戦争被害ー日本・アジア・世界

   『戦後史大辞典』(三省堂、1991年)の中の一項目

林 博史


辞典に書いた一項目です。第二次世界大戦における死者数などについてコンパクトにまとめたものです。短い文章ですが、重たい内容です。  2000.2.8


 一九三七年七月以降、八年余りの戦争での日本人の死者は、約三一〇万人にのぼる。このうち軍人・軍属は約二三〇万人(うち海外二一〇万人)、民間人約八〇万人(同三〇万人)である。

軍人・軍属

 軍人・軍属の死者を地域ごとに見ると、一番多いのが、フィリピン約五〇万人、ついで中国本土約四六万人となっている。ほかに中部太平洋二五万人、ビルマ一六万人、ニューギニア一三万人、沖縄九万四千人などであり、インパール作戦などの人命を無視した無謀な作戦やフィリピン・沖縄のように戦局の展望がなくなった後の捨て石作戦の中で多くの犠牲者が出たことがわかる。また補給が軽視されたために多くの餓死者を出したことも特徴である。

民間人

 民間人については、東京大空襲約一〇万人、原爆により広島約一四万人(±一万人)、長崎約七万人(±一万人)など約一五〇の都市が空襲をうけ、それらの犠牲者は、約五〇万人にのぼると見られている。民間人の海外での死者(沖縄を含む)は約三〇万人とされているが、沖縄戦では約九万四千人とされている数字が実際には三〜四万人上回ると見られていることなどから考えると民間人の犠牲者は八〇万を大幅に上回ると見られる。
 なお今日にいたるまで、民間人の犠牲者についての政府による調査は行われていない。 民間人の犠牲者も四五年に集中している。しかも沖縄やサイパンでのように日本軍の手によって殺された人も少なくないし、旧満州でのように日本軍に見捨てられたことが犠牲を大きくしたことも特徴である。

物的被害

 物的被害についてみると、日本の国富の約四分の一が失われ、その額は一九四七年度の国民総生産の一・三倍にあたる。建物の被害は二三〇万戸を越え、特に一般住宅の被害が大きく、罹災者は九百万とも千五百万人ともいわれている。都市は焦土と化し、国民は飢餓状態に落とされた。

アジア諸国

 日本の被害をはるかに上回るのが、日本がアジア諸国に与えた被害である。各国の死者はいずれも不正確な数字しかないが、中国千数百万人、フィリピン約一一〇万人、インドシナ二百万人、インドネシア二百万人をはじめ、アジア全体では二千万人にのぼると見られている。そのほとんどは民間人であり、南京一〇数万〜二〇万人、シンガポール四〜五万人のように日本軍によって虐殺された人も多い。またインドシナの二百万人は、日本軍が米を徴発する一方で米作から麻などの軍用作物の生産に強制的に転換させた結果、餓死した人の数である。
 二三〇万人の軍人・軍属のなかには朝鮮人と台湾人の約五万人も含まれている。朝鮮人については、戦死者以外に行方不明をあわせると約一五万人にものぼるし、ほかに強制連行による犠牲者は約六万四千人とも言われている。また四万八千人の朝鮮人が被爆しそのうち約三万人が死亡したと見られている。

世界

 第二次世界大戦全体でみると、死者は四千万とも五千万人ともいわれている。ソ連千数百万〜二千万人、ポーランド五〜六百万人などナチスドイツによって徹底的に痛めつけられた東欧・ソ連の被害が圧倒的に大きい。西欧の連合国はアメリカ約三〇万人(太平洋地域で九万人余り)、イギリス連邦約六〇万人などとなっている。ドイツは約四五〇万人(うち民間人約百万人)だが、民間人の半数以上はナチスによって殺された人たちである。                    
 こうして見てみると戦争犠牲者の圧倒的多数は、日本とドイツが侵略した地域に集中していることがわかる。しかもその多くは民間人であった。死者の多くが軍人だった第一次大戦に比べて、民間人の犠牲が軍人と同じかあるいは上回ったことが第二次大戦の新しい特徴である。