図書館の戦争関係文献について

 

―日本の戦争責任資料センターの活動に関連して―

        「図書館雑誌」1994年8月

                 林 博史

 


「図書館雑誌」に書いた第2弾です。 2001.3.31記


 日本の戦争責任資料センターは、1993年 4月の発足以来、「従軍慰安婦」、 731部隊などの細菌                  

・毒ガス戦、住民虐殺、捕虜への虐待虐殺など日本軍がおこなった様々な戦争犯罪についての史料                  

調査をおこなってきた。

 そうした調査の中で、防衛庁防衛研究所図書館などの旧日本軍史料より、「従軍慰安婦」に関す                  

る計62点の新史料を発見した(93年 7月)。この中には、陸軍省自らが慰安所の設置に乗り出し、                  

その指導統制をおこなっていたことを示す史料も含まれている(本センターの機関誌『季刊戦争責                  

任研究』創刊号に収録)。また参謀本部と陸軍省の幹部の業務日誌より、細菌戦の準備・計画・遂                  

行、人体実験に関する詳細な記述も発見した(この分析は『季刊戦争責任研究』第2号に掲載)。                  

 また海外の資料館などに所蔵されている日本軍関係史料の調査をおこなっており、そうした成果                  

も機関誌に掲載するなど様々な形で発表しているところである。

 

 こうした史料は、日本軍あるいは連合軍が作成した第1次史料である。しかし、日本軍の史料は                  

、敗戦直後に命令によってその多くが焼却され、戦地では戦闘の混乱の中で失われてしまったもの                  

も多い。そのため時期的にも地理的にも空白が多い。それに加え、軍の史料はそれ自身かたよりが                  

避けられない。

 たとえば「従軍慰安婦」問題について言えば、軍の史料はあくまでも管理側の史料であり、「従                  

軍慰安婦」の側からの視点はないのが当然である。しかも欠落している部分が多い。であるから他                  

の史料によって補わなければならない。その場合、慰安所を管理・利用した元軍人たち、慰安所付                  

近の住民、元慰安婦など関わりのあった人々の証言が貴重な史料となる。それらの人々の中で、日                  

本側の関係者の場合、多くの人が戦争体験記を記している。個人の体験記や部隊ごとの戦史、地域                  

ごとの体験記を集めたものなど多様なものが刊行されている。これらは「加害者」側の証言ではあ                  

るが、その中には貴重な証言が含まれているものが多い。

 

 こうした戦争体験記をもっとも収集しているのは国会図書館であると思われる。ここにはざっと                  

見て約1万冊の戦争体験記が所蔵されている。

 日本の戦争責任資料センターでは、清水澄子参議院議員の調査に協力するかたちで、昨年10〜11

月に第1次、今年の2月に第2次国会図書館調査をおこなった。調査のためのマニュアルを作成し、

ボランティアの方々にも協力をいただいてこれまでに約3千冊をチェックした。

 第1次調査では、約2千冊の中から、「従軍慰安婦」関係133 冊、残虐行為46冊、細菌・毒ガス                  

17冊、その他53冊、計249 冊の関係部分をコピーした。これらの文献により公文書からはわから                  

ない多くの事実が判明した(『季刊戦争責任研究』第3号に集計と分析を掲載、第2次調査は現在                  

分析中)。

  それらの内容をかんたんに整理すると、第1に政府の発表(1993年8月4日内閣外政審議室が発                  

表した「いわゆる従軍慰安婦問題について」) によって慰安所があったとされている地域以外にも                  

多数の慰安所があったことがわかった。たとえば、インド(ニコバル諸島)、英領ボルネオ(クチ                  

ン、サンダカン、クダットなど)、グアム(アメリカ領)、日本の委任統治領(サイパン、トラッ                  

ク、パラオ)などにも慰安所があったことが確認された。また東部ニューギニアのウェワク、ニュ                  

ーアイルランド島のカビエン、北千島の占守島などにもあったことがわかった。戦争体験記の調査                  

が進めば、日本軍が慰安所を設けた場所はより広がっていくと見られる。

 第2に政府発表では含まれていない、ビルマ人とインド人の慰安婦がいたことが確認された。ま                  

た中国、フィリピンなどの日本軍占領地では、朝鮮半島から連行されてきた慰安婦以外にも、多く                  

の地元女性が慰安婦にされていたことがわかった。おそらく朝鮮人慰安婦が最も多かったにしても                  

、占領地の女性がかなり多かったのではないかと思われる。

 第3に占領地では、業者を使うのではなく、軍自らが慰安所の設置、慰安婦集めを行っているケ                  

ースが多数出てきた。しかもそこでは、後に紹介するように強制使役としか言いようのない実態も                  

記述されている。

 第4に「従軍慰安婦」や慰安所の写真、慰安所の所在を示す地図など、当時の実情をうかがわせ                  

る史料がたくさん出てきた。

 第5に慰安所を利用した兵士たちの意識についての記述も多く、これ自体、分析の対象になりう                  

る。兵士の中には、慰安婦のおかれた状況に思いを致す人もいるが、多くはもっぱら自分の性欲処                  

理のはけ口程度にしか認識していない。慰安婦の人たちが戦後も心身ともに苦しめられていること                  

など考えもしない。そうした兵士の意識自体が大きな問題であることが浮き彫りにされた。

 

 ここで多くの文献の中から一つだけ紹介したい。これは日本軍がシンガポールを占領した直後に                  

「軍司令部の後方係り」によって慰安所が開設された時のことである。当時、少尉であった著者が                  

衛生兵から聞いた話であるが次のように記述している。「彼(衛生兵注)が行ってみると、薄板を

張って小部屋を仕切った急造の慰安所の部屋の前には、兵たちがいくつもの列を作って、並んで待っ

ていた。(中略)英軍時代には一晩に一人ぐらいを相手にして自分も楽しんでいたらしい女性たち

は、すっかり予想が狂って悲鳴をあげてしまった。四、五人すますと、「もうだめです。体が続か

ない。」と前を押えしゃがみこんでしまった。それで係りの兵が「今日はこれまで」と打ち切ろう

としたら、待っていた兵士たちが騒然と猛り立ち、撲り殺されそうな情勢になってしまった。恐れ

をなした係りの兵は、止むをえず女性の手足を寝台に縛りつけ、「さあどうぞ」と戸を開いたとい

う。ちょうど番が来て中に入ったくだんの衛生兵は、これを見てっ青になり、体のすべての部分が

縮み上ってほうほうのていで逃げ帰って来たというのであった。」(総山孝雄『南海のあけぼの』

叢文社、1983年)

 これを見ると、軍による組織的な強姦(輪姦)としか言い様のない実態が示されている。軍の公                  

文書からはうかがえないリアルな実態がこうした文献からわかるのであり、戦争体験記の調査には                  

重要な意義があると言える。

 

 こうした戦争体験記は、国会図書館だけでなく、各地の都道府県・市町村の公立図書館にたくさ                  

ん所蔵されているはずであり、そこにしかないコレクションがあると思う。それぞれの図書館でそ                  

れらの文献の調査をおこなっていただければ、貴重な記述がたくさん出てくることは間違いない。                  

 ご協力いただけるのであれば、日本の戦争責任資料センターでも調査方法の相談など積極的に協                  

力させていただきたいと考えている。図書館としての正式の取り組みにならなくても、個人的な短                  

時間の調査でもかなりの成果が期待できるので、図書館の関係者の方々のご協力をいただければ幸                  

いである。