『本郷』NO.82  2009年7月(吉川弘文館) 

「捨て駒」を操る者たち―「集団自決」に追い込んだもの

                      林 博史  


『沖縄戦 強制された「集団自決」』の刊行にあわせて、執筆した短い文です。本を書くにあたって、背景にあった問題意識というか、そういうものを書いています。 2009.6.30記


 二〇〇七年三月末に発表された文部科学省による高校日本史の教科書検定の内容が、沖縄全土に強い憤りを生み出し、全県ぐるみの抗議運動がおこなわれたことは記憶に新しい。沖縄戦において日本軍が住民に「集団自決」を強制した旨の記述を削除させるという検定をおこなった文科省は、字句上で若干の譲歩はしたものの検定意見を変えることは拒否し、日本軍の強制の記述はあくまでも認めない態度を取り続けている。本土ではこの問題が解決したかのような報道が一部ではされたが、依然として解決されないままになっていることを強調しておかなければならない。

教科書執筆者に検定意見を通告する際に教科書調査官は、「最新の成果といっていい林博史先生の『沖縄戦と民衆』を見ても、軍の命令があったというような記述はない」などと私の著書『沖縄戦と民衆』(大月書店、二〇〇一年)を挙げ、日本軍による強制の叙述を削除せよと指示したようである。

 私は著書の中で「集団自決」について「日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える」とし、渡嘉敷島では「軍が手榴弾を事前に与え、「自決」を命じていたこと」を指摘、座間味島でも日本兵があらかじめ島民にいざという場合には自決するように言って手榴弾を配布した証言を紹介している。「集団自決」がなされるにあたって「軍からの明示の自決命令はなかったが」というように、同書執筆時点で確認できた証言などから、いま自決せよという形の命令は出されていなかったと思われたのでそのような記述をした。この点の認識は今も変っていない。

しかし、私の著書では、あらかじめ自決するように手榴弾が配布されていたこと、捕虜になることは恥だと教育されていたこと、米軍に捕まるとひどい目にあわされて殺されると叩き込まれていたこと、住民が「自決」を決意したきっかけが「軍命令」であったことなども指摘し、さらに日本軍がいなかった島々では米軍が上陸しても「集団自決」がおきていないことを検証し、結論として「いずれも日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たしており」「日本軍の存在が決定的な役割を果たしている」、「『集団自決』は文字通りの『自決』ではなく、日本軍による強制と誘導によるものであることは、「集団自決」が起こらなかったところと比較したとき、いっそう明確になる」と断言しているのである。

従来の教科書の叙述でも、日本軍の命令によって「集団自決」がおこなわれたと書かれているものはなく、日本軍によって強制された、強いられた、あるいは追い込まれたという趣旨で書かれている。これは私の著書の結論とまったく同じ認識である。したがって私の著書を根拠にすれば、従来の教科書記述は最近の研究成果をきちんと踏まえたものだという結論にしかならないはずである。

しかし文科省は、私の著書の全体の文脈を無視して、ある語句だけを取ってきて、「根拠」にしたとしか言いようがない。検定意見の根拠にできる研究がないので、こういう詐欺としか言いようのない手法を取ったのであろう。

この間、沖縄では新しい証言が次々に出てきて、慶良間列島での実相がこれまでよりもずっとわかるようになってきた。しかし、なぜ「集団自決」がおきたのか、という点については、日本軍の強制によるものということは一層はっきりしてきたとはいえ、座間味についての宮城晴美さんの研究を除くと、より深めた分析がなされてきたとは言えないように思われる。文科省が「集団自決」を命じた軍命はなかったと言ったことや、軍命を否定することで旧日本軍の名誉回復を図ろうとする訴訟がおこされたこともあって、“「軍命」による「集団自決」”ということが強調されるようになった。そのように主張する沖縄の人々の怒りは理解できるのだが、その点だけが強調されると、「集団自決」に追い込まれた原因と構造が単純化されすぎて、いろいろな重要な側面が落ちてしまう。それどころか、「軍命」があったと認めるかどうかが、敵味方を区別するリトマス紙であるかのようにする傾向まで生まれている。

命令があったからそうなったというのは話としてはわかりやすいが、死ねと言われてハイと言って簡単には死なないだろう。それを当たり前のことのように受け入れる条件が作られていたことが重要な点である。さらに、死ねとわざわざ命令しなくともいざという場合には死ぬように条件づける、あるいはそのように追い込んでいったということこそが問題の核心ではないだろうか。いずれにせよワンフレーズで説明できるようなことではない。

日本軍による強制と誘導であるという明確な結論をあいまいにすることなく、同時に原因と構造を多面的立体的に分析把握することが必要であるだろう。そのことが、今回、『沖縄戦 強制された「集団自決」』を執筆する際に意識したことである。

本書の執筆にあたっていろいろ留意したことがあるが、その一つが中央あるいは東京の問題である。沖縄戦において沖縄は「捨石」にされたとよく指摘されている。私は囲碁をできないので、将棋で例えれば「捨て駒」にされたということである。慶良間の人々もその「捨て駒」だった。

訴訟の原告であるということもあって、慶良間に駐屯していた戦隊長に批判の矛先が向けられる傾向がある。存命の元戦隊長がテレビなどに出てきて、自分を正当化するのだから、それも無理からぬことであるかもしれない。ただ、島の最高指揮官としての戦隊長の責任は小さくないが、戦隊長をはじめ慶良間に送られてきた日本軍将兵も「捨て駒」にすぎなかった。彼らは㋹という特攻艇に乗って米軍艦船に突入するはずだった。慶良間で、あるいは沖縄で日本軍が何をしたのかということはもちろん重要なことなのだが、現地ばかり見ていてもわからないことがある。沖縄の人々や日本軍将兵を「捨て駒」として操っていた者がいるわけで、かれらこそが一番の責任者だろう。
  映画の世界でも、一番の悪党は、上品な紳士の格好をし、汚い仕事は手下にやらせて自分は悪いことには手を染めていないかのように振舞っている。これをほっておいて現場の下手人だけを取り締まっても問題は解決しない。その駒を操っている者、将棋で言えば“棋士”の存在と役割、その姿を浮かび上がらせること、そのことを意識して執筆してみた。くわしくは同書を読んでいただきたいが、「集団自決」を引起した構造を分析するとともに、この背後で操る者を少しは示せたのではないか、と考えている。