林 博史(はやしひろふみ)の自己紹介のページ

 

現在

関東学院大学経済学部教授 

 教えている授業は、2年、3年、4年の専門ゼミナール、1年の基礎ゼミナール、政治学、国際関係論、平和研究、大学院では、現代政治論、国際政治の諸問題、など。

日本の戦争責任資料センターの幹事、研究事務局長、機関誌『季刊戦争責任研究』編集担当

南京事件調査研究会・沖縄戦を考える会(東京)・合同研究会 事務局

学会は、日本政治学会、歴史学研究会、歴史科学協議会、日本平和学会、歴史教育者協議会など多数

 

経歴

 神戸生まれの神戸育ち。医者になるのがいやで、歴史学をやるために大学から東京にでてくる。いまだに関東の醤油漬けのようなうどんには耐えられず、関西風の味付けで料理を作っている。東京大学文学部では経済史をやろうと思って、経済史のゼミに入ったが途中で気が変わり政治史へ(高村直助先生にはご迷惑をおかけしました)。その後、大学院は日本現代政治史の大先生がいた一橋大学社会学研究科政治学専攻に入って、修士・博士課程ともに藤原彰先生の下で、たくさんのゼミの先輩たちに鍛えられた。修士のときは佐々木潤之助先生、博士課程では加藤哲郎先生にもついて勉強した。一橋ではちょうど課程博士を出そうとしていたときで、博士Ph.Dを取れば就職にも有利だろうと思って博士論文を提出した。提出する直前に、関東学院大学で政治学の教員の公募があった。初めて聞く大学でよくわからなかったが、横浜市にあるというので、まあいいだろうと思って受けたら幸運にも専任講師として採用された(30数人の中から私を採っていただいた経済学部のみなさんには感謝してもしすぎることはありません)。その後、助教授になり、1999年4月から教授。教授になるのは年をとったようでいやだったのだが、教授に昇格させて、教授でしかつけない責任ある役職(つまりいそがしい仕事)をさせようというまわりの圧力に耐えかねて、ついに教授昇格のプロモ−ションを出してしまった。

研究していること

 卒業論文は、1920年代から30年代の日本政府の融和政策、つまり未解放部落に対する政策について書いた。大学院に入ってから、同じ時期の内務省社会局に焦点をあて労働政策、特に労働運動に対する国家の対応を取り上げた。1986年に刊行した『日本近代国家の労働者統合』はその大学院時代のまとめであり、博士論文である。博士課程の途中から、次は日本の戦後史、特に1950年代をやろうと考え準備を進めた。そのことが『日本現代史』などを書く機会を与えられることにつながった。

 1985年に関東学院大学経済学部に就職した。1986年に藤原先生から、家永教科書裁判で沖縄戦が争点の一つになっていること、沖縄国体を前にして、本土の研究者がきちんと沖縄戦について取組む必要があると誘いがあり、さっそくそれに応じて、「沖縄戦を考える会(東京)」の事務局長を引き受け、それから沖縄戦について研究を始めた。その会で沖縄戦だけでなく広くアジア太平洋戦争について考え始めた。

 その会に参加していた高嶋伸欣さん(現琉球大学)にマレー半島への調査旅行に連れていってもらい、日本軍による華僑虐殺について知ることになった。日本に帰ってきて、それに関係した日本軍の資料はないかと防衛庁防衛研究所図書館で調べたところ、虐殺の命令や実行について記した記録(陣中日誌)を見つけ、それが1997年12月8日の全国の地方紙に共同通信発で報道された。そこからマレー半島での日本軍による華僑虐殺を調べ始めた。その成果が『華僑虐殺』(1992年)である。
 その過程で多くの市民運動にかかわっている方々と知り合い、学ぶところが多かった。それまでは研究者だけを頭に浮かべて論文を書いていたが、アカデミズムの中で通用するだけでなく、広く関心のある市民や学校の先生たちにも読んでもらいたいと考えながら書くようになった。そのために文体がすごく変わったと思うし、自分のスタンスもはっきりしてきたと思う。
 日本による中国侵略や朝鮮侵略・植民地支配については、それなりの関心があって研究もおこなわれていたが、東南アジアについては、インドネシアを除いてほとんど手がつけられていなかった。そこでマレー半島やシンガポールを中心に東南アジアに対する日本の侵略の問題をいろいろ書くことになった。

 『華僑虐殺』を出してから、沖縄戦について本格的にまとめようとして資料を見ていたのだが、1993年4月に日本の戦争責任資料センターが発足した。そのセンターの研究事務局長になるように荒井信一さんらに頼まれて了承したのが運の尽きで、それ以来、イギリスに留学していた1年間を除いて、センターから逃れられないで今日に至っている。
 センターでは当初、日本軍慰安婦についての調査研究に没頭し、これまでの議論が韓国朝鮮人慰安婦にばかり焦点があてられていたのに疑問をもち、東南アジアにおける慰安婦について調べ、発言し始めた。

 その後、1995年8月から1年間、イギリス留学の機会を与えられ、イギリスの資料を使ってまとめたのが、『裁かれた戦争犯罪』(1998年)である。これは『華僑虐殺』を発展させ、日本―アジア―西欧(イギリス)の三者を視野に入れて、アジア太平洋戦争と戦後のアジアについて考えたものである。

 2001年末にようやく懸案の沖縄戦について本にまとめ出版した。これが『沖縄戦と民衆』である。この本で、2002年12月に「伊波普猷賞」を受賞した。

 現在取り組んでいるテーマとしては、日本軍慰安婦の問題を明治以来の「からゆきさん」からの歴史的な流れのなかでとらえる試みもしている。また第2次世界大戦後に連合国がおこなった対日戦犯裁判(いわゆるBC級戦犯裁判)について、その政策の形成過程から実施過程までの全体を描きたいと考えている。さらにアメリカの国立公文書館の調査を通じて新しい資料を発掘している。そうした一方で、日本でどのようにすれば自民党(あるいは新自由主義派)に代わる政治主体を作ることができるのか、特に平和を担う主体と運動のあり方について模索している。        2002.1.5追加改訂

 さらにアメリカ軍の性暴力について、第二次世界大戦後の在日、在沖、在韓米軍について調べ始めている。日本軍の批判的研究とともに、米軍の批判的研究が現在、重要であると思うからである。いろいろテーマを抱えているが、次の本は戦犯裁判論をまとめたいと思っている。           2002.12.17追加改訂

 その後、2005年に『BC級戦犯裁判』、2007年に『シンガポール華僑粛清』を出版した。次の予定は、米軍基地問題についての本を出すことになっている。第2次世界大戦中から戦後にかけてを扱う予定。沖縄戦についても、いろいろ新しい資料を入手したし、「集団自決」問題での文科省のひどい検定のこともあるので、新たに沖縄戦について書くべきころかな、とも思っている。 2007.7.3追加改訂