『連合通信』1995年7月22日       戦後50年8.15企画 

<侵略正当化を検証する>あの戦争は何だったのか?

     林 博史・関東学院大学助教授に聞く 


戦後50年を前にして、インタビューに答えたものを記者がまとめたものです。2000.7.24


  戦後五十年の国会決議がアジア各国の批判を招いたように、過去の戦争に対する日本の歴史観が問われている。アジア太平洋戦争とは何だったのか。日本の戦争責任資料センター研究事務局長の林博史・関東学院大学助教授に話を聞いた。

 <検証@侵略ではない>

Q  自衛戦争論など「大東亜戦争」の正当化をどう見ていますか。

 A  以前は、満州事変や日中戦争などを含めて侵略ではなかった、という議論だったが、最近は中国や朝鮮に対しては、さすがに侵略を否定できなくなってきた。しかし、1941年以降の太平洋戦争については、あくまでも「侵略ではない」と主張する新しい正当化論が出ている。

 昨年十月、橋本龍太郎通産相が「中国に対しては侵略、朝鮮に対しては植民地主義と言われても仕方がない…しかし、第二次大戦の米英との戦いが侵略戦争かどうかは疑問」と発言したのはその一例だ。 また、橋本氏は「太平洋の各地域の人々と戦っているつもりはないまま、戦場としてしまったが、その地域への侵略かどうかは、微妙だ」と述べている。 しかし、東南アジアの占領を目的に、日本軍が戦争を行ったことは、当時の資料でも明らかになっている。例えば、太平洋戦争が始まる前の1941年11月20日の大本営政府連格会義が決めた「南方占領地行政実施要領」では、東南アジアの占領の目的に「重要国防資源の獲得」を掲げている。たまたま、戦場になったわけではない。橋本発言などは、意識的にこうした事実を歪めている。

 <検証A米の圧迫が原因>

Q  日本が東南アジアにのり出したのは、米国の圧迫で止むを得なかった、という議論がありますが。

 A  米国が日本に要求していたのは “日本は中国から撤退せよ”“中国への侵略戦争を止めろ“ということだった。ところが、日本はそれを止めないどころか、インドシナまで侵略を拡大した。その結果として、米国は日本への石油をストップしたわけだ。
  日本の東南アジア占領は、米国の禁輸で確保できなくなった石油をマレーシアやインドネシアに求めるためだった。したがって、日中戦争と太平洋戦争は一続きのものとして捉えなければならない。橋本発言のように、中国に対する戦争は悪かったが、太平洋戦争は悪くないというような区別はできないのだ。

 また、第一次世界大戦後には、「戦争は国際的な犯罪である」「そうした国際的な犯罪には、戦争責任が生じる」という考えが生まれていた。それまでは、強い国が戦争という手段に訴えて、他の国の領土を併合するのが当然の世界だったが、最初の総力戦となった第一次大戦で多数の民間人犠牲者がでたことで、戦争への反省が生まれたからだ。
  1924年「国際紛争平和処理に関するジュネーブ議定書」は未発効だが、侵略戦争を国際的罪悪と規定した。1928年の「不戦条約」は、日本や主な列強も参加し、国際紛争の解決を戦争に訴えることを犯罪であると確認している。
  太平洋戦争の1941年はもちろん、満州事変の1931年にも、「戦争に訴えることは犯罪」という考え方が、国際法として確立していたのであり、日本の行為を正当化することはできない。

 <検証B帝国主義の戦争>

Q  米英との戦争は帝国主義間の戦争で、どっちもどっちという意見もあります。

 A  英・仏・オランダなど、あくまでも植民地を確保したいという帝国主義国と、遅れてきた帝国主義国の日本、ドイツとの戦いという側面は確かにある。しかし、第一次世界大戦によって、帝国主義国の内部で戦争に対する反省が生まれると同時に、植民地支配に対する見直しも行われつつあった。新しく生まれたソ連が、植民地支配に対する批判を行うようになっていたし、米国も従来の欧州型の植民地支配を強く批判していた。
  1922年には「九か国条約」で、中国の主権、独立、領土保全が決められた。1935年には米国がフィリピンに独立を約束し、英国もインドに対して少しずつ自治を与える方向だった。 また、連合国は中国や東南アジアの民族解放運動、ヨーロッパでは東欧のパルチザンやフランスのレジスタンスなどと共に戦っており、そこには民族解放の理念があった。

 帝国主義間の戦いとはいえ、従来の政策の見直しを行いつつあった国々と、そうした反省、見直しを行わない国との戦争であったという事実を見なければならない。そうしないと、なぜほとんどの中小国が連合国に参加したかを説明できなくなる。

 日本の議論はそこをきちんと押さえていない。一九世紀の帝国主義の論理が1930年、40年代も続いているとの歴史観だ。だから、国会の五十年決議でも「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為・・・」という表現、つまり“日本は欧米列強と同じことをしただけ”という論理が出てくる。これは、第一次大戦後の国際社会のこうした変化を無視したもので、根本的に間違っている。

 <検証C独立を助けた>

Q  戦争の結果、アジアは独立したではないか、との主張はどうでしょうか。

 A  例えば、1943年5月31日の御前会議が決定した「大東亜政略指導大綱」では、マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは、「帝国領土と決定し」となっている。資源が豊富で、位置的にも重要なインドネシア、マレーシアについては、独立を与えるという意図はまったくなかったわけだ。
  たいした資源がないフィリピン、ビルマについては、一応は独立を付与した。しかし、フィリピンについては、1935年に米国が10年後に独立を与えると約束し、すでにフィリピン人の政府もできていた。英領のビルマについても、1937年にビルマ人の自治政府ができていたわけだ。こうした経緯からさすがに日本の帝国領土とすることはできなかったのだろう。

 日本が独立させた例としてビルマとインドネシアがよく出される。だが、ビルマの場合でいえば、日本軍が自らのために作ったビルマ国軍は、地下の抗日組織をつくり、連合軍がビルマに攻めてきた時に、連合軍と呼応して日本軍と戦い、ラングーンの解放を達成した。インドネシアでも同じように、日本が作ったインドネシア軍が、日本軍に対して蜂起している。彼らは、従来のイギリスやオランダの植民地支配を打ち破るために、日本の力を利用しながら、自分たちの力を蓄え、自ら独立を勝ち取ったわけだ。
 日本がアジアを独立させたという言い方は、東南アジアの人々のこうした主体性を無視したもので、彼らを見下した意識の反映と言える。

 また、「意図は別として、結果として独立したからいいではないか」という主張もある。
 だが、こうした論理で言えば、“中国で共産党政権ができたのは、日本の戦争のおかげだ”という理屈になってしまう。中国共産党は、抗日戦争の中で国民への支持を広げ、国民党政権を破るわけで、日本の侵略戦争がなければ、共産党政権はまずできなかった。だからといって「中国共産党は日本に感謝しろ」という理屈をいう人はいない。結果としてこうなった、という議論は、非常におかしな議論になる。
 意図と結果が違うというのは、歴史上いくらでもある。侵略の意図と違って独立したからといって、侵略が正当化されるはずはない。