ハワイのルネッサンス運動     

『歴史学研究月報』No.293  1984年5月

林 博史


これは歴史学研究会の委員をしていたときに書いたものです。先住民の文化やアイデンティティと軍隊・平和との関係を考えるうえで大事な視点を学んだと思います。 upload 2000.10.19


 海上自衛隊は、遺跡の島、私たちの聖地カホオラウェ島をリムパックの標的にするな、リムパック参加をとりやめよ― カホオラウェ島(以下「カ島」と略記)を守る会Protect Kaho’o-lawe 'Ohanaの代表カラマ赤峰さんは、二月に来日し、国際軍縮促進議員連盟のの有志に対し、あるいは3・1ビキニデー集会においてこのように訴えた。守る会は、前回のリムパック(環太平洋合同演習)82の際にもホノルルの日本総領事館まえで抗議行動をおこない、自衛隊の艦砲射撃中止を申し入れている。
 三月五日(1984年)の衆院決算委員会において、防衛庁は、今回のリムパックで鑑砲射撃はやるがカ島を対象としないと言明し、前回の時には遺跡があるとは知らなかったと述べた。しかし同委員合で外務省は、総領事館に中止の申し入れがあったことを認め、関係省庁にもそのことを連絡した旨答弁しており、防衛庁が遺跡の存在を知っていたにもかかわらず艦砲射撃をした疑いが強い。なお82年の際にはオースーラリアとニュージーランドは守る会の抗議によりカ島への艦砲射撃を中止しており、自衛隊の責任は追求されるべきであろう。また今回はカ島を標的としないと言うが、艦砲射撃自体はおこなうとしており、今後も注視する必要がある。

 さてカホオラウェ島はハワイ諸島の主要八島の一つでマウイ島の南一一・二キロにある。カ島には一千年はど前から人が住みはしめ、今日、五百四十四の考古学上の遺跡が確認されている。その中には、手斧の採石場azde quarries'、玄武岩のグラス類とその採石場、岩石彫刻群 petroglyph clusters' 海神神社 fishing shrines'寺院、星による航路測定台、住居跡、その他一千年にわたる住民の跡が積されている。カ島は大規模な農業開発や都市化からまぬがれ、先史時代と歴史時代のトータルな居住システムのsettlement system が残されているハワイで唯一の島であり、一九八一年に島全体が米国の歴史的重要文化財に指定された。
 カ島は、一九四一年より海軍が没収し、以来、爆撃の標的として今日もなお使用されている。現在は、誰も住んでいない。
一九六九年よりハワイ州政府の中から海軍による爆撃は環境保護法environmental protection statutes 違反であり、爆撃を中止するよう求める動きが出てきた。一九七六年には、ハワイの活動家が次々にカ島に上陸し抗議を表明した。同年にハワイ州議会は、爆撃を中止し、カ島をハワイ州に返還することを求める決議をおこない、守る会は民事訴訟を起こした。こうした運動の中で、一九八○年、守る会と海軍との間に協定が成立した。この協定は、潅軍に村して、爆撃は島の三分の一の部分に限定すること、歴史的遺跡を保護し保存すること、土壌の保護や再縁化計画の履行などを義務づけ、また守る会はカ島の管理人stewardsに指定され、守る会と海軍は定期的に交渉することになった。他方で一九七六〜八〇年にわたり遺跡の調査がおこなわれ、前述の五百四十四の遺跡が確認されている。

 守る会‘Ohana はハワイ住民とその支持者の草の根組織である。‘Ohanaとは、彼らの協働の伝統的なあり方を示す言葉で、拡大した家族 extended family という意味である。彼らのスローガンは、 Aloha ‘Aina (Love the land)である。
 カ島は昔は、海の神の聖なる避難所と呼ばれ、そこでkahunaという聖職者が訓練をうける場所であった。彼らにとってカ島は、あらゆる島々からそこに集まってくる場所であり、彼らが前進する力をひきだす源である。一九八二年には、the god Lono をたたえる儀式がカ島において復活し、以後毎年おこなわれている。守る会の人々は毎月、島へ渡り、カ島を緑化する計画をすすめ、島に再び住めるようになることの象徴として、伝統的なハワイの家を作っている。守る会の目標は、爆撃をやめきせ、遺跡を保護することにとどまらず、島を復興し、島を再びハワイの民衆の手にとりもどすことであり、ハワイ民衆の民族自決をめざしている。

 こうした運動がすすむ一方で、遺跡の破壊もすすめられている。一九七一年以来、米海軍だけではなく、リムパックに参加したオースーラリア、ニュージーランド、カナタもカ島の爆撃に参加するようになった。日本は一九八○年のリムパックではカ島の爆撃には参加しなかったが八二年の際には、前述のように爆撃に加わった。今年のリムパックでも標的になる危険性は依然残っている。
 守る会の運動は、遺跡の保存というレベルにとどまらず、それを通してハワイ民衆が自分たちの土地と文化をとりもどすルネッサンス運動である。カラマ赤蜂氏が、3・1ビキニデー集会参加のために来日したことにも示されるように、カホオラウェ島を守る運動は、反基地・反核運動と一連の運動である。すでにハワイ島では非核地帯を宣言し、マウイ島、カウァイ島でもそうした動きがすすんでいる。オアワ島でも島の四分の一を占める軍用地に対し、軍用地内に住みこむたたかいがおこなわれている。
 米軍の存在自体が、核を有する基地の存在自体が、そしてリムパックに示されるような合州国を中心とする軍事同盟が、ハワイ民衆のルネッサンス運動に村する和解しがたい敵対者であることを彼らは今学びつつある。
 自らの築きあげてきた土地と文化に根ざし、新たな自らの文化を築こうとする破らの運動に村し、反核運動や文化財保護運動をはじめとして日本の我々はいかにして彼らに応えることができようか。

(本稿は原水爆禁止日本協議会より提供していただいた資料と新聞記事をもとに筆者の責任でまとめたものである。考古学上の用語など訳が不正確な点もあるかと思われるが御容赦頂きたい。なおカホオラウェ島を守る会の連絡先は次のとおりである。Protected kaho'olawe 'Ohana, P.O.Box H, Kaunakakai, Molokai, Hawaii 96748 )