arc』 15 2011.10

 原発・基地そして戦争責任

                                         林 博史


『arc』という雑誌に書いた小文です。発行はレイラインという小さいけれど、志のある女性たちが作っている雑誌です。この第15号は、総頁数が160頁、定価が1200円+税です。Amazonで購入できます。
レイラインのウェブサイトはこちらです。 http://leyline-publishing.com/        2011.11.3記


 戦後日本の政治の仕組みを説明するときに政官財複合体という概念がしばしば使われてきた。この間の原発を推進してきた人々、特には3.11の経験を経ても反省もなく原発を推進しようとする人々を見ていると、あらためてこの言葉を思い起こす。より正確には、この3者に学界と報道界を合わせて、政官財学報複合体とでもいうべきものだろう。

 原発は安全だとか安上がりだという宣伝を繰り返し、事故・トラブルをひたすら隠してウソで塗り固めてきた一方で、マスメディアを買収して「安全神話」を広げ、反対派を徹底して排除しながら、不安に思う人々は金で黙らせてきた。何重もの下請け労働者の被曝による健康破壊やピンはねなどについてメディアは無視してきた。民主党政権もこの利権の構造を壊すどころか、その上に乗っかって自民党以上に原発を推進しようとしてきた。

震災後、「がんばれ日本」キャンペーンがなされて、あるいは被災地において略奪や暴力がほとんどなく、被災者が実に秩序だった行動をしていたことなどをとらえて、“日本人はすばらしい”というある種のキャンペーンもなされている。被災者の振る舞いにある種のすばらしさを感じることは否定しないが、ナショナルな枠組みを持ち出し日本はいい国だということで問題をそらそうとする意図も感じる。ナショナリズムは悪党の最後の隠れ場(言い訳)という名言を思い出す。日本の敗戦のときも、侵略戦争を推進した人々の責任を日本国民は追及しきれなかった。その時と同じ問題があるように見える。

 原発を推進してきた構造を見ながら思うことは、米軍基地を押し付けている構造とそっくりだということである。日米両政府は、沖縄の普天間基地を撤去する代わりに辺野古に新しい巨大な海上基地建設を押し付けようとしているが、たとえば、日本の安全のために基地が必要だという説明にしても、米軍が海兵隊の司令部など一部のグアム移転を打ち出した理由を見ると、沖縄は攻撃を受けた際に脆弱なので重要な機能は後方のグアムに置きたいという認識がある。すでに1950年代のアイゼンハワー大統領の時代に、沖縄に米軍基地が集中しすぎており、攻撃に対して脆弱すぎるので分散させるべきだという議論が出され、大統領も賛成していた。米軍が沖縄の基地を使えば当然攻撃を受け破壊されることをアメリカは十分に認識していた。地元の人々にとって危険なものを、金をばらまくことによって受け入れさせてきたのである。ほとんどの全国的なメディアは辺野古に新基地を建設しなければ日米関係が損なわれると、いまだに基地押し付けのキャンペーンをおこなっている。ここでも「安全神話」が利用されている。

 今回の震災も米軍擁護のキャンペーンに利用された。「トモダチ」作戦と称する米軍の行動の実態を見ると、原発テロや事故、あるいは小型核兵器を使用した場合のシミュレーションをおこなっていたと見てよい。米軍自体は福島原発から80キロ圏には入らず、日米共同作戦下で危険な地域には自衛隊を投入しただけだった。日米共同作戦とはこのように自衛隊を利用するのだという形が見える。米軍がこの作戦のために用意した予算は8000万ドル(68億円)であるが、震災で混乱したどさくさの最中の4月に、民主党は自民党や公明党の賛成も得て、今後五年間に1兆円近い思いやり予算を支出することを国会で承認してしまった。68億で1兆を得るという、アメリカにとって実に効率のよい作戦だった。ここでも日本のメディアはひたすら米軍賛美一色だった。

資産価値で見ると、日本は海外で最も米軍基地が集中している国になっている。ドイツなど多くの国で冷戦後、米軍基地は大きく縮小しているのに対して日本ではほとんど減っていないだけでなく、日本の税金数千億円を投じて新基地を建設しようとする不可思議さをなぜメディアは批判しないのだろうか。

日本に原発を導入するようにさせたのはアメリカだったことはよく知られている。この理由として、核兵器のコスト削減などいくつかが指摘されているが、あまり知られていない点として、核兵器の日本への配備との関係がある。米軍基地への反発が強まっていた1950年代後半に基地問題の調査のために日本や沖縄を訪問した元国防次官補のナッシュは、大統領に報告書を提出し、そのなかで、日本で核兵器に対する反発が強いことを危惧し、日本に核兵器の貯蔵を認めさせるための方策の一つとして「核エネルギーの平和利用を促進する」ことを提唱していた。日本の核基地化と原発は出発点から結びついていたと言える。

