戦争関係史料調査と図書館

 

     「図書館雑誌」1993年8月 

                      林 博史


図書館の関係者向けのこの雑誌には、1993・1994・1998年の3回、戦争に関わる資料文献について書かせてもらいました。その第1回がこれです。2001.3.31記


                                       

 この数年来、私はアジア太平洋戦争中に日本軍が東南               

アジアや沖縄でおこなったことについて調べている。そ               

の中で各地の図書館や文書館を利用させていただいてい               

る。一研究者としての限られた個人的な体験ではあるが               

、何かご参考になるのではないかと考え、書かせていた               

だくことにする。

 

〔「従軍慰安婦」史料をめぐって〕

 この間、日本の戦後補償をめぐる問題の中で焦点にな               

っているのが「従軍慰安婦」問題である。従軍慰安婦が               

日本軍によって設けられ管理されていたことは以前から               

よく知られていたが、日本政府は民間業者が勝手にやっ               

たのだと逃げていた。しかし1992年1 月吉見義明氏が防               

衛庁防衛研究所図書館から軍の関与を裏付ける一連の史               

料を見つけ、新聞で大きく報道されたことによって、日               

本政府は戦後47年めにして初めて軍の「関与」を認めた               

。政府は史料調査を行うことを約束し、その調査結果は               

92年7 月に発表され、防衛庁図書館や外務省外交資料館               

などから127 点の史料が出てきた。

  ところがその中にマレー半島における慰安所に関する               

史料は一点しか含まれていなかった。私は以前に日本軍               

がマレー半島でおこなった華僑粛清=虐殺を裏付ける史               

料を防衛庁図書館で見つけた(拙著『華僑虐殺』すずさ               

わ書店、1992年参照)が、そうした粛清をおこなった部               

隊の記録の中に慰安所に関する記述があることは知って               

いたし、論文の中で触れていた。ところがそうした史料               

はいずれも政府発表からは抜け落ちていた。政府調査の               

ずさんさが表れており、これらの史料については昨年8                

月に『朝日新聞』で大きく報道されたし、私も『世界』               

93年3 月号にその内容を紹介している。

 慰安所の史料がこうして次々と表に出てくる中で憂慮               

すべきことも出てきた。たとえば、フィリピンのパナイ               

島イロイロにおける慰安所の史料があるが、その中に慰               

安婦の氏名・年令、検梅結果が記載されている。吉見氏               

が閲覧した時には原史料をそのまま見ることができたの               

だが、政府調査がおこなわれる中で、氏名がすべて削除               

され、現在では削除されたものしか見ることができない               

。吉見氏はこれらの慰安婦がフィリピン女性であること               

を確認していたので、フィリピン人慰安婦の存在がわか               

るが、政府公表史料だけではどこの国の慰安婦かわから               

なくなってしまっている。また慰安婦の入れ替わりもわ               

からなくなった。

 慰安所が設置された理由の一つが、中国における日本               

兵による住民への強姦事件の多発だった。であるから日               

本兵の軍紀の状況と密接な関係がある。そこで私はマレ               

ー半島におけるこうした状況を知りたくて、以前に見た               

ことがある史料の閲覧を請求した。それは軍規に違反し               

て処分された兵士の記録で、そこには兵士が無断で私娼               

街に行ったというような内容が記載されていたという記               

憶があったからである。以前に見た時には、華僑粛清あ               

るいは住民虐待という観点でしか見ていなかったのでメ               

モをしなかった。ところが今回は、プライバシーに関わ               

るということで閲覧を拒否された。氏名が出てこない、               

ほんの一部分のみ係官立会いの下で見ることができたが               

、肝心の部分は見ることができなかった。

 確かに慰安婦の氏名をそのまま公表してしまうのは問               

題であり、プライバシーに配慮を払う必要は理解できる               

にしても、史料の閲覧そのものをさせず、あるいは慰安               

婦の民族や出入りもわからなくなるような史料の扱い方               

は、きわめて問題がある。

 国立公文書館での経験であるが、戦前の警察関係の史               

料を見ていると、氏名が削除されている箇所に出会った               

。しかしこの人物は創立期の日本共産党に関わった有名               

な近藤栄蔵という人物で、前後の文章から彼だというこ               

