた壕、軍関係の建築物など各地で戦争遺跡の保存活用をはかる運動が広がっている。

 写真やフィルムなども重要な物的史料である。ただ流布している写真には正確でないものが多い。本のキャプションを鵜呑みにせず、原典にあたって、いつ、どこで、誰が撮ったものかを確かめてから使う必要がある。

 

2 隠されている史料

 

 旧陸海軍史料の多くは、防衛研究所に所蔵されて公開されている。しかし問題が多い。防衛研究所には「戦史史料の一般公開に関する内規」(198212月)というものがある。この内規は非公開になっているが、漏れ伝わっているところによると、「プライバシーの保護を要するもの」「国益を損なうもの」「好ましくない社会的反響を惹起するおそれのあるもの」「その他公開が不適切なもの」と「判定した場合は公開しない」と決められている。「国益を損なうもの」には、「外国人(捕虜の虐待)」「領土問題」「略奪及び虐殺等」「有毒ガスの使用」などが、「好ましくない………」には「細菌兵器の実験についての報告・記録」「細菌兵器使用の疑いを抱かせるもの」などが例示されている(秦郁彦『現代史の争点』)。

 

 要するに、日本軍が毒ガスや細菌兵器を使ったり、捕虜を虐待したり、占領地の住民を虐殺したという史料は公開しないということが防衛庁内部で勝手に決められているである。先ほど、アメリカが没収した史料が返還されたと書いたが、これらの史料を扱っていたアメリカの関係者は731部隊関係の史料があったと話しているが、日本に返還されてからは誰も見ていない。隠されているとしか考えられないが、史料リストがないために何を隠しているのかもよく分らない現状である。今年の2月、国会での追及によって防衛庁は、旧軍関係史料約116000件のうち約7000件を非公開にしていることを明らかにした。

 

 ところでイギリスの国立公文書館では、非公開のものも含めて史料にはファイルごとに名前、作成年が付けられて、閲覧者用の目録に記されている。非公開の場合、50年間非公開closedというように明記されている。つまり非公開の史料として、どのようなファイルが存在し、かついつまで非公開であるのかが、閲覧者にもわかるようになっている。それに対して日本の場合には、どのようなファイルがあるのかさえもわからない。

 さらに問題なのは、この数年来、戦争責任の追及、日本軍慰安婦問題を初めとする戦後補償要求が出てくる中で、以前は閲覧できたものができなくなったり、史料の一部が白い紙で封をされて見られなくなっているものが増えていることである。情報公開に逆行する動きが進んでいる。

 

3 史料の読み方

 

 歴史学では通常、その当時に直接の関係者によって作られた文書を一次史料、伝聞や後から書かれた回想録、証言(証言は普通、後から思い出して語るものであるから)などは二次史料、というように区別する。歴史学では一次史料の収集を重視するが、一次か二次かというのは史料としての信憑性の差ではない。たとえば太平洋戦争中の大本営発表は、その発表文自体は一次史料であるが、内容がうそだらけであることは言うまでもない。ただ太平洋戦争の戦闘の実態を解明するうえでは大本営発表はほとんど役に立たないが、軍の世論誘導についての研究にとっては欠かせない史料である、というように観点の違いによって、その史料が持つ意味と重要性は変わってくる。

 史料はいずれも、他の史料と比較し、その当時の社会状況などを勘案して、史料としての価値、信憑性を判断する、史料批判という手続が必要である。

 

 史料を使うとき、次に戦争をやるときに勝つために利用するのか、二度と戦争をやらないために利用するのか、によって史料の読み方や価値はまったく違ってくる。後者の立場に立つ場合でも、社会状況の変遷や読む側の問題意識の変化によって変わってくる。たとえば日本軍慰安婦の史料は、現代史研究者の間では知られていたものが多い。慰安婦制度は、日本が侵略戦争の中でおこなった非人道的な行為としては理解されていたし、歴史書の中で慰安婦について叙述がなされていなかったわけではないが、それを研究すべき対象としては見ていなかった。

 

 1980年代以降、“女性に対する性暴力”という認識が生まれ、1990年代になって元慰安婦の人たちが名乗り出て、想像をはるかに超えてその被害が深刻であること(慰安婦にされていた間だけでなく、その後、数十年にわたって心的外傷やまわりからの差別などによって苦しめられてきたことも含めて)がわかった。そうした中で日本軍の慰安婦問題が、戦争犯罪、性暴力、民族差別などが複合した重大な人権問題なのだという認識が生まれ、史料の読みなおしが始められたのである。

 同じ史料が異なった読み取られ方をしたり、重要ではないと思われていたことが重要な史料として見なおされることがある。もちろんそこでの議論が事実に基かなければならないのは前提条件であって、都合のいい史料だけを使ったり、史料を改ざんしたりすることが許されないことは言うまでもない。日本がおこなった戦争犯罪を否定しようとする近年の議論では、そうした史料を扱う上での最低限のモラルが放棄されてしまっている。

 

 歴史とは単に過去にあったことそのものではなく、現在を生きる者による過去の再構成といえる。たとえば、レイプやセクシャル・ハラスメントなど女性に対する性暴力をあまり問題にしない人にとっては、日本軍慰安婦など大した問題ではなく、それらの史料には価値を認めないだろうが、性暴力は重大な人権問題であると認識する人にとっては、慰安婦問題は現在に通じる重要な問題と考え、その史料的価値を評価するだろう。現在を生きる私たちが、現実に対してどのように関わっているのか、どのように生きようとしているのか、史料の価値とはそうしたことと切り離しては論じられない。

 

4 課題

 

 戦争史料をめぐって私が必要と考えていることをあげておきたい。

 

 第1に歴史的な公文書の全面公開である。先進民主主義国並に、少なくとも30年を過ぎた公文書はすべて公開すべきである。まして1945年以前の公文書は全面的に公開すべきである。この点は情報公開法でも取り上げられていないのでさらに追求する必要がある。

 

 第2に、戦争体験者からの聞き取りを早く組織的におこなうことである。1984年に刊行された『浦添市史』では当時の地域の有力者からも証言を得ているが、昨年秋に出た『糸満市史』では未成年者の証言が中心になっている。残された時間は少ない。

 

 第3に、図書館に関わることであると思うが、地元在住者の戦争体験記の収集とそれらの情報のネット化である。各地の図書館の郷土資料室などでそれらが集められているが、それらの文献情報がデータベース化され、全国的に利用できるようになることを期待したい。

 

 第4に、戦争遺跡の保存と活用である。これらは戦後の開発や年月の経過によって著しく減少し、あるいは傷んできており、早急に対策が求められている。

 ともあれ新たな戦争史料というものが生まれないためにこそ、戦争史料を活用したい。