こうした構造は、侵略戦争を反省せず、アジアの戦争被害者への戦後補償を阻んできた構造ともつながっているように思える。「勝った、勝った」とウソの大本営発表をくりかえして国民を戦争に駆り立て、国内外に多大の犠牲を生み出しながら、国家や軍の指導者たちの多くは―そのほんの一部は東京裁判などで罰せられたが―責任を取ることなく、アメリカにすり寄ることによって戦争責任を免れた。軍と結んで戦争を推進した官僚機構もアメリカによって温存された。

日本国籍の軍人軍属の戦没者の遺族には援護行政によって多額の金をばらまくことでおとなしくさせ、援護の認定は同時に靖国神社への合祀につながり、日本の戦争を正当化しながら、遺族による国家指導者への責任追及を抑え込んできた。他方、アジアの被害者や、空襲などの日本の一般市民の戦没者は援護の対象外として切り捨ててきた。

皇国史観の伝統を汲む旧帝国大学の人脈から教科書調査官を採用して、教科書検定を通じて侵略戦争を正当化しようとしてきた文部省(文科省)は、経済産業省とともに原発を推進してきたし、ウィキリークスが暴露したように、外務省はアメリカと結んで、普天間基地の国外県外を望んだ鳩山首相を妨害、失脚させた。

日本の戦中と戦後の連続性を象徴する人物の一人が岸信介である。彼はA級戦犯容疑者として逮捕されたが、冷戦によるアメリカの政策転換によって釈放されてからはアメリカ当局に自分を売り込み、アメリカの意向を汲んで保守合同を推進し、自ら首相になった。岸内閣の前は鳩山一郎、石橋湛山と対米自立をはかる首相が続いたため、アメリカは日本の行方を危惧していたが、岸政権が登場すると、岸は予見できる将来において日本で得られる「唯一のかけ」だ(ナッシュがダレス国務長官に語った言葉)と判断して岸政権へのテコ入れをはかり、岸の要望に答えて、巣鴨刑務所に服役していた戦犯全員の釈放をおこなって日本の戦争責任問題の解消をはかり、他方、CIAを通じて自民党への資金援助を始めた。このとき岸の弟の佐藤栄作が駐日大使館に来て資金援助を依頼したことがアメリカの資料で明らかになっている。また1960年の安保改定の際に、社会党の分裂工作のために資金を提供し、それを受け取ったブループは分裂して民社党を作った。この民社党を支えた一つが電気産業関係の労働組合であるが、かれらは今日、民主党内にあって原発推進派であることはよく知られている。

裁判官など司法関係者について見ると、連続していた点ではかつての同盟国だったドイツでもそうだったが、ドイツでは1960年代から70年代にかけて、司法関係者の間でナチに協力した裁判官らの責任を追及し、権力による人権侵害から市民を守る立場に立つ裁判所へと大きな転換がなされ、原発建設差し止めなど政府の施策に歯止めをかける判決が数多く生まれるようになった。しかし日本の場合、同じ時期に教科書検定違憲判決など権力の横暴に歯止めをかける判決が続いたが、最高裁など司法官僚の圧力の前に、裁判官の自由が抑圧され権力の立場に立った判決ばかりが下されるような裁判所になってしまった。日本軍「慰安婦」など戦争被害者による戦後補償を求めた訴訟や教育現場での「日の丸君が代」の強制に反対する訴訟は、ことごとく政府寄りの判決によって葬り去られた。原発差し止め訴訟も1970年代以来数多く提起されてきたが、2006年に金沢地裁において、志賀原発2号機の運転停止判決が出たのが唯一であり、それも高裁で逆転し最高裁で確定してしまっている。米軍基地の騒音訴訟などでも、若干の賠償は認めても米軍機の飛行停止は決して認めない。権力に奉仕する裁判所の姿は、天皇の裁判所であった戦前と同じと言っても言い過ぎではない。

日本の政治社会構造について、戦前戦中からどれほど違ったものを作り出せているのだろうか。戦争責任問題を解決するとは、そうした構造を改革することを意味するはずだが、それを阻んだ大きな要因が日米同盟であり、原発推進とそれによる犠牲、米軍基地の押し付けと犠牲はそうした日米同盟の構造のなかで生み出され続けている。

民主党政権に期待したのは、そうしたアメリカをバックとした政官財学報複合体を解体し、戦後改革では不十分なままに挫折し、自民党長期政権の下でおしとどめられてきた自由化民主化を進め、日本の対米自立とアジアとの和解を実現することだった。残念ながらこれまでのところは期待はずれであるが、原発に関しては人々の意識は変わりつつある。脱原発を進める課題は、ここで取り上げたような課題と密接に結びついている。抵抗する力は巨大であるが、それを乗り越える力が日本社会にはあると信じたい。