とは日本近代史にくわしい人なら誰でもわかるものだっ               

た。専門的知識のない人間が、名前が出ているからとい               

うだけで削除したのだろうが、定見のなさが表れている               

〔防衛庁図書館の史料公開原則〕

 防衛庁防衛研修所(現在は研究所)戦史室は、旧陸海               

軍史料の公開にあたって、1958年に5つの原則を列挙し               

ている(戦史室『陸海軍記録文書目録』1974年6 月) 。               

そこでは第1に「調査、研究目的の真面目な相手に対し               

ては、戦史室の任務、能力に支障のない範囲に於て、閲               

覧の便宜を供与するを原則とすべきである」としている               

。「真面目な」というきわめて主観的な基準が入ってい               

ることは問題だが、とりあえずはおいておく。第2に提               

供者が非公開を条件とした私日誌、覚書などは非公開に               

する旨を記したうえで、第3に「たとえ非公開を条件と               

しない史料であっても、その史料の記述、口述者が現存               

している場合、或はその史料内の登場人物が生存してい               

る場合等にして、史料そのものの一般閲覧が物議を醸す               

虞れあり、且つ徳義上問題ありと認められるものに対し               

ては、戦史室はその良識に基づいて、一般閲覧を差し控               

えるべきである」とされている。言葉尻にこだわるわけ               

ではないが「物議を醸す」というような判断が閲覧を許               

すかどうかの判断基準の一つになっているのはどうであ               

ろうか(第4〜5は略)。                            

  この5原則が現在も有効なのかどうかわからないが、               

その趣旨は今も生きていると見られる。

 なお戦史室は「太平洋戦争戦史」の編纂にあたり、19               

56年度から75年度までに約1 万5 千人の関係者から面接               

調査をおこなっており、それを契機にして日記、回想類               

を提供を受けているが、それらはほとんどが非公開にな               

っている。慰安婦問題に関してもこれらの史料の公開が               

望まれる。

 1980年に政府は「情報提供に関する改善措置等につい               

て」という閣議決定をおこない、それに基づいて防衛庁               

では、事務次官通達「防衛庁本庁における情報提供に関               

する改善措置等について」を出した。これにより戦史史               

料の一般公開が指示されたという(『防衛研修所三十年               

史』)。なお直後に古川純氏らが防衛庁文書(旧軍では               

なく現在の自衛隊資料)の閲覧に出向き、その際に次官               

通達そのものの閲覧を請求したが、「部内資料」とのこ               

とで閲覧を拒否されたという(『軍事民論』22号、1981               

2 月) 。この情報公開に関わる通達すらも公開されな               

かったということである。

 こうした問題は防衛庁だけにとどまらない。各省庁の               

多くは図書館をもっているが、防衛庁図書館はそれらの               

中ではまだよい方であろう。いずれにせよ市民の権利と               

しての情報公開制度の実現が強く望まれる。

 従軍慰安婦問題に関していえば、政府が発表した史料               

は、防衛庁70点、外務省52点のほかは厚生省4 点、文部               

1 点にすぎない。文部省の1 点は、すでに公刊されて               

いる沖縄の『浦添市史』に所収のもので調査でもなんで               

もない。

  慰安所に深くかかわっていながら、史料が出てきてい               

ないのが警察である。外務省史料の中に警察関係史料が               

入っており、警察側にも当然、その元の史料があったは               

ずである。

  慰安婦の徴集、送り出しにあたった朝鮮総督府と台湾               

総督府の史料も出ていない。ここでも警察が深く関わっ               

ているはずである。両総督府に関する事務を担当したの               

は拓務省であり、拓務省は1942年10月に廃止され、両総               

督府に関する管轄は内務省に移された。したがって内務               

省の史料、特に警察関係史料が問題になる。

  警察史料が出てくるかどうか、が政府が本気で調査を               

したのかどうかの一つの試金石となろう。現在、総理府               

外政審議室が、慰安婦問題の調査にあたっているが、各               

省庁に対して調査を依頼するしかできない。民間の研究               

者を含めた調査委員会のようなものが、警察庁や都道府               

県警察本部を立入り調査するぐらいのことをやる必要が               

あるのではないだろう。

 

