神奈川新聞 日本軍「慰安婦」問題 インタビュー

 

「安倍政治を問う〈6〉 荒廃照らす 歴史認識」  2014.12.4

「文書が示す慰安婦実態 河野談話検証姿勢に反論」 2014.6.17

「NHK会長慰安婦発言 反省なき戦後を反映」 2014.2.5 


神奈川新聞のインタビュー記事3点を掲載します。2015.1.20記


安倍政治を問う〈6〉 荒廃照らす 歴史認識 関東学院大林博史教授  『神奈川新聞』2014.12.4


関東学院大林博史教授

 時代が右へ右へと傾けば、右にあったものも真ん中から左へ寄って映るようになる。それにしてもどこまで傾いていくのだろうか、と関東学院大教授の林博史さん(59)は暗然となる。
 「河野洋平があれだけたたかれる。自民党総裁も務めた保守政治家が、だ」
 官房長官時代の1993年、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認め、謝罪した「河野談話」をめぐるバッシング。インターネット上では「サヨク」「極左」の文字さえ躍る。
 談話を継承するとしながら、その検証に着手した安倍晋三政権。第1次政権でも「強制連行を直接示す文書は見つかっていない」とする閣議決定を行い、慰安婦問題を矮小(わいしょう)化し、過去を正当化しようとする姿勢は一貫する。慰安婦研究の第一人者である林さんの目にはこう映る。
 「欧州では戦争犯罪を否定すれば極右と批判される。人権さえ否定しているという点では欧州の極右政党よりも右に位置しているともいえる。彼らでも人権までは否定しない」
 慰安所で軍人の性の相手をさせられたことに目を向けず、強制的に連れ去られたか否かを問題にする。結果、慰安婦が受けた性暴力は肯定され、人権は踏みにじられると考える。
 そして、タガは外れたかのようだとも感じている。
 韓国・済州島で朝鮮人女性を強制連行したとする「吉田証言」について朝日新聞が記事を撤回すると、安倍首相は「多くの人々が傷つき悲しみ、苦しみ、怒りを覚え、日本のイメージは大きく傷ついた。『日本が国ぐるみで性奴隷にした』との、いわれなき中傷がいま世界で行われている」と述べた。
 国際社会の批判を「いわれなき中傷」と言い切った。「河野談話を継承するというごまかしさえ捨て去り、慰安婦制度にいおて日本は悪くなかったと全面的に正当化しようとしている」。その見方は、海外から向けられる視線にも重なってもいた。

■時代に逆行
 フランスで開かれたシンポジウム。報告に立った林さんにパリ大の日本研究者は言ったという。「欧米でいま問題とみなされているのはロシアのプーチンと日本の安倍だ」
 国際社会でなぜ慰安婦が問題にされ、日本の姿勢が批判されているのかを知るべきだと林さんは訴える。
 「欧米先進国、つまり、かつての帝国主義国で植民地支配の責任が見直されようとしている」。背景にあるのがグローバル化の波。「移民も含めて国際化が進み、自国に旧植民地出身者が増えていく。共存していくために共通の価値観、歴史観が求められる。負の過去を解決しなければならないと、葛藤や対立を抱えながら努力が続けられている」
 女性の人権という視点から慰安婦問題への関心も高まる。「現在横行している戦時性暴力や人身取引は、20世紀最大の戦時性暴力で人身取引であった日本の慰安婦制度をきちんと裁いてこなかった結果だという認識がある。女性への人権侵害に歯止めをかけるため、総括と反省が求められている」
 安倍政権の姿勢はそうした潮流に逆行する。「欧米からみれば、過去の克服や人権への試みをすべてひっくり返そうとしているように映る。吉田証言によってうそが世界中に広まったという類いの話ではない」
 歴史学者として林さんは残念がる。「植民地支配の問い直しや女性の人権問題への関心の高まりがそうであるように、歴史認識の問題とは現状認識と未来をどうつくるかという問題だ。そうした認識が日本にはない。だから慰安婦問題も、韓国や中国がいつまでも批判しているから収まらないのだ、という程度にしか受け取られていない」
 慰安婦をめぐる強制連行じゃないから、当時は公娼(こうしょう)制度があったのだから構わないといった言説は、買春問題など女性の人権への日本社会の鈍感さを映し出してもいる。

