シンガポールから見たアジア太平洋戦争 

     荒井信一編『戦争博物館』岩波ブックレット、1994年、所収

林 博史


最近は「戦争の記憶」についての議論が流行ですが、そうした内容は以前から議論していました。シンガポールという国家にとっての「戦争の記憶」について、少し論じたのがこの小論です。  2000.7.5


 シンガポールで、太平洋戦争にかかわった展示がなされている所としては、Pioneers of Singapore and Surrenders 「シンガポールのパイオニアたちと降伏の間」(通称「戦争博物館」)、晩晴園(孫文記念館)、チンギ・ブリズン博物館、シロソ要塞、国立博物館などがある。

 シンガポ−ルの南側に島全体がリゾートアイランドになっているセントーサ島があり、その高台の上に戦争博物館が建っている。この博物館の前半は、ろう人形を使ってシンガポールの歴史をたどった展示であり、後半の「降伏の間」が日本軍によるマレー半島侵攻から占領期、そして日本軍の敗戦までをあつかっている。ここはセントーサ開発株式会社のものだが、実質上国立といってよい博物館である。

「降伏の間」は「戦争の時代一九四二―四五」というタイトルで始まる。大英帝国にとってのシンガポールの重要性、日本が、少ない島に人口がひしめき産業経済を支える原料が乏しいという本質的な問題をかかえていたことなどを指摘したうえで、一八九四年の日清戦争以来の朝鮮侵略、満州事変からの中国侵略の歴史をふりかえり、軍需品と原材料を求めて日本が南進をはかろうとした、と歴史的背景をきちんとおさえた展示が続く。そのあとに日本軍のマレー侵攻作戦の経過がくわしく紹介されている。そこでは判断の誤りなど英軍の批判的記述が多い。一九四二年二月十五日、英軍はついに降伏したが、この時の降伏調印式の模様がろう人形で再現されてしる。                          

 ついでSYONAN−TOと赤字大きく描かれた下に「シンガポールは昭南島と改名された」と記され、ここから日本軍占領時代代の展示が始まる。この中では有名な華僑粛清=虐殺や五〇〇〇万ドルの強制献金、捕虜や民間人への虐待などの日本軍の圧政が紹介されている。同時に一三六部隊とその指導者リン・ボ−センによる抵抗運動が大きくあつかわれ、ただ日本軍に抑圧されていただけではないことを強調している。そして、原爆によって焼け野原になった広島の写真がパネルいっぱいに展示され、原爆が日本軍による支配を終わらせたかのような印象を与える構成になっている。ここに日本軍の降伏調印式の模様がろう人形で展されている。二つの降伏調印式が前半と後半の最後にあり、これが博物館の名前「降伏の間」となっている。

 晩晴園はシンガポ−ル中華総商会のもので、一階が孫文関係の展示、二階が戦争関係の展示になっている。展示は戦争博物館と共通しているものが多いが、ここの特徴は、日本軍によって虐殺された人びとの遺品がたくさん展示されていることである。これらにつして高嶋伸欣「旅しよう東南アジアへ』(岩波ブックレットNo.89)に詳しいのでそちらに譲る。

 チャンギ・ブリズン博物館は刑務所のそばにあり、日本軍の捕虜になった連合軍兵士たちを記念して建てられた。マレー戦の結果、約八万五〇〇〇人の捕虜や市民(白人)がチャンギ−プリズンなどに収容され、強制労働や飢えなどで多くの儀牲を出した。ここには当時のブリズン内に建てられた教会が復元され、そのそはに博物館が建てられている。この建設には元捕虜やその家族・友人だけでなく、シンガポール観光局や刑務所もかかわっている。ここには捕虜収容所での生活、強制労鋤、日本軍による虐待などのようすがスケッチと写真を中心に展示されている。ひそかにカメラで撮っていた写真が残っており興味深い。捕虜の虐待は戦後のBC級戦犯裁判の中で大きな問題となり、今日でもオランダやイギリスをはじめ対日批判の重要な要素になっていることを考えると捕虜問題専門のこの博物館は貴重である。ここには白人は観光バスでやってきて見学しているが、日本人はほとんど来ない。シンガポールのホテルなどに置かれている観光ガイドの英語版にはこの博物館が紹介されているのに日本語版にはない。なおセントーサ島のシロソ要塞にもかんたんではあるが捕虜関係の展示がある。

 国立博物館では、シンガポールの歴史を二〇の幻想画によって再現している。その中に戦争関係が二点ある。一つは一九四二年二月一六日に行われた日本軍の勝利パレードの幻想画で、日の丸をかかげた戦車隊が描かれている。もう一つは一九四二年二月一八−二二日の日本軍による華僑の検問を描いたパノラマである。銃剣を付けた銃をもった日本兵が華僑を集め検問している模様が描かれている。この検証で選り分けられたたくさんの人びとが虐殺されたのである。

 常設展示はこれだけだが、シンガポール陥落(日本軍による占領)五〇周年を記念して、一九九一年末から九二年にかけて国立博物館などで特別展が行われた。戦争中の現物資料、たとえは身分証明書や配給帳、労務手帳などを含めた大規模な展示だった。

 この特別展を含めシンガポールのアジア太平洋戦争の展示の仕方の共通した特徴は、英軍の誤りと頼りなさ、日本軍の圧政のひどさ、それに対するシンガポール人の抵抗精神が全体のトーンとなっていることである。日本がマレー半島まで侵攻してきた理由と歴史的背景、英軍の敗北の理由などについてもくわしく分析され、冷静に歴史をふりかえろうとする姿勢が見られる。抵抗については、戦争博物館や晩晴園では、もっぱら華僑の抵抗が描かれているが、この五〇周年にあたっては、シンガポール防衛戦でのマレー人部隊の勇敢な戦いぶりも賞賛され、マレー人も中国人もともにシンガポールの防衛のために奮闘したという点が強調されている印象をうけた。日本軍の占領を経て、自らの安全と独立は自らの手で守らなければならないことが歴史の教訓として導かれ、抗日の体験をシンガポール人としてのアイデンティティの育成に結びつけようとしている。この小さな島にたくさんの戦争関係の施設があることは、戦争の傷痕が深かっただけでなく、多民族国家シンガポールの現在と未来にとっても、アジア太平洋戦争が大きな意味を持っていることを示している。