シンガポールの戦争博物館に見るアジア太平洋戦争

  「アジアの波動」『沖縄タイムス』1995年3月23日


 シンガポールを含むマレー半島は日本軍の東南アジア支配の要であったので「帝国の領土」とされ最後まで厳しい軍政がしかれた。シンガポールにはいくつかの戦争に関する博物館があるが、リゾートアイランドのセントーサ島にある戦争博物館が有名だ。ここの後半部が「戦争の時代一九四二 四五」というタイトルで始まる、日本の侵攻から敗戦までの展示である。シンガポールが「昭南島」と改名されたこと、華僑虐殺や五千万ドルの強制献金、憲兵による住民への拷問虐待、捕虜への虐待などの日本軍の圧政がくわしく紹介されている。
   同時に一三六部隊とその指導者リン・ボーセンによる抗日抵抗運動にもスペースがさかれている。日本占領時代がまさに暗黒の時代であったことを体験しながら進むと最後に原爆によって焼け野原になった広島の写真がパネルいっぱいに展示され、原爆が日本軍の支配を終わらせたかのような印象を与える構成になっている。日本軍の連合軍に対する降伏調印式の会場周辺に集まった人々の明るい笑顔も印象に残る。

  数年前、日本軍による虐殺からかろうじて生き残ったマレーシアの人々が広島を訪ね原爆資料館にも寄った。そのとき、彼らが異口同音に、原爆で女性や子どもが犠牲になったのはかわいそうだが、日本がアジアを侵略しなかったら原爆を落とされなかったはずだ、原爆がなければ自分たちも含めてもっと多くのアジアの人々が殺されていただろうと語っていた。原爆がアジアを解放したという意識は今だにアジアの中に広く存在している。
  原爆はアジアを解放するためではなく、アメリカが冷戦のもとでアジアでの優位を確保するためのものであり、人類に対する犯罪であることは言うまでもない。しかしアジアの人々がそう思っているのは、日本の侵略があまりにひどかったからだ。これはアメリカとの関係でもそうだ。日本が侵略戦争への真摯な反省をすることが、核兵器廃絶を含めて日本人の平和への願いを世界の願いに広めていくうえで不可欠であることをシンガポールの展示は物語っているのではないだろうか。