■差別を反映
 慰安婦を正当化する。それは元慰安婦の女性をうそつき呼ばわりし、補償の金目当てだとさげすんでいるのと同じではないか。林さんは立ち止まる。
 「あしざまに被害者を罵倒するようなことを社会はなぜ受け入れてしまうのか。そういうことをする人はいつの時代、どこの社会にもいるだろう。だが、相手にされないのが普通ではないか。それが、相手にされないどころか政治家になり、支持されている。その頂点に安倍首相がいる。慰安婦についての知識などなくても、おかしいという感性があってほしい。これは人間性の問題だ」
 経済学部の学生を前に教壇に立つ。うつむく顔々が気になる。「将来の見通しに明るい希望がない。だから過去に日本の良いものを求めざるを得ないのだ」
 そこに重なる中国、韓国への差別意識。「中国に経済で抜かれ、韓国には電化製品で抜かれた。見下していたものに抜かれたという屈折した感情だ」
 やはり考え込む。「いまの日本社会で人権を守ろうと口にするむなしさはどうだろう。会社はそろってブラック企業。従わなければ首を切られ、非正規に置き換えられる。現実はこんなものだという諦めがある。だから買春があっても仕方がない。せいぜいかわいそうと思う程度。戦争なのだから慰安婦は必要だ、ことさら問題にすべきじゃないと堂々と語られる背景がここにある」
 現実は確かにそうだ。でも、それではよくない。皆が幸せに暮らせる社会をつくっていこうと語るのが政治家ではないのか。アベノミクスも誰もが共存し得る未来を照らし出してはいない。
 安倍首相は、それ以上のことを語ろうとはしない。「過去を正当化することでしか日本の誇りは得られないのか。過去の過ちを認め、反省し、克服することは誇れることだと思うのだが」

 

「文書が示す慰安婦実態 河野談話検証姿勢に反論−関東学院大・林博史教授」(神奈川新聞 2014.06.17)



 旧日本軍の従軍慰安婦制度で軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話をめぐり、政府は近く談話の作成過程の検証結果を国会に報告する。内容は見直さないが経緯は調べ直す−。政府の姿勢は、慰安婦の調査研究を続ける林博史・関東学院大学教授の目にこう映る。「『談話には根拠がない』との印象を植え付けようとしている」。その先に過去の歴史を正当化したい本音を見て、掘り起こしてきた公文書を手に反論する。

■強制とは何か
 談話見直しに意欲を示していたのは安倍晋三首相だ。2012年9月の自民党総裁選で「談話の核心をなす強制連行を事実上証明する資料はなかった。新たな談話を出すべきではないか」と主張。今年3月の国会で「安倍内閣で見直す考えはない」と軌道修正したものの、主張自体は撤回していない。
 林教授は首をひねる。「どう連れてきたかが、なぜ『核心』になるのか」
 例えば、北朝鮮による拉致事件。神戸市の飲食店従業員は甘言で海外へ誘い出された後、拉致被害に遭ったと政府に認定された。
 林教授は「無理やり連れていったわけではないから拉致ではないとはならない。だまして連れていくのも問題だし、監禁したり、逃げられなくしたりすれば、それは強制だ。問題の本質は連れてくる際にあるのではなく、その先でどう扱われたかにある」と強調する。
 では、連れていかれた先での状況はどうだったのか。林教授は元慰安婦の女性が起こした裁判の資料を指し示す。
 〈原告がいやになって逃げようとすると(中略)捕まえられて連れ戻され、殴るけるなどの制裁を加えられた〉(1999年10月、東京地裁判決)
 〈解放の時まで約8年間、毎日朝9時から、平日は8、9人、日曜日は17、18人の軍人が、小屋の中で同女を強姦(ごうかん)し続けた〉(98年4月、山口地裁下関支部判決)
 林教授は「軍の管理規則からも慰安所の生活が強制的だったと説明できる。外出の自由がない。制限されている。多くが、そうした中で性行為を強要されていた」と断言する。

■軍の深い関与
 資料は談話発表後も見つかっている=一部を別掲。軍の深い関与を示すのが「野戦酒保規程改正」(1937年、防衛省所蔵)だ。陸軍の後方支援業務として日用品や飲食物の販売について記述し、こう続く。
 〈野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得〉
 「軍の中央が慰安所を造らせ、各部隊が管理規定を設けていたのは分かっていた。軍中央自身が規定を設けていたことを示すこの資料により、軍全体としての公式施設だったことが明確に裏付けられた」と林教授。
 女性集めは慰安所の運営業者が担っていたことをもって軍の責任を否定する声もあるが、「軍の施設として造り、軍が管理運営を委託している。業者がやったことなので関係ないという言い訳は通用しない。軍の資料を基に業者が人集めをしていたことを示す公文書も残されている」。
 林教授は「大前提として」と続け、「たとえ自らの意思であったとしても、女性に兵士の性の相手をさせる施設を国家組織が造ること自体が許されない」と指摘する。
 当時でも20を超える県議会で公娼(こうしょう)制度を廃止する決議がなされ、女性をだまして上海の海軍指定慰安所に連れていこうとして国外移送誘拐罪、国外移送罪が適用されたケースもあった。