〔公立図書館の戦争関係文献〕

 図書館の戦争関係文献については、県立図書館などで               

は郷土資料・図書のコーナーに必ず戦争関係があり、郷               

土出身の元兵士が自費出版した本やパンフレットなど東               

京では見られないものがあり貴重である。

 私が調べているマレー半島の華僑粛清は、広島の第5               

師団が中心におこなったものであり、その関係で広島県               

立図書館や市立図書館も利用した。広島関係では、広島               

県が出した『広島県戦災史』(1988年) の中に、「原爆               

被災記録」とともに「空襲・戦災・戦争体験記」の文献               

目録が付けられている。これは県立図書館をはじめ広島               

・呉・福山の3つの市立図書館の所蔵する15年戦争関               

係の文献のうち、広島県内で出版されたもの、県外出版               

でもテーマが広島県中心のものが収録されている。これ               

は参考になった。ただそれぞれの本がどの図書館に収蔵               

されているか記載されていないので、確かめるのがたい               

へんだったが。

 各地の図書館の郷土資料に含まれている戦争関係文献               

は、今のところその図書館にいって初めてわかる。これ               

らの情報が集約され、データベースが作成されれば、戦               

争関係の調査研究はぐんとはかどるものと思う。従軍慰               

安婦問題についても、元兵士の回想記の中にそれに関す               

る記述が出てくることが多い。私がマレー半島にいた元               

兵士の回想記などを調べたかぎりでも、慰安所開設の時               

期と場所、建物の様子、慰安婦の国別・人数・年齢、慰               

安婦との会話(たとえば、親しくなった慰安婦から、実               

は工場で働くということで応募したところ、だまされて               

慰安婦にさせられたと訴えられたというような話)など               

手掛かりになる証言がしばしば出てくる。公文書だけで               

なく、こうした個人の出版物からわかることも多い。む               

しろ慰安所・慰安婦の実情はこうした個人の体験談から               

わかることが多い。

 従軍慰安婦問題でも各地の県立市立図書館が郷土関係               

の戦記戦史を調べ、その情報を持ち寄れば、従軍慰安婦               

問題の解明はぐんと進むにちがいない。各図書館にすれ               

ば、その程度の調査は数日あるいは1日ですむ程度の作               

業であり、政府と自治体がやる気になりさえすればすぐ               

にできることである。研究者と協力して調査方法をマニ               

ュアル化して、慰安所に関わると見られる情報を抜き出               

すという作業は専門家でなくとも可能であろう(若干の               

見落としは研究者でもあるので目をつぶるとして)。そ               

うした一斉調査によって、慰安所に関する記述のある文               

献のデータベースが作成されれば、貴重な成果となろう               

。そうした取り組みができないものだろうか。

 

 ところでデータベースに関してだが、文献探索にあた               

ってキーワードで探す方法がある。図書館に資料調査に               

行き、一番よく使うのがキーワードである。私の限られ               

た経験で恐縮だが、これまで一番便利だったのはシンガ               

ポール国立大学のコンピューターである。このコンピュ               

ーターLINCは、キーワードを3つ入れることができ               

る。たとえばJapanese Administration Malaya と入れ               

ると、それぞれのキーワードごとの文献を探してくれる               

だけでなく、Japanese+Administration  で東南アジア               

など各地の日本軍統治に関する文献を探してくれる。                

Administration+Malaya  で日本のマラヤ統治だけでな               

くイギリスのマラヤ植民地統治の文献も出てくる。

Japanese+Malayaでは、日本・マラヤ関係の文献が出て               

くる。さらに3 つのキーワードを組合せで、日本のマラ               

ヤ統治についての文献が出てくる、というように実に便               

利だった。

 キーワードを一つしか入れられないと、キーワードが               

漠然としているとあまりに文献が多すぎるし、キーワー               

ドをしぼりこむとうまく文献が出てこない。LINCの               

方式は研究者にとってはありがたい。

                         

〔史料調査での官民協力を〕

 この4月に「日本の戦争責任資料センター(仮称)」               

準備会(代表荒井信一駿河台大教授、)が発足した。こ               

のセンターは、日本のおこなった戦争の責任にかかわる               

あらゆる事柄(侵略戦争だけでなく強制連行など植民地               

支配も含む)について、歴史的法律的な観点から史料の               

調査収集、研究、戦後補償に関する研究などをおこなう               

機関として、歴史・法律研究者、弁護士などを中心に作               

られ、調査活動を始めている。私もその一員として、従               

軍慰安婦問題を中心とする調査研究チームに加わり、調               

査をおこなっている。

 日本が戦争責任について明確にし、戦後補償を実現す               

るうえで、専門的な調査研究が不可欠である。事実の究               

明なしの、言葉だけの「謝罪」や金銭の支払いは、被害               

者への侮辱であろう。従軍慰安婦問題についていえば、               

残念ながら政府はずさんな史料調査のままで済まし、あ               

とは韓国の元慰安婦から若干の聞き取りをおこなって、               

事態の収拾をはかろうとしている。事実を曖昧にしたま               

ま政治的決着をはかれば、後々に禍根を残すことになる               

。すでに資料センター(準)としては5月初めに政府に               

対して、民間の研究者も含めてきちんとした調査をおこ               

なうべきであり、われわれも協力する意志があることを               

申し入れている。 

 戦争関係の史料は、まだ政府の各省庁内で非公開のま               

ま隠されているものが多数あるはずである。一方各地で               

個人が所蔵しているものもあるだろうし、図書館文書館               

で眠っているものもあるだろう。そうした点からも行政               

と民間が協力して調査をおこなうことがとりわけ求めら               

れるであろう。そこでは、個々の図書館と研究者との協               

力関係だけでなく(実際には研究者が図書館にお世話に               

なるという関係であり、研究者の立場からは大きなこと               

は言えないが)、横断的ネットワーク的な協力関係がで               

きないものだろうか。

 なお各地の図書館から、そうした情報が資料センター               

(準)に寄せられれば幸いである。                        

(「日本の戦争責任資料センター(仮称)」準備会の連               

絡先:東京事務局03-5454-1222、大阪事務局06-562-7740)