沖縄本ナビゲーション   『沖縄タイムス』2010年6月22日

「集団自決」              林博史  


 「集団自決」問題についての本の紹介です。現在、入手可能なものを中心に挙げてほしいとのことで、購入可能なものを中心に挙げました。『沖縄タイムス』では私が書いた日の前後にも沖縄戦関係の文献紹介がいくつか掲載されており、参考になります。 2010.7.17記


集団自決を学ぶための10冊

『沖縄戦と民衆』林博史(大月書店、2001年)

『沖縄戦 強制された「集団自決」』林博史(吉川弘文館、2009年)

『新版 母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』宮城晴美高文研、2008年

『証言 沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか』謝花直美(岩波新書、2008年)

『挑まれる沖縄戦―「集団自決」・教科書検定問題 報道総集』沖縄タイムス社(沖縄タイムス社、2008年)

『沖縄戦の真実と歪曲』大城将保(高文研、2007年)

『チビチリガマの集団自決―「神の国」の果てに』下嶋哲朗(凱風社、2000年)

『「集団自決」を心に刻んで』金城重明(高文研、1995年)

『裁かれた沖縄戦』安仁屋政昭(晩聲社、1989年)

『証言 沖縄戦の日本兵』國森康弘(岩波書店、2008年)

   

沖縄戦における「集団自決」については、沖縄タイムス社編『沖縄戦記 鉄の暴風』や『沖縄県史』第十巻などによって知られていたが、この問題についての研究が始まるのは一九八二−三年の教科書検定問題からだった。

家永三郎氏による第三次教科書訴訟を契機に研究が進み、「集団自決」が日本軍の強制によるものであることが明確にされた。その成果は裁判の記録である『裁かれた沖縄戦』に示されている。その訴訟でも証人として立った金城重明氏の体験をまとめた『「集団自決」を心に刻んで』は貴重な証言である。ちょうど八〇年代前半に読谷村チビチリガマでの「集団自決」の事実が掘り起こされたが、『チビチリガマの集団自決』が最もまとまったものである。八〇年代末には『渡嘉敷村史』『座間味村史』が刊行され、慶良間列島での事態がかなりよくわかるようになった。

その後、地域社会の構造に着目して階層による人々の意識の違いを分析し、さらに「集団自決」が起きなかった島や地域と比較し、皇民化教育の影響は限定的であり、日本軍の強制と誘導こそが決定的であるという主張が『沖縄戦と民衆』においてなされた。またジェンダーの視点からていねいな聞き取りを重ねて、島全体が戦争に動員されていく仕組みを分析し、特に性暴力への恐怖が住民を死においやった要因として重要であることを指摘した『母の遺したもの』(旧版)も出された。

だがこれらの新しい研究が、教科書検定で悪用されることになる。二〇〇七年三月に発表された高校日本史の教科書検定において、文部科学省は隊長の自決命令はなかったのだから日本軍の強制はなかったという詭弁で、そうした叙述を削除させた。

これに対する沖縄県民の怒りと抗議に対して、文科省は日本軍の関与は認めたが、依然として日本軍の強制を書くことは認めておらず、問題は解決していない。歴史の事実を隠蔽・歪曲する文科省に対して憤り、それまで沈黙を守ってきた体験者が次々に証言をはじめた。沖縄の各メディアがそうした証言を次々に紹介したが、その先頭に立ってたたかったジャーナリストの成果が『証言 沖縄「集団自決」』であり、新聞報道をまとめた『挑まれる沖縄戦』だった。またフリー・ジャーナリストの國森康弘氏による『証言 沖縄戦の日本兵』はこれまで手薄だった日本兵の証言を集めた労作である。

研究者によるものとしては、自身の発言を捏造された大城将保氏による反論『沖縄戦の真実と歪曲』が出され、同じく著書を悪用された宮城晴美氏は、再度、調査を重ねて『新版 母の遺したもの』を発表し、日本軍が座間味の人々を死に追い込んでいった仕組みと経過を詳細に明らかにした。

こうした沖縄での体験者の証言、調査研究の進展を受けて、それらの成果をまとめるとともに、沖縄の人々を死に追い込んでいった日本軍・政府の意図と施策、沖縄の地域社会の支配構造を分析したのが、『沖縄戦 強制された「集団自決」』である。たとえば、同書では住民にも死を強いるために、米軍への恐怖心を煽ることが閣議決定された政府の方針であったことも明らかにされている。

二〇〇七年以来の調査研究の進展によって「集団自決」についての解明は大きく進んだ。隊長命令が重要なポイントではなく、日本軍が強制と誘導によって住民に死を強いていったことが一層明確になった。もちろん細部についてはもっと詰めなければならない点もあるが、地域社会の構造とその中での人々の意識と行動を丁寧に読み解き、かつ沖縄だけでなく日本軍が関わった他地域の状況も視野に入れた研究が求められる。

また「集団自決」という呼称についての議論もあるが、ある用語を使うだけで非難するのではなく、具体的な分析を通じて建設的な議論をおこなう必要があるだろう。