『安保破棄』(安保破棄中央実行委員会)第374号、2012年6月15日

『米軍基地の歴史』を著した林博史さんに聞く


運動団体の機関紙のインタビュー記事です。2012.8.12記


−今年はじめに『米軍基地の歴史』を出版されましたが、この著作にこめられた思いを聞かせてください。

いま、日本にこれだけの米軍基地があること、あるいは日米安保条約についても過半数の国民が認めてしまっています。内容がわかって支持しているとは思わないけれども、現状のままで良いという国民が多数です。
 また、マスメディアが翼賛体制のようになっている。学生と話をしても、「米軍は日本を守ってくれている」と素直に思い込んでしまっている。こういう「常識」をひっくり返すような仕事をやらなければと感じていました。
 私はこれまで、日本の戦争責任の問題などにとりくんできましたが、この分野の事実はかなり解明されてきたといえます。ひきつづきこの問題にとりくみながら、基地の問題について発言しなければいけないと感じていました。  

アメリカにとって日本は駒の一つ  

日本の視点から見ると日米関係は重要で、アメリカとの関係をよくするために基地も受け入れる、安保条約も必要だ、という話になってしまうわけですが、アメリカにとっては自国が一番大事で、日本は多くの駒の一つにすぎず、王将(米)を守るためにはいつでも捨て駒にするつもりです。日本の周辺で戦争をやっているかぎりは米本国は大丈夫たという冷徹な軍事戦略があります。

これまで日本の研究は「日米関係」の視点だけにとどまっているので、英語の文献を調べたのです。驚いたのは、世界の米軍基地に関する英語の文献は、本も論文も膨大にあるということです。それを読みながら、なるほど彼らはそういう観点で考えているのか、ということがよくわかった。そういう英語の文献はほとんど日本語に翻訳されていない。
 そういう文献は、必ずしも米軍基地を批判しているわけでなく、肯定しているものも多いわけですが、基地を維持するうえでの弱み、どういう問題に一番困るのかがわかります。
 本の「あとがき」で、「ワシントンからの視点で世界を見る」と書きましたが、彼らのグローバルな視点の中に日本や沖縄がどう位置づけられているのかを考えてみました。彼らは、アメリカの支配者の視点で見ていますから、それを、基地を置かれた側の民衆の視点でとらえなおすことをやろうとしたわけです。
 研究者は、ほかの人がやっていないことをやらなければならない。そういう意味では、今までとは違った観点で問題提起ができたのではないかと思っています。

 

−米軍基地問題の研究を始めたきっかけは

もともと、日本の戦争犯罪に対する調査をやっていて、「慰安婦」問題から米軍の性問題への対応を調べ、いくつか論文を書きました。米軍と性との問題については19世紀から調べましたが、それは米軍が世界に展開していく過程であり、たんに性とのかかわりだけではなくて、米軍が世界に基地を展開していくプロセスが興味深かったので、ここ45年は基地について調べています。2001年以来、夏は毎年アメリカに行っていますし、夏以外にも行っています。まだ読んでいない資料も集めるべき資料も膨大にあります。  

アメリカのアジア政策は「分断統治」

 −今度の本では、日本の戦後史において、アメリカが天皇や戦犯を免罪したことの意味や、日本の戦争責任問題とアジアでの米軍基地ネットワーク形成の関係なども明らかにされていますね。

いまもそうですが、アメリカの東アジア政策は「分断統治」です。東アジア各国を分断して、協力できないようにしておいて、アメリカが取り仕切っていく。それがずっと続いており、今でもそうだと思います。それの大きな要因は、日本の戦争責任の問題で、そこをあいまいにすることによって周辺諸国の日本に対する不信感を残し、かつそれを利用する。

日本政府は、そのことにいい気になって、戦争責任をとらない。すると、周辺諸国との関係はいつもギクシャクする。尖閣諸島や竹島、千島などの領土問題でも、日本と周辺諸国の関係をギクシャクさせようとするアメリカの政策の中でおこなわれたものです。日本がアメリカから自立するためには、アジア諸国との関係改善が不可欠です。
 ですから、在日米軍基地をなくしてアメリカから自立するという課題は、同時に、日本が戦争責任や植民地に対する責任をきちんと果たして周辺諸国との信頼関係をつくるという中でしかできない。
 私の問題意識の中では、戦争責任問題の解決と、基地の撤去
=アメリカからの自立というのは同時やらなければならない課題であるわけです。
 その意味では、戦争責任問題を研究してきた私が、基地問題について発言する意味はあると考えています。

 

沖縄の基地撤去こそ日本の緊急課題

 −沖縄をはじめとする米軍基地を撤去することの意味についてどう考えておられますか。

 沖縄戦にみられるように戦中から沖縄に犠牲が押し付けられ、戦後はアメリカ軍統治、そして、 日本復帰後も基地負担が押し付けられてきた。このように、日本本土が沖縄を犠牲にしてきた歴史があり、そのことをきちんと反省して、沖縄の犠牲を和らげるようなことをやるべきです。その最大のものは基地の撤去だと思います。
 
1950年代、さらに1970年代に本土の在日米軍基地は大幅に縮小されましたが、いずれも沖縄に犠牲を押し付ける形になっている。
 最後に在日米軍基地の大幅な縮小がおこなわれたのは
1970年代ですが、基地を減らしたことを知らない世代が多くなっています。いま、“がんばれば基地は減らせる”という実績をつくる必要がある。沖縄に犠牲を押し付けることなく基地の縮小を実現しなければならない。
 ここ
10年ぐらい、戦後史の中でもみられないぐらい日本のアメリカ従属がとくにひどくなっています。この状況を逆転して安保条約をなくしていくためにも、具体的に基地を撤去させていくことが大事です。そして、それは可能だと思います。
 学生たちにその話をすると、
そんなの無理 とか、アメリカににらまれてしまうと言います。
 しかし、世界には、米軍基地を撤去、縮小した経験はたくさんある。日本よりはるかに小さな国々がそれをやっているわけで、こんどの本で私は、やろうとすればできるという客観的証拠を提示してみました。