■人権意識欠如
 安倍首相に代表されるように、女性が連れてこられた場面に焦点が当てられるのはなぜか。
 林教授は「違法である以上、女性を無理やり連れてきたという文書は残りにくい。慰安婦を正当化したい人は、それを好都合だと思っているのではないか」と指摘する。
 もっとも、強制連行を示す文書はインドネシアでの「スマラン事件」の裁判記録などに残り、証言も数多い。
 連合国によるBC級戦犯裁判でのバリ島の慰安所管理者の尋問調書は記す。
 〈強制されて女性たちが慰安所に連れて来られました。(中略)彼女たちはAによって1人ずつ車から引きずり出されたので、服は引き裂かれていたほどでした〉
 被害者自身による証言を検証してきた林教授は「細部に思い違いがあるかもしれないが、無理やり連れてこられたという核心の体験は信用できる。複数の同様の証言に資料や当時の社会状況を照らし合わせ、事実と考える。文書がなくとも裁判で犯罪が立証されるのと同じで、当たり前の事実認定の仕方。そもそも慰安婦であったことを名乗り出ること自体、勇気のいることだ」と話す。
 それでもなお、「慰安婦などではなく、売春婦による商行為だった」という声は絶えない。
 林教授は問う。「お金をもらっていれば、犯罪が犯罪でなくなるのか」。そこに浮かび上がる人権意識の欠如とゆがんだ国家観。「買春や人身売買への認識の甘さ、日本国家は間違っていないという考えへの固執から、被害者の痛みに心を寄せず、うそつきと呼び、セカンド・レイプ、サード・レイプを繰り返している。決して終わった問題ではない」
 河野談話はこう結ぶ。
 〈われわれは歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという決意を改めて表明する〉
 談話発表から20年余、「慰安婦」の記述が教科書から消え、メディアが正面から取り上げることが減り、久しい。その精神はすでにして失われ、だから「検証」は可能になったのかもしれなかった。


 【河野談話の発表後に見つかった慰安婦関連の資料の一部と国内裁判の判決】

■インドネシア・バタビア25号事件についての連合国によるBC級戦犯裁判
 組織的暴虐により懲役12年となったバリ島海軍第三警備隊特別警察隊長(A)への法務省スタッフによる聞き取り=1962年、国立公文書館所蔵

 「私の一番恐れていた事件は、慰安所事件であった。これは慰安婦の中には、スラバヤから蘭軍下士官の妻君5人の外、現地人70人位をバリ島に連れて来た件である。(略)この外にも、戦中の前後約4カ年間に200人位の婦女を慰安婦として、奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ。私は終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に効を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は1件も訴え出なかった」

 隊長Aに対する慰安所管理者の尋問調書=46年、同
 「Aによって、強制されて女性たちが慰安所に連れて来られました。彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした。彼女たちは10人でした。彼女たちはAによって1人ずつ車から引きずり出されたので、服は引き裂かれていたほどでした。それ以降、彼女たちはこの家を離れることを許されず、おおむね監禁状態におかれていました」

 
■インドネシア・ポンチャナック13号事件についての連合国によるBC級戦犯裁判
 強制売春などに問われた海軍大尉ら13人の判決文=48年1月、同
 「多数の婦女が乱暴な手段にて脅迫され強制させられた」

■南京12号事件の連合国によるBC級戦犯裁判
 強姦や婦女誘拐などに問われた陸軍中将の起訴状=46年12月、同
 「娘を暴力をもって捜し出し肉体的慰安の具に供した」

■元慰安婦の在日韓国人女性が国に謝罪と補償を求めた東京地裁の判決=99年10月
 「(原告は)泣いて抗ったが、軍医による性病検査を受けさせられ、営業許可後は、意に沿わないまま従軍慰安婦として日本軍人の性行為の相手をさせられた。原告がいやになって逃げようとすると、そのたびに慰安所の帳場担当者らに捕まえられて連れ戻され、殴るけるなどの制裁を加えられたため、原告は否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった」

■元慰安婦の韓国人女性が国に補償を求めた東京高裁の判決=2003年7月
 「控訴人は(略)数え17歳の春、10人位の日本人の軍人に、手足をつかまえて捕えられ、トラックと汽車を乗り継がされ、オオテサンの部隊の慰安所に連れて行かれた。慰安所では性行為を強要され続けた」

■元慰安婦の中国人女性が国に損害賠償を求めた東京高裁の判決=04年12月
 「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった」

 

「NHK会長慰安婦発言 反省なき戦後を反映」 『神奈川新聞』2014.2.4



◆反省なき戦後を反映

 旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、NHKの籾井勝人会長が「戦争をしているどこの国にもあった」と発言した。就任会見で語られた発言は根拠が不明確な上、慰安婦の実態や人権への基本的な認識を欠いているという点においても公共放送のトップとしての資質が問われるものだ。慰安婦問題に詳しい、関東学院大の林博史教授に発言を検証してもらった。

