『沖縄タイムス』2010年4月20日

「集団自決」強制 米も認識 / 米公文書「自殺協定」

                         林 博史 


『沖縄タイムス』2010年4月14日付で報道された米軍電報の記事についての解説です。この資料は、沖縄県公文書館のスタッフが見つけたものです。なお記事では、翻訳が正確ではなかったので訂正記事が出ていますが、ここでは正確な訳になっています。 2010.4.25記


 県公文書館が米国立公文書館から収集した資料の中から慶良間の「集団自決」(集団強制死)についての叙述が見つかった。それは1945年4月8日に沖縄作戦を担当した第10軍司令部から海軍省を含む上級司令部に発した電報である。

 本島上陸後6日間に3万人の民間人を収容して運営が順調に進んでいることなどに触れた後、「慶良間列島において、約350人の住民が軍政府の管理下に置かれ、病人を除く全員が一村に収容されている。その他、(いくつかの)壕にいて、一緒にいる日本兵から投降することを禁じられている住民が約200人いるもよう。米軍上陸前の自殺協定(約束)により約20人が死亡、60人がのどに切り傷をおった。重傷者もいるが、多くは回復する見込み」と報告されている。

 本紙でも報道された(2006年)が、慶良間列島の占領作戦を担当した部隊の報告書で「集団自決」にかかわることが繰り返し報告されている。例えば慶留間島に3月26日、上陸した部隊の日誌に午後5時「幾人かの民間人は自決した」と「集団自決」を記録、「彼らは、米軍が彼らの妻や娘たちをもてあそび、男たちに拷問を加えることを恐れていた」と恐怖心が刷り込まれていたことを記している。

 4月1日付の報告では、「集団自決」から生き延びた人たちを治療していることに関して、「そうした行為は、日本の宣伝、つまり米軍は殺人者であり、男たちは殺し女は強かんすると教え込んでいた宣伝に従ったものであることがすぐに分かった」と報告されている。翌2日の報告では「日本兵から、米軍が上陸してきた時には、家族を殺せと諭されていたという」と報告され、3日には「尋問された民間人たちは、3月21日に、(複数の)日本兵が、慶留間の島民に対して、山中に隠れ、米軍が上陸してきた時には自決せよと命じたとくりかえし語っている」と報告されている。

 冒頭で紹介した「自殺協定(約束)」という訳語の原文はSUICIDE PACTである。PACTというのは政府間の協定などを意味する言葉であるが、慶良間の米軍からの多数の報告をふまえて、民間人であっても「自決」をするように強く拘束・強制されていた状況を、第10軍司令部のスタッフがこの言葉を使って表現したのではないか。しかも、短い電文の中でわざわざこの問題に触れていることは、この出来事の大きさを、米軍が認識していたことの表れだろう。

 住民たちが日本軍によって「集団自決」を強制されていたことを、当時の米軍も十分に認識していたことを示す文書である。