(1)「戦争をしているどこの国にもあった」
 慰安婦制度の実態について公文書や資料、証言などを基に調査研究を続ける林教授は言い切る。「第2次大戦中に限れば、慰安婦制度があったのは日本とドイツだけだ」
 林教授らが慰安婦問題の理解のためインターネット上に開設したサイトでは、日本軍慰安婦制度の特徴として計画の立案、女性集めと輸送、慰安所の管理などすべてが軍の管理下に置かれ、時には軍が直接実施している点を列挙。こうしたケースはナチス・ドイツの例を除いてあり得ないとしている。
 それがなぜ、「どこの国にもあった」ことになるのか。
 「一般の売春と同じものだと意識的にねじ曲げて理解し、一般の売春であればどこの国にでもあると考える。そういう理屈なのだろう」
 林教授がそう指摘する思考の回路は籾井氏の発言内容からもうかがえる。
 籾井氏はドイツのほか、フランスを挙げた上で「ヨーロッパにはどこだってあった」と発言。「なぜオランダに今も(売春街を示す)飾り窓があるんですか」とも述べている。
 「慰安婦制度は軍が組織的に女性を集め、公然と管理・運営したもの。日本軍の場合は海外への輸送まで軍の船やトラックを使った。そういう意味で一般の売春とは明確に区別しなくてはいけない」
 第2次大戦後では、朝鮮戦争で韓国軍にも慰安婦制度があったとされるが、「当時の韓国軍の幹部は多くが旧日本軍の一員だった。つまり日本軍が残したあしき遺産を踏襲したものだった」
 籾井氏は記者から発言内容の根拠を問われ、「なかったという証拠もない」と反論した。林教授は「同じような制度がほかの国にもあったというならば証拠を示すべきだ」と指摘する。

(2)「今のモラルでは悪い」
 戦前の日本には公娼制度があった。特定の業者と女性たちが売春業を営むことを公認し、警察に登録させるものだ。
 「この制度が存在していたのだから、慰安婦制度もその延長にすぎず、当時はあって当たり前だったと主張する人もいる。だが、実際はそうではない」
 20世紀に入り、公娼制への反対運動は急速に高まった。全国の県議会で「事実上の奴隷制度」との批判が相次ぎ、廃止決議が出された。1930年代には国際連盟も問題視し、日本政府は公娼廃止に乗り出した。
 「公娼制は当時のモラルで考えてもおかしい制度で、廃止に向かっていた。その動きに逆らって導入されたのが慰安婦制度だ。その制度を軍が組織した。当時も決して当たり前だったわけではない」
 98年には国連人権小委員会で採択されたマクドゥーガル報告書が「慰安婦が自由を奪われた事実上の奴隷で、奴隷制は当時も国際法に違反した」と指摘。戦後の日本政府も損害賠償の責任を負っているとしている。
 また、当時から海外に連れていくために人身売買やだまして連行することは国外移送目的誘拐罪に当たった。実際に軍から女性を集めるよう依頼を受けた業者が警察に逮捕されるケースも存在したという。

(3)「日本だけが強制連行をした」
 林教授は誘拐事件を例に挙げて説く。「誘拐事件で問題となるのは連れ去った先での監禁行為だ。暴力的に連れ去ったか、言葉でだまして連れ去ったかは問題ではない」。同じことは慰安婦問題でも言うことができる。
 前出のサイトでは、女性たちがどのように連行されたかについての証言を紹介している。「無理やり日本軍人にトラックに乗せられた」といったものから「日本の工場に入れてあげる」「勉強ができてお金がもうかるところに連れていってやる」とだまされたケースまでさまざまだ。
 林教授は「慰安所に女性を連れて行き、働かせたことが一番の問題だと捉えるべきで、強制連行を論点にすること自体が誤っている」と話す。サイトでは「慰安婦問題の本質は何か?」と題し、強制連行の有無を問題にすることを「論点のすり替えであり、重大な問題から人々の関心をそらそうとするもの」と指摘している。
 では、ためらいなく発せられた籾井氏発言の背景にあるものは何か。
 「一番の問題は日本の戦争責任の取り方。戦争への反省が十分されていないところにある」
 それは、旧日本軍の関与や強制性を認めた河野洋平官房長官談話を見直そうとする政治家の動向や、中学校の教科書から従軍慰安婦の記述が消えたこと、あるいは在日コリアンへの差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)が街中で横行していることともつながっていると、林教授はみる。

 「過去と向き合いきちんと反省していれば、社会の基盤となるような価値観が共有されていたはずだ。その価値観とは自由であり、民主主義であり、基本的人権の尊重でもある。それを踏みにじることは政治的立場を問わず、許されない。つまり、日本社会のありようにかかわる